金澤裕之『幕府海軍-ペリー来航から五稜郭まで』中公新書、2023年4月25日、201頁、820円+税、ISBN978-4-12-102750-4

 こんなにおもしろくて、幅の広いものだとは思わなかった。たんに幕末維新の逸話程度と思って読みはじめたが、今日までつづく日本近代の基礎研究に基づいた記述に、その重要性を気づかされた。前近代と近代の組織の違い、近代化への過渡期が具体的に紹介してくれている。

 まず、幕府海軍について、「まえがき」冒頭で、つぎのように説明している。「本書は幕末期に江戸幕府が創設した日本初の近代海軍組織、いわゆる幕府海軍の物語である。幕府海軍は安政二年(一八五五)に誕生し、江戸幕府の崩壊とともに一三年間という短期間で歴史的使命を終えたが、この間の長崎海軍伝習、「咸臨丸」の太平洋横断航海など日本の海軍史に記憶されるさまざまな足跡を残し、勝海舟、榎本武揚をはじめとする人材が数多く輩出した。まさに近代日本海軍の嚆矢と言うべき存在である」。

 本書の内容については、表紙見返しで、つぎのようにまとめている。「ペリー来航などの「西洋の衝撃」を受け、1855年に創設された幕府海軍。長崎海軍伝習、勝海舟らによる咸臨丸の太平洋横断航海、幕長戦争などを経て近代海軍として成長してゆく。鳥羽・伏見の戦いにより徳川政権は瓦解し、五稜郭で抵抗を続けた榎本武揚らも敗れて歴史的役割を終えるが、人材や構想などの遺産は明治海軍へと引き継がれた。歴史研究者・現役海上自衛官の二つの顔を持つ筆者が、歴史と軍事の両面から描く」。

 幕府海軍を物語る意義について、著者はつぎのように「まえがき」で述べている。「薩長海軍の引き立て役となりがちな幕府海軍を本書の主役にする理由は、単にその規模が諸藩海軍を凌駕していたからだけではない。幕府海軍一三年の歴史には、近世から近代への転換期に日本が直面したさまざまな課題が凝縮されているのである」。

 本書は、まえがき、序章、全4章、終章、あとがき、参考文献からなる。序章「日本列島と海上軍事-古代~一八世紀」から時代ごとに、「第一章 幕府海軍の誕生-一九世紀初頭~一八五九年」「第二章 実働組織への転換-一八六〇~一八六三年」「第三章 内戦期-一八六四~一九六八年」「第四章 解体、脱走、五稜郭-一八六八~一八六九年」へと進み、「終章 幕末から近代、現代へ-一八六八年~」と現代への「遺産」まで紹介する。

 その遺産について、終章で人材と構想などについて具体的に述べている。人材についてつぎのようにまとめている。「幕府海軍以外の諸藩海軍も、その多くは長崎海軍伝習で教育を受けた藩士たちが創設を担っている。伊東[祐亨]や相浦[紀道]のように直接幕府の海軍教育機関やそれに準ずる場に学んだ者はもちろんのこと、薩摩藩で海軍キャリアをスタートさせた東郷[平八郎]のような者も含め、幕末期に海軍教育[を]受けた世代全体に対する幕府海軍の意義は、決して小さなものではないと言えるのではないだろうか」。そして、日清戦争のときには、「海軍の第一線を離れて政府の要職にあった者が少なくなかった」。

 文久の改革で提示された構想、「幕府海軍は全国を六つの警備管区に分けてそれぞれに艦隊を置く」は、40年の歳月を経て1902年に具現化し、著者はつぎのように結論している。「諸藩に先駆けて創設された幕府海軍の一三年間の蓄積は、明治海軍の建設がスムーズに進んでいくために欠くことのできない貯金となった。俗な言い方をすれば明治海軍は幕府海軍からの「居抜き」でスタートしたのである。その日本海軍も西南戦争以降は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、外洋海軍(Blue Water Navy)への道を歩み、アジア・太平洋戦争では本来の能力を超えた戦域を担って敗れた」。

 そして、現在の海上自衛隊をつぎのように紹介している。「海上自衛隊は全国を五つの警備区に分け、海軍時代に鎮守府が置かれた横須賀、佐世保、呉、舞鶴、終戦時には警備府が置かれていた大湊に、それぞれ地方総監部を置いている。他にも用語、名称の多くを日本海軍から引き継いでいる海上自衛隊は「海軍の後継者」という意識が強い一方で、幕府海軍は平素ほとんど意識されていない。ただし、幕府海軍によって軍港化が始まった横須賀に自衛艦隊以下の各級司令部が集中していることを考えれば、海上自衛隊もまた幕府海軍の系譜に連なる存在と言えるだろう」。

 研究上、専門知識を有する者の観点から考察するものと、それを客観的に考察するものの両方の視点が必要である。軍隊については、その機密性から専門的知識を有していても満足に語れない場合があり、往々にして後者の視点で語るほうが無難になる。本書は、歴史研究ということもあり、直接現代の海軍の機密性に触れる心配が少ないことから、現役自衛官の知識と経験が活かされたものになっている。それだけ、説得力のある内容になっている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。