根川幸男『移民船から世界をみる-航路体験をめぐる日本近代史』法政大学出版局、2023年8月1日、290+5頁、3800円+税、ISBN978-4-588-60369-3

 「移民」と呼ばれる人のイメージは、時代によってずいぶん違っている。本書に出てくる人びとには目的地があった。いまの「移民」には最終目的地はない。だから、「移民」の定義をする必要がある。著者は、「はじめに」でつぎのように記している。「本書の「移民」の定義については、とりあえず「ある民族や国家の成員が、就業の機会をもとめ、もとの居住地のそとに移住すること、またはその人自身」としておこう」。

 「本書は、主に「移民」と呼ばれた人びとが、どのような船で、どのように海を渡り、「世界」を見聞しつつ、どのように自らの価値観を変えていったのかを、具体的な体験として捉え直そうとするものである。また、目的地の人びとが、「移民」を運んできた船-「移民船」-をどのようにまなざし捉えていたのか、という問題も視野に入れている。さらに、こうした研究にはどのような史資料が残されているのかを紹介し、それらのいくつかの内容を検討する」。

 「本書の目的は、移民船をめぐる研究が、送出国(地域)と受入れ国(地域)という移民(史)研究の二大局面の間を越境/トランスする第三の局面として、きわめて重要かつ多くの課題を包含するとともに、その領域を押し拡げる可能性をはらんでいる点を明らかにすることである。また、そうした研究のためには、どのような史資料が活用できるのかを紹介する側面もあわせ持つ」。

 本書は、はじめに、序章、全8章、終章、おわりに、などからなる。「序章では、「移民船」とは何かというその意味や性格について定義するとともに、移民船研究における、航海日記、船内新聞、古写真、移民名簿といった依拠すべき史資料について概説する」。

 「第一章では、近代日本最初期の海外移民の例として、一八六八(明治元)年に行われた「元年者」のハワイ渡航を取り上げる。「元年者」移民の一人佐久間米松が遺した「日記」に依拠し、それを読みながら、近代最初の移民船航海の実態を明らかにする。第二章では、一九世紀末に日本が得た植民地である台湾への航海と日本人の航路体験を取り上げる。森鷗外や森丑之助、下村宏らの活動、台湾球児たちの甲子園遠征、北村兼子の紀行文、金関丈夫の探偵小説を時系列的に紹介し、それらの叙述を通して、内台航路をたどる人びとの体験に迫る。第三章以下では、日本人集団による史上最長の航海であった南米行き移民船の航路体験を取り上げる。すなわち、明治・大正期のジャーナリストで社会運動家であった横山源之助の報告を通じて、一九一二年の第三回ブラジル移民船・厳島丸航海の実態に迫り、初期移民船の生活世界を明らかにする。第四章では、移民輸送監督助手であった田辺定の「移民輸送日誌」を通じて、一九二七年のブラジル移民船・神奈川丸の航海の実態を再現する。第五章では、まにら丸の「航海日記」の内容を分析し、一九二〇年代末期のブラジル移民船航海の実態に迫り、国策移民期の大阪商船の移民船の実態を明らかにする。第六章と第七章では、移民船に関わる写真資料を取り上げる。すなわち、第六章では、一九三〇年代以降から戦後まで、移民船運航を一手に担った大阪商船の広報誌『海』の寄港地風景を写したグラビアを通じて、可視化された南米移民航路を追体験的に紹介する。第七章では、一九三〇年代初頭にブラジルに渡り、太平洋戦争開戦直前に帰国した森田友和氏所蔵の古写真と氏自身の語りを通じて、子ども移民の目から見た南米移民船の復航航海の一断章を記述する」。

 「一九世紀から二〇世紀は、近代交通革命とグローバル化により、旧大陸の人びとが新大陸の各地へ渡った「移民の世紀」であった。それは、ローカルな病原体が海を越えて世界中に拡散し交換される「感染症の世紀」でもあった。移民船に限らず、外国からやってくる船は、時に病原体を運ぶ媒体となり、船内でも感染を流行させた。第八章では、一九一八年の若狭丸、一九一九年のはわい丸、一九三三年のりおでじやねろ丸など、ブラジル行き移民船で発生した脳脊髄