小谷賢『日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで』中公新書、2022年8月25日、279頁、900円+税、ISBN978-4-12-102710-8
テレビドラマのタイトルになっていた「別班」(vivant)も、「別室」も出てくる。わずか半月後に再版が出ているように、多くの人が本書を待っていた。この分野の類書がないからである。いっぽうで、2013年に「特定秘密の保護に関する法律案」が審議されたときは、反対世論がおおいに盛りあがった。本書を読んでいれば、その必要性はよりわかったことだろうが、それでも不安は残っただろう。それだけ、本書で議論されていることは、国家にとって、その国家の下で日常生活を送る者にとって、微妙できわめて重要なことである。
「本書は戦後日本のインテリジェンス・コミュニティ[情報を扱う行政組織や機関を包括する総称]の変遷を追いながら、75年にわたる〝秘史〟を描くものである」。「まえがき」冒頭で、インテリジェンスについて、つぎのように説明している。「インテリジェンスとは情報のことを意味するが、どちらかというと機密や諜報の語感に近い。つまりただの情報(インフォメーション)ではなく、分析・評価された、国家の政策決定や危機管理のための情報こそがインテリジェンスということになる」。「内閣情報分析官を務めた小林良樹の定義によると、インテリジェンスの機能とは国家安全保障に寄与し、政策決定を支援することだ。これは国家安全保障のみならず、外交、経済や公安分野まで範囲を広げてもよいだろう」。
本書は、まえがき、序章、全5章、終章、あとがき、などからなる。その構成は、「終戦直後の占領期、吉田茂政権期、冷戦期、冷戦後、第二次安倍政権期と、時代ごとに区切られる。その焦点はコミュニティの変遷にあるが、各省庁間の組織の攻防、冷戦期のスパイ事案や通信傍受など、予備知識がない読者の方も興味を持って通読できるようになるべく多くの事例も紹介しているので、味読していただければ幸いである」。
本書の問いは、おもにつぎのふたつにある。「①なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか」「②果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか」。
そして、序章「インテリジェンスとは何か」の最後で、「戦前の様子から戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの課題」を、つぎのようにまとめている。「それは、省庁の壁を越えた情報共有の仕組みの整備や、また国家の政策決定に寄与するような国家レベルの情報機関の設置、それらは戦後どのように進展したのか、という点だ。それでは次章から、日本陸海軍や内務省が解体された後、縦割りの中でそれぞれの情報機関がどのように再建され、いかにして統合に向かい、コミュニティを形成していったのかを追っていくこととしよう」。
ふたつの問いの答えは、終章「今後の課題」の冒頭の「現場レベル」の見出しの下にある。「①については、吉田政権時代の頓挫と、その後の政権がインテリジェンス改革に消極的であったこと、そして冷戦期は独自の外交・安全保障を追求する必要性がなかったため、国として情報が必要とならなかったためだと指摘できる」。
「②の縦割りの弊害の問題については、戦後しばらく引きずった印象がある。しかし冷戦後に国家レベルで独自の外交・安全保障をまとめる必要性が生じたため、インテリジェンスを掌る内調に手が加えられた。また運用面においては縦割りの緩和が徐々に進んだ。明確な契機はNSC/NSS[国家安全保障会議/国家安全保障局]の設置であり、内調はNSC/NSSとインテリジェンス・コミュニティを連携させるような運用を通じて、コミュニティの一体感を高めたのである。また第二次安倍政権時代の官邸官僚の台頭は、それまでの「省庁利益代弁者」としての官僚像を払拭することになったとも指摘できる」。
つづけて終章では、「公開情報とサイバー対策」「偽情報」「A4用紙1枚の分析ペーパー」「戦略レベル-経済安全保障」「ファイブ・アイズ」「国民への説明責任」の見出しの下、「今後の課題」を列挙している。「国民への説明責任」については、2013年の「特定秘密の保護に関する法律案」を念頭において、「インテリジェンスの強化だけでは、それが適切に運用されているのか、国民が監視対象となっていないか、といった点について、コミュニティの透明性の確保や説明責任が重要になってくる」と述べている。
しかし、つづけてつぎのようにただし書きしている。「インテリジェンスの世界では公にできない情報があるのも事実であり、すべて公開すれば国益を棄損する可能性もある。そのため特定秘密保護法案制定の際には、国会での議論を踏まえた上で、情報監視審査会や公文書管理監が設置され、今の所、監視は機能しているといえる」。「しかしこれらはあくまでも特定秘密そのものを監視するための制度であり、インテリジェンス・コミュニティの各組織の活動をチェックすることはできないし、内調も組織上、内閣官房長官の下にあるが、その活動について官房長官から公に説明されることもない」。
このただし書きを読むと、不安になる。「インテリジェンス担当の政治家を置く」ことを提案しているが、これは政治家や政府の良心に任せるということか。そして、「まずは何よりも、国民一人ひとりがインテリジェンス分野に対する関心を高めていくことが重要ではないだろうか」と締め括っている。2013年の「特定秘密の保護に関する法律案」のときに、関心を高めたが、ことがことだけに、いくら「丁寧に」説明されても、すっきりしないものが残る。
「あとがき」に、つぎのようなただし書きがある。「本書はまだ俯瞰図に留まっている。戦後日本のインテリジェンスについての公文書はほとんど残されていないため、今回依拠した資料は、国会議事録、新聞・雑誌記事、二次文献、そして膨大な数の実務家インタビューとなっている。そうなると古い時期ほど資料が残っておらず、詳細を辿ることが困難となる。本来であれば政府の公文書に基づいた研究を進めるべきなのだが、そのようなものは現状、全く整備されていないので、今後は散逸した資料を収集し、それに基づいた実証研究を構想しているところである」。
なんとも心許ない話で、不安はさらに広がる。このようなインテリジェンス活動の必要のない社会の実現をめざすべきだろうが、現実に対処しなければならない事実がある。先は暗い。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
コメント