小林和夫『奴隷貿易をこえて-西アフリカ・インド綿布・世界経済』名古屋大学出版会、2021年10月10日、315頁、5800円+税、ISBN978-4-8158-1037-5
「インドとの関係を強く意識することで、大西洋奴隷貿易を、大西洋という空間的枠組をこえ、また奴隷貿易後の時代を視野に入れることで、奴隷貿易研究の時間的枠組もこえて研究するようになった」。「本書の題名にはそのような意図が込められている」という。
ヨーロッパ中心のヨーロッパ拡張史から解放されると、近代に常識だった空間からも時間からも解放される。本書は、大西洋奴隷貿易の時代のヨーロッパと西アフリカとの関係史を、「奴隷貿易をこえて」実証した成果である。当然のことながら、奴隷売買に使った「貨幣」はなにだったのか、奴隷を運んだ船はほかになにをどこからどこへ運んだのか、などなど奴隷貿易をこえて「世界経済」は広がっていた。
本書では、1750年から1850年にかけての「「革命の時代」の世界経済の興隆において西アフリカの消費者が果たした重要な役割を取りあげる。とりわけ、彼らのインド綿布に対する需要が、18世紀から19世紀半ばのグローバルな貿易や、西ヨーロッパや南アジアの経済発展におよぼした影響に注目する。これまでの研究のなかでしばしば「周辺」とみなされてきた地域の消費者が、どのようにして経済のグローバル化-すなわち、貿易や投資、ヒトの移動などによって、さまざまな地域経済がより広大な地域あるいは世界経済へと連関し統合されていくプロセス-を規定してきたのかを提示することが本書の目的である。それによって、既存の「中心-周辺」モデルによる説明とは異なる世界経済史像を提案したい」と著者はいう。
ここで、読者のなかには「西アフリカの消費者」に引っかかった人がいるかもしれない。それは、「ヨーロッパはいかにアフリカを低開発化したか」以後のイメージをもっているからで、それ以前には良質のインド製藍染綿布を贅沢の象徴として求めた西アフリカの「豊かな消費市場」があった。藍には、解熱と殺菌効果がある。
本書は、序章、全4章、終章などからなる。脚注を含む本文259頁のうち、序章に40頁、終章に22頁を費やしている。「研究史を徹底的に調べて論点を整理する」基本が、序章と終章にあらわれている。
序章「西アフリカとインド綿布からみるグローバル経済史」の「はじめに」の最後で、本書でめざすものが、つぎのようにまとめられている。「本書の関心は、西アフリカのインド綿布消費に代表される、西アフリカと南アジアの経済関係に向けられる。本書で明らかにするように、両地域の経済関係に注目することによって、私たちはグローバル・ヒストリーにおけるアフリカの消費者のエージェンシーを解明するだけでなく、インド人の職工もまた、近代世界経済の興隆のなかで大きな役割を果たしていたことを理解することができる。ここで注意すべきは、当該時期には、その活動領域を拡大する近世ヨーロッパの商人たちが、両地域を結ぶ仲介者の役割を果たしていたことである。西アフリカと南アジアの経済関係は、グローバル・ヒストリーのいくつかの重要な局面-すなわち、奴隷貿易と奴隷制を基礎にした大西洋経済の発展、イギリスの産業革命、さらに近代世界経済の興隆-において必要不可欠な要素だったのであり、本書はこの事実の解明を目指す」。
そして、最後の「5 本書の構成」で、章ごとにつぎのように要約している。第1章「西アフリカの海上貿易-大西洋奴隷貿易から「合法的」貿易への移行-」では、「貿易統計を用いて、18世紀の大西洋奴隷貿易の最盛期から19世紀の西アフリカの「合法的」貿易への移行期の取引の内実を分析する。後者の時期について具体的には、当時の西アフリカの主要輸出品であったパームオイルとアラビアゴム、そして落花生と、輸入品としての綿布(インド製品・インド製品)と宝貝を取りあげる」。
