長尾宗典『帝国図書館-近代日本の「知」の物語』中公新書、2023年4月25日、283頁、920円+税、ISBN978-4-12-102749-8

 わたしの墓はいらない。かっこいいことを言えば、墓に参られるより、図書館に行ってわたしの本を手に取ってほしい。図書館にわたしの本があり、だれでもが気軽に手に取ることができるなら、わたしの墓はいらない。ところが、その考えが疑問になるような事態が起こっている。大学図書館に行っても、公共図書館に行っても、人があまりいないのである。

 ひとつには、コロナ禍もあってオンラインで読むことができる情報が格段に増えた。わたしがある修士論文の口頭試問で、最初に訊いた質問が「図書館に行ったことがありますか?」というような事態まで起こっている。もちろんテーマによってはオンラインのほうが最新の情報を得られるが、文系の大学院生が図書館に行ったことがないというのは、なんとももったいない話である。

 オンラインで最新の情報が得られるにしても、どのテーマでも研究史の把握は必要で、時間が経って一定の評価が下されたことが書かれている本は不可欠だ。ネットで得られた情報で必要な本を手に入れることができたとしても、図書館でその本を見つけることは別の意味がある。当然その本の周囲には類似の本が並んでいて、ネットで得られた以上の本に出会う。そのテーマにかんする本だけでなく、図書館入り口にある新着本コーナーを見れば、いまどんな本が話題になっており、どんなテーマをいまの社会が必要としているかなどがわかってくる。図書館をうろちょろし、本の背表紙を見ているだけで、イマジネーションが湧いてきて、新たな発想が生まれてくる。「もったいない」と言ったのは、そんな機会を図書館で得ることができるのに、気づくこともできないからだ。

 そんな図書館のわたしの最後の砦が、国立国会図書館である。「最後」の意味は、その規模の大きさから本が出てくるまでに時間がかかり、冊数も限られているので、ほかの図書館や相互貸借で利用できないものにかぎって利用するからである。かつて、アメリカ議会図書館の「屋根裏部屋」でデスクをもつことができた幸運に恵まれたとき、リクエストした本は翌日デスクの上にあった。

 前置きが長くなった。日本だけでなく、米英豪さらにフィリピンやシンガポールなどの国立図書館を利用してきた者にとって、本書は利用者として大いに関心がある。

 本書の内容は、表紙見返しに要領よく、つぎのようにまとめられている。「近代国家への道を歩み出した明治日本。国家の「知」を支えるべく政府によって帝国図書館が設立された。しかし、その道のりは多難であった。「東洋一」を目指すも、慢性的な予算不足で書庫も閲覧室も狭く、資料は溢れ、利用者は行列をなした。関東大震災では被災者の受け入れに奮闘。戦時には所蔵資料の疎開に苦しんだ。本書は、その前身の書籍館から一九四九年に国立国会図書館へ統合されるまでの八〇年の歴史を活写する」。

 「帝国図書館の歴史を、蔵書構築や利用状況からその前史も含めて取り上げ、論じる」本書は、「とくに次の二つの視点を意識しつつ帝国図書館の歩みを検証していく」。「一つは、日本近代史の流れのなかに図書館の歴史を位置づけることである。図書館の歴史は、博物館や美術館の歴史と比べて、近代日本の文化史でも検討対象として扱われることが少なかった。しかし、図書館は少なからぬ人びとにとって、国内の専門書や小説のほか、海外の文献や、新聞や雑誌などの活字メディアにも触れる場所であった。本書では、近代日本のメディア史や思想史の知見もふまえながら、帝国図書館史の歴史を、新たな文化史の文脈に位置づけてみたい」。

 「二つ目は、図書館の管理者側の立場からだけでなく、読者=利用者側の視点もふまえて図書館のあゆみを双方の視点から捉えることである。図書館の提供者側の思惑と利用者の期待にはズレがある。管理者側の意図とは別に、図書館がどのような使われ方をしたのかは、興味深い論点を構成するはずである。先行研究にも学びつつ、近代日本の読書の社会史を探究する一環として、帝国図書館の軌跡を描いていきたい」。

