緒方宏海『辺境からの中国-黄海島嶼漁民の民族誌』風響社、2023年3月25日、296頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-324-5
本書から、なにやら著者の自信がうかがえる。それは、2004年から着実におこなった現地調査からだけではない。この島嶼漁民が漁業と観光産業の開発にうまく乗り、都市住民を超える収入を得て、主体的な社会を築いているからだろう。その豊かさによって、海に出ている男性にかわって、女性が主導権を握り社会の調停役にもなっている。女性は、島内に学校がないことから寄宿舎生活をおくる子どもの養育から解放され、親から有形無形の束縛を受けることがなくなった。共産党からのいろいろな「圧力」もあるが、「一人っ子政策」など無縁の主体的な社会を維持している。そんな社会も個々人も自律した活力があるからこそ、著者は自信をもって本書を書くことができたのだろう。
だが、それは本書で書けなかったことを考えると、楽観的に構えることはできない。著者もそのことが重々わかっているから、終章の終わりで、いまの事態を「ある種の暫定的な均衡とみるのが妥当であるように思われる」と述べている。政治的介入や外部資本の流入だけではなく、漁業資源の枯渇、環境の悪化、さらには黄海の漁場をめぐる韓国との対立、北朝鮮情勢などなど、数えあげたらきりがない不安材料がある。
「本書が対象としている長山諸島は黄海北部海域に位置し、一九五(有人一八島)の島が集まって形成されている島嶼地域である。中国で唯一の島嶼国境県でもある」。
本書のねらいは、「はじめに」の最後で、つぎのようにまとめられている。「従来の研究において空白地帯であった黄海辺境の島嶼社会の実態から、巨大な中国を俯瞰することである。辺境の島だからこそ顕著になっている諸現象を明らかにすることで、中国社会の実態とその未来が俯瞰できる。隣国の離島に住まう人々の実際の暮らしとその歴史について、ぜひとも理解を深めていただきたいと願う」。
本書は、はじめに、序章、全5章、終章、あとがきなどからなる。序章「辺境の離島から中国を俯瞰する」の「五 本書の構成」でも各章の要約、「結論」があるが、終章「辺境の島嶼社会から中国をみる」で、「再び、本書の各章の結論と流れを辿って」いる。
「本書は、まず第一章から第三章において、島嶼に生きる人々がいかなる社会変動を経験してきたのか、その歴史過程を描写した。また同時に、島民は島嶼性の地理的な特徴である辺境性、環海性と常に向かい合いながら、生活を組み立ててきたことを明らかにした」。
第一章「長山諸島の島民の歴史的経験」では、「長山諸島の島民の移住・定住の過程について検討した。これに基づき初期の地域社会の形成の特徴を歴史と照らし合わせながら、人々が島嶼性の特徴である厳しい自然環境と戦いながら生産活動と暮らしを営んでいたこと、独自の社会生活の特徴を作り、「陸地」とは異なる地域事象を呈していたことを明らかにした」。
第二章「島嶼における産業の成立」では、「日本が長山諸島を支配して以降、全体として行った関東州の漁業政策について明らかにした。植民地政府によって、動力船の導入やローカルな企業家の出現がもたらされ、島で初めて産業としての漁業が確立する過程について概観した。中国人漁民は植民地支配下の政策によって漁業を発展させた。しかし長山諸島だけは、本土の中国人漁民とは異なる漁業生産システムを持ち、辺境性という「島嶼性」故の制約から、島で成立した「実供」制度が日本統治以降も併存し、富裕層が同制度を利用して貧しい島民を支配していた」。
第三章「中華人民共和国建国後の島嶼漁村社会」では、「中華人民共和国建国後、長山諸島の島民等がいかにして国に編入されていったのかをみた。中国共産党政府は「漁覇」を打倒し、貧困層の負債を帳消しにした。島嶼性に起因する「実供」制度を解体させたことによって、政府は島民を新しい国に編入し、島民同士の関係に少なくとも見かけ上の平等性を確立した。このような社会変化によって、島民が中華人民共和国の国民であり、長山諸島の島民であり、集団の一員であるという集団アイデンティティが醸成されていった。ただし、島嶼性に起因する「実供」制度が共産党によって解体されたとはいえ、じきに、三反運動、大躍進運動、四清運動、文化大革命というような次々と展開された国の社会運動によって、島民の社会関係に新たに階級区分という差異化がもたらされた」。
第四章「島嶼生活の網目」では、「改革開放期以降今日までの暮らしの実態を見てきた。黄海島嶼社会において、基本的な社会単位かつ経済単位となっているのは、核家族である。核家族化の進行と関係する世帯形成の在り方を見る手順として、現在の島の婚姻形態と通婚圏、父系出自集団である宗族との関係、「分家」、漁業の労働の現場における個人と家族の関係、隣人という順にひもときながら、最終的に、島嶼社会における相互行為の特徴を見た。第四章で明らかになったのは、長山諸島の場合、世代、性別、職業によって、相互行為の特徴に異なる傾向が見られたことである」。
第五章「島の村民自治」では、「村民委員会選挙と島の政治的現場に現われるその相互行為の秩序を明らかにした。村民委員会の選挙と政治生活の場に埋め込まれた島独自の政治的な境界性について提示した」。「事例分析で明らかになったのは、現場の村組織を主導する村幹部が今日目指しているのは、自己の利益の最大化よりも、村民と地方政府の両者の狭間でどちらかを選ばないといけないという利益対立の構図の中で抱えたジレンマを乗り越えることであった」。
終章「二 展望-現代中国研究における新たな視座」では、本書の分析をつぎのようにまとめている。「諸個人の行為は通常既存の社会構造に制約されるが、島民は埋め込まれていた構造によってその相互行為が決定されない。本書で明らかになったのは、島民の親族関係は血縁関係第一とは限らず、利害対立を回避しながら、社会関係を選択していることである。このような相互行為の特徴には、急速な経済発展を遂げた島の社会状況と家族意識の変化が大きく関係している」。
つづけて、つぎのように結論を述べている。「島嶼性を以て長山諸島の島民の共同体的紐帯を説明すると、島を閉じられた世界と看做してきた前近代的な共同体論に陥りやすい。島嶼性と島民の性別や時代ごとの相互行為の特徴を見ると、その関係性の部分には実は大きな不一致がある。それを踏まえた上で長山諸島の島民の相互行為の共同性への志向、動きを分析すれば、次のように結論できる。長山諸島の場合、生活に密着した場面で、何らかの利害問題が発生し、そこに強烈な関心が向けられるような事態が発生した場合、島嶼性の特徴と説明できる島民の相互行為が見られる」。「本書が手がかりとした集団性の見られる事例の場合は、複数の島民の間に持続的な相互行為とその蓄積があったことによって、島民が一体としてつながるときに重層的な社会結合関係が垣間見え、そこには伸縮する共同性への帰属意識があることがその時にだけ際立つのである」。
「一人っ子政策」のこととともに、裏表紙のブタが気になったが、もっと早く説明してほしかった。290頁[目次では291]の「写真・図表一覧」の写真には撮影年月日、撮影者、図表には出典、作成者もお忘れなく。地図ももっとほしかった。あまり魚臭くない漁民研究である。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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