張三妮『台湾・朝鮮における近代漢文教育の形成』戎光祥出版、2023年3月31日、276頁、3800円+税、ISBN978-4-86403-471-5

 ちょっと奇妙な本だ。本書は、博士論文の主要部分にあたり、「序」はその主査として審査に当たった者が書いている。つまり、審査報告書である。著者本人の「まえがき」も「あとがき」もない。

 その主査の「梗概」は、つぎのように結ばれている。「横断的検討によって、日本における漢学塾や台湾・朝鮮における書堂が過渡期の公教育を補完したこと、修身と漢文の関係では日本主導の漢文教育によって新しい倫理が説かれて脱儒教が進んだこと、文法教育や新知識の導入においても漢字漢文が有効に機能したこと、また一九三八年に台湾で漢文教育が断絶して以降も朝鮮では漢文教育が継続し両地域に明らかな相違が認められることなどは、本論によって明確になった事実といえる」。

 帯の表には、「日本の漢文教育が東アジア地域に果たした意義・影響を、教科書・組織・理論の変遷から解明する」とある。

 著者本人の総括は、終章「東アジアにおける漢文教育の大切さを知れば」で、2部各部2章全4章からなる本書を手際よく明確にまとめられている。いうまでもなく、2部のそれぞれの部は台湾と朝鮮を扱っている。

 第一部「台湾における近代漢文教育の形成」第一章「日本統治と台湾近代教育の形成-諸教育令の策定と教育課程を中心に」では、第一節で「「漢文」という視座から明治漢文教育形成過程諸教育法令、教育課程、私塾家塾対策及び教育課程に取り入れた漢文と漢文教科書に分けて検討を加え」、第二節で「日本統治と台湾教育政策の形成過程を吟味」している。

 第二章「植民地台湾における漢文教育の創始とその確立-「同文」の意義と漢文の境界」では、第一節で統治前期「漢文に対する日本人の依存度が高まっていたことが言語教育の性格として指摘できることを論じ」、第二節で「台湾で近代的漢文教育の位置づけ、その教授理論の導入、『台湾教育会雑誌』に掲載された教育関係の投稿が大きな役割を果たしていたことを分析し」、第三節で「初等教育、師範教育における漢文教科書の編纂と推移を見」た。

 第二部「朝鮮における近代漢文教育の形成」第一章「旧韓末漢文教育の展開-日本人学務官僚と近代的漢文教育の創始」では、第一節で「統監府時代日本人学務官僚が旧韓末の教育改革を通して「日本ノ開化」を輸入しようとしたことを明らかにし」、第二節で「韓国人の普通学校への登校拒否に直面し、台湾と同じく日本語教育を実施するために漢文教育を取り入れざるを得ない状況にあったことを論じ」、第三節で「私立学校令、教科書検定制度の導入によって、私立学校に対する思想統制、教育内容上政治的要素の排除が行われていたことを論じた」。

 第二章「日本統治と植民地朝鮮における漢文教育の推移」では、第一節で「併合前後、教育法令における漢文、朝鮮語、国語(日本語)と関係科目との位置づけ、相互関係、教授時間数について考察し」、第二節で「中等教育において「朝鮮の特殊的な事情」に該当するように朝鮮語及漢文科の教科書編纂が行われ」、「朝鮮漢文が大幅に増加し、日本漢文は政令伝達や補助的な役割にとどまったいた状況を明らかにし」、第三節で「日本漢文は、国体本義に基づく教材以外に多数の啓蒙思想、文学作品などが、中国古典と朝鮮漢文と一巻に収録され混在しており、それまでにない革新的な性格をもっていたことが確認」された。

 そして、つぎのように結論している。「漢文教育は植民地統治の必要に応じて統治者の側から持ち出され、統治者と被統治者の間で、異なる政治的立場を含む人々に共有された。教科書の編纂によって近代啓蒙や「同化」のイデオロギーを注入することができた。植民地台湾をその範囲として、(和製漢語を大量に取り入れた)簡易漢文と古典漢文という新旧文体の要素が混在していた漢文体が誕生し、広く使用されていた。一方、植民地朝鮮と日本帝国は言語構造が近いだけでなく、中華帝国の周辺という歴史上、文化上の類似性を持ち合わせている。ただし、漢文学習法には、文字の順序に従って音読みする朝鮮式直読と、日本語に読み下す日本式訓読とがある。近代的漢文教育の創出に形態上の近縁性は確認できても、両者は音声上の間には言語イデオロギーの神聖性、不意性が存在する。東アジア漢字文化圏の植民地統治は多くの矛盾、葛藤、限界を抱えていたが、各時代の台湾と朝鮮の文体はそこの人々の思想、文化を投影した鏡として見ることができると考えられる」。

 さらに、「今後の展望」をつぎのように述べて、本書を閉じている。「本書においては、日本統治下台湾・朝鮮における漢文教育が持つ、同化教育という政治的側面と、民族教育・文化教育という教育的側面の二重構造の特殊性に注目し、漢文教育という名の教育の実状と様相を究明した。植民地台湾の漢文教育については資料提示や論証の方式は必ずしも十分とはいえないが、今後更なる研究の深化を目指し、日本統治後期の台湾における漢文教育について明らかにし、日本統治と漢文の言語改革についても研究していきたいと考える。朝鮮総督府は、学校教育を通じて日本語を国語として、また、朝鮮語と両方を教えるようにしており、植民地時代に発刊された教科書の量が膨大である。植民地時代に発刊された漢文教科書全体を議論の対象にするのは効率的な方法ではないが、一時期前後して出版された日本語科漢文教科書と朝鮮語科漢文教科書の比較・分析を更に進めていきたい」。

 同じく日本の植民支配下にあった台湾と朝鮮は、比較の対象となりやすいが、具体的に比較するとなるとそうたやすいことではない。本書でも、共通点より相違点の方が目立つ。それぞれ違う背景があり、違う思惑がある。もっとも大きな違いは、朝鮮には長く続いた王朝があり、そこでは科挙制度がおこなわれていたことで、江戸時代の日本人で朝鮮の知識人に漢文で対応できたのは新井白石と対馬藩の「外交」を取り仕切った雨森芳洲くらいだったといわれている。その漢文力の劣る日本が支配して教育するというのであるから、問題がないわけがない。だが、ここで漢文教育を考えたことで、東アジア共通の近代漢字文化を創ったともいえる。それは、今日英語が国際人の養成言語になったように、漢文がアジア人をつくる言語になったといえる。いまアジア人の共通言語は英語になっている。英語で国際人は養成できても、はたしてアジア人は育つのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。