 つづけて、つぎのように本書の構成を簡単に紹介して、「まえがき」を締め括っている。「序章[近代日本と図書館]では、議論の前提として日本の図書館の明治以前の歩みを簡単にふり返るとともに、そのなかでの日本の国立図書館の位置づけを試みる。第一章[多難なる船出]と第二章[湯島から上野へ]では帝国図書館の「前史」を扱う。第三章[帝国図書館誕生]では、帝国図書館の設立に邁進した田中稲城の活躍から、帝国図書館設立構想を考察していく。第四章[「東洋一の図書館」の理想と現実]では、新館開館後の帝国図書館の活動について、収集と利用の両面から検討していく。第五章[逆境のなかの図書館]では、三〇年近く帝国図書館を牽引してきた田中稲城館長が退任し、後継世代に図書館の経営がゆだねられていく過程について論じる。第六章[帝国図書館の黄昏]では戦争に向かう時代の帝国図書館が果たした役割とともに、戦後の占領政策のなかで帝国図書館がどのように変化していったのかを見ていきたい。終章[国立国会図書館へ]では、現在の国立国会図書館につながる問題を扱う。このほか、図書館の専門用語や本文の理解を助けるための背景的知識をコラムにまとめた。本書の検討を通じて、帝国図書館が近代日本の社会でいかなる存在であったのかを考えたい」。

 そして、終章で「帝国図書館とは何であったのか」と問い、つぎのように答えている。「いま一度想起したいのは、一冊一冊の本の価値だけでなく、一〇〇万冊の蔵書全体が持つ意味についてである。それについては、第四章で紹介した三宅雪嶺が帝国図書館開館式で述べた式辞が参考となる。三宅は、日本の発展を支えてきた「過去の勢力過去の思想」が、帝国図書館の蔵書中にこそ残されており、日本の発展を理解するためには、帝国図書館の蔵書全体を解釈しなければならないと語った。国立の図書館の蔵書は、日本の文化の記録である。そして、こういってよければ、各時代において日本思想史の最前線を更新し続けてきた近代日本の「知」の物語そのものである」。

 だが、そんな「帝国図書館」がもっていたものが変わろうとしている。国立国会図書館もデジタル化で利便を図ろうとしていることが、終章「国立国会図書館へ」の最後のほうで、つぎのように書かれている。「国立国会図書館は中期計画二〇二〇-二〇二五の中でデジタルシフトを明確に打ち出し、現在は国立国会図書館デジタルコレクションで、デジタル化された旧帝国図書館蔵書の大部分をパソコンやスマートフォン等の個人端末の画面上で簡単に閲覧できるようになった。資料の全文検索の仕組みも整えられつつあり、さらに登録利用者であれば、絶版資料も個人の端末から画像閲覧することが可能となっている。いまや帝国図書館の蔵書はかつてと全く異なる形で国民に届けられるようになった」。

 デジタル化が進めば、図書館そのものがなくなるのか。「「知」の物語そのもの」が、形となって見えなくなるのか。これまで撮ってきた論文のコピーを簡易製本し、背にタイトルを貼りつけて書棚に並べてみた。個々の論文では見えなかったものが、より広い視野のなかで見えて、イマジネーションが膨らんできた。なにか書けそうな気がする。書いたものも、コンピュータの画面上では見えてこないものが、プリントアウトしたものからは見えてくる。ペラペラめくることが必要なのだ。便利なものは便利なものとして受け入れるが、人文的思考はアナログでしか鍛えられないものがある。図書館に行かないなんて、なんとももったいない。

 2022年度から大阪市立大学と大阪府立大学が統合して大阪公立大学になった。わたしは、終身使える利用者カードをもっている。わたしの友人で、国立国会図書館関西館近くに住んでいる者がいる。わたしは地下鉄御堂筋線を使って、旧大阪市立大学(杉本)と旧大阪府立大学(中百舌鳥)の両方の図書館が使えることになった。伝統ある両大学の図書館には、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化された旧帝国図書館蔵書にないものがある。大阪公立大学図書館のWebサービスも使えるが、実際に手に取ってみないとわからないことがある。出版に使われた紙やインクなども、歴史研究者にとっては重要な原資料なのだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。