第2章「セネガル川下流域のインド綿布ギネ市場-19世紀前半における消費主導の貿易-」では、「西アフリカと南アジアの経済関係の消費・流通の側面に注目し、19世紀前半のセネガルでインド綿布の輸入が続いていた背景を解明する。セネガル川流域-とくに良質なアラビアゴムが供給されていた下流域-の商業ネットワークを検討することで、ギネ[薄地の藍染め綿布]がセネガル川河口部のサンルイ島から内陸部の消費者のもとに運ばれるまでにたどったルート、そして、そうしたルートを包含していた複雑な地域内商業ネットワークの存在を明らかにする」。
第3章「西アフリカ向けインド綿布の調達-英仏による管理と投資-」は、「西アフリカと南アジアの経済関係の生産の側面に目を向ける。具体的には、18世紀後半から19世紀前半にかけて、ヨーロッパ人は、どのような手段で西アフリカ市場向けのインド綿布を調達・確保していたのかを論じる」。
第4章「仲介者としてのヨーロッパ商人と西アフリカ-流通における奴隷貿易以降の変化と連続性-」は、「インドから西ヨーロッパを経由して西アフリカにいたるインド綿布の輸送にかかわる側面を検討することで、それまでの議論を補完する。ここでは、インド綿布の生産地と消費地を結びつけたヨーロッパ人による流通ルートが焦点となる。とくに、大西洋奴隷貿易の廃止およびフランス革命・ナポレオン戦争前後で変化した商業環境に論究する」。
終章「西アフリカと近代世界経済の興隆」は、「本書の議論から得られた知見を、3つの大きな歴史研究の文脈に位置づけることを試みる。ここで取りあげられるのは、熱帯の経済発展、帝国史やグローバル・ヒストリーにおけるアフリカの捉え方、そして、グローバル化の歴史と近代世界経済の興隆をめぐる問題である」。
そして、終章をつぎのようにまとめて、本書を閉じている。「西アフリカの地域経済を起点にしたグローバル化に向かう動きは、大西洋奴隷貿易の時代にヨーロッパを経由して南アジアまで届くようになった。大西洋奴隷貿易は、西アフリカ諸社会の人的資本や生産性を低下させた可能性はあるが、それ以前からの市場経済の拡大とグローバル化に向かう動きが、さきに引用したイニコリ[Joseph E. Inikori]のいうように、「すべて中断させられた」とは必ずしも言い切れない。本書では、少なくとも19世紀まで、黒人奴隷や熱帯産品に対する外部の需要が、西アフリカのグローバル化の射程を南アジアまで拡大させることに寄与した、と主張したい。その際に、近世ヨーロッパの遠隔地貿易などの商業活動-すなわち西ヨーロッパに起源をもつグローバル化-は、西アフリカのグローバル化の動きを南アジアに結びつけ、ネットワークを形成する役割を果たした。このように、西アフリカと西ヨーロッパのそれぞれに起源をもつ市場経済のグローバルな展開は、19世紀の東アジアや東アフリカの事例などと同様に、労働力や外国商品に対する需要の交差を通じて相互に影響をおよぼしていた。こうした多元的なグローバル化の相互作用こそが、大西洋経済の発展だけでなく、近代世界経済興隆の基盤を整えたのである」。
「奴隷貿易史観をこえ、現地の動向からインド綿布への旺盛な需要がもたらしたインパクトを実証、グローバル化の複数の起源を解き明かし、西アフリカの人々の主体的活動に新たな光をなげかける」本書の先にあるのは、西アフリカ、南アジアのナショナル・ヒストリーの発展かもしれない。近代に発展したナショナル・ヒストリーを批判することで発展してきたグローバル・ヒストリーが、本書の批判の的になったのは、西アフリカのナショナル・ヒストリーが発展していないからで、イギリス帝国史の一部になっていた面があったからだろう。ナショナル・ヒストリーの発展がなければ、ヨーロッパ拡張史の「餌食」になってしまう。
本書で気になったのは、「興隆」ということばがさかんに使われていることである。あたかも、ヨーロッパの「興隆」に対抗するかのように。ナショナル・ヒストリーの発展は、「興隆」とは別の面の歴史に光をなげかける。そのためには、「世界経済史」をこえる「社会経済史」への試みが必要だろう。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
コメント