陳來幸編『冷戦アジアと華僑華人』風響社、2023年3月25日、474頁、4000円+税、ISBN978-4-89489-338-2
本書のもととなった共同研究が可能になった背景について、科学研究費補助事業(基盤研究B)の代表で本書の編者である陳來幸は、「総論」の「2 本書の作成にあたって」でつぎのように述べている。「日本の華僑華人研究も層が厚くなるとともに、学際的な相互交流も頻繁化し、多角的な分析も可能となった。研究地域の枠を超えることはもちろんのこと、研究分析の方法も人類学や法学の専門家を加えて多角化を目指した。なによりも、自由な資料調査・訪問調査が可能となり、時機が到来したとの認識で一致した」。
つづけて、本書の目的が、つぎのように記されている。「戦後から初期冷戦時期を取り上げることは、タイムリーな一面があった。そして、冒頭で取り上げたように、われわれみなが不安定な不和の時代を克服したと思われた東アジアにも、ふたたび「新冷戦」の時代が到来しようとしている。中・露・日・米・欧の様相をどのように理解するべきか。そのことを突きつけられているいまこそ、かつての冷戦の時代の真相を把握し、今後への視座を獲得しなければならない。本書の刊行がその一助になればと心から願うものである」。
本書は、まえがき、総論、3部全15章、3つのコラム、あとがき、参考地図、年表などからなる。その概要は、「まえがき」でつぎのように紹介されている。「第二次世界大戦終了後、華僑華人の処遇と役割は彼らが居住するそれぞれの国において大きく様変わりしている。戦前戦後の変化を意識し、とくに冷戦初期に焦点をしぼった論考を集めた書籍の出版は日本では初めてのことであろう。冷戦を一九四五年から一九八九年ベルリンの壁の崩壊までとすれば、本稿[本書]は一九六〇~七〇年代までの冷戦前半期をおおよその論述範囲とし、主として戦後直後から冷戦初期の五〇年代を扱っている。冷戦終了後の東アジアでも象徴的できごとである中国の改革開放以降の華僑華人社会の変容までは扱っていない。冷戦初期日本の華僑華人に関して七篇の論考が、東南アジアについてはインドネシア三篇、フィリピン、ベトナム各一篇の論考が収められている。いずれにおいてもマイノリティ集団として存在してきた華僑華人社会が、東西冷戦という国際情勢のなかでどのように複雑な内部対立をかかえつつ、主流社会での生存を図ってきたのかについて言及されている。その他関連するテーマを扱ったものが三篇である」。
それぞれの部、章、コラムについて、「総論」でまとめて紹介している。第一部「日本華僑の戦後」は、8章からなる。「そこで注目する第一のテーマが、戦後日本の社会運動と華僑・留学生運動との関係を明らかにすることである。戦後直後の冷戦はイデオロギーの対立が主な対称軸であった」。「第二のテーマは大阪華僑史の再構築である。初期大阪華僑は南幇(長江流域以南出身のグループ)と北幇(山東省や華北(ママ)[河北]省以北出身のグループ)に大きく分かれる」。「第三のテーマは、三人の研究者が日本人の身分で戦前から日本に滞在していた台湾人と戦後の台湾を扱う。戦後の華僑運動のなかで指導的地位にあり、北京に成立する共産党政権に対して真っ先に支援を表明した華僑組織の中心的存在が台湾人であった」。
第二部「東南アジア華僑の戦後」は、5章、3コラムからなる。「冒頭にインドネシアの台湾人を取り上げた、インドネシア関連で三つの論稿[論考]と一つのコラムが並ぶ」。「ついで、フィリピンとベトナムを取り上げる」。「科研のグループを立ち上げた時に、日米と同じ自由主義陣営側に入ったフィリピンと、率先して北京政府を承認した真逆のインドネシアの華僑社会を比較することとした。ベトナムはベトナム戦争の影響で国際社会に復帰するのが遅く、中国とは隣接していたために、長期間にわたる華僑華人社会の存在がある」。
「一方、戦後神戸の華僑社会がどのような新しいネットワークを紡いだのかについて、長年気になっていた①客家、②福建(閩南)、③金門のファミリーがある。今回の共同研究では、国内外調査のなかで数多くの訪問調査が実施されたが、なかでも興味深いと思われたこれら三つの訪問調査の音声記録をもとに、それらを文字に起こして論述に使用しコラム①~③としている」。
第三部「太平洋を越えて」では、「一見離れたテーマの二編の論文を配置し」、その理由をつぎのようにまとめている。「一読して理解いただけるように、国民大会の普通選挙や立法委員選挙、僑民教育の実施など、国民政府の華僑政策は海を越えても共通しており、共産主義の容認か否かをめぐる華僑コミュニティの分裂、中華人民共和国との国交樹立による変化など、冷戦時期の華僑をめぐる話題は共通していることが再確認できる」。
「あとがき」では、冒頭でつぎのようにまとめている。「日本の華僑社会の戦後史を理解することから始まったこの研究は、他の東南アジア諸国の華僑華人社会をも比較研究対象範囲に収める必要上、自由主義陣営の側に入ったフィリピンと社会主義陣営に入ったインドネシアを対象として取り上げることで新たな研究グループを立ち上げた。中国大陸と台湾島に対立構造をもたらした東アジアの戦後から冷戦初期に、各地の華僑社会にとっては多かれ少なかれ母語の政府が二つ出現したことになる。どちらを支持するのかを巡って華僑社会もまた二分または三分することになる。このことは、大胆に言うならば各地の華僑華人社会の共通の政治的課題であった。当初分析対象として考えていた朝鮮半島の華僑社会については、範囲が広すぎては論点が定まらなくなるとの理由で今回は分析対象からはずし、日本において相対的に歴史研究が手薄なベトナム華僑社会の論考を入れることとした。戦後ベトナム共和国における華僑学校の境遇を通じて見えてきたのは、「明郷(ミンフォン)」は別として、ベトナム華僑に対する扱いが韓国主流社会におけるその扱い以上に現地のベトナムナショナリズムから強く影響されていたことである。韓国とベトナム共和国、朝鮮民主主義人民共和国とベトナム民主共和国それぞれでの華僑社会の研究も今後視野に入れていかなければならない」。
そして、つぎのように結論している。「本書からは、客家の商業ネットワークとならび、新たな繋目として金門人や外省人を含む台湾が、そして香港が、外部世界への展開の拠点・契機となっていることがクローズアップされた」。「このことは、アジアほか世界各地の華僑華人社会そのものにも当てはまる。境界に位置する人々の存在が危険であるというのではなく、外の世界を実際に繋ぐ、あるいは相互理解を促進する特別な役割を担える潜在力を持っている。そのことを再認識したいというメッセージを最後に、この「おわりに」[「あとがき」]の論を結びたいと思う」。
本研究が可能になった要因として、「戦後国共対立の微妙な時期に日本から大陸に渡った台湾人やもと留学生、老華僑らの回想録の出版が中国の改革開放後の自由な雰囲気のなかで相次いだこと、民主化以降の台湾で外交部檔案が広く公開されたことが大きい」という。これらの資料をもとに、日本語、中国語(台湾語)で対等に議論したことで、東南アジアにも議論の対象を広げることができ、英語での議論もできるようになった。これだけの基盤ができれば、今後華僑華人研究、とくに東南アジアを含めた東アジア地域の研究としての発展が期待できる。
いっぽうで、「日僑日人」研究は、とくに東南アジアとの関係は発展が望めない。日本語が学問用語として東南アジアで衰退し、日本に来ている留学生の多くが英語で社会科学を学んでいる。本書でも明らかなように、社会科学だけでは充分でなく、現地のことばの理解のうえでの人文学的知識が必要である。自国語と英語文献だけの研究には限界がある。東南アジアの研究者が日本語で議論できるようにならなければ、「相互理解を促進する特別な役割を担える潜在力を持っている」関係へと発展していかない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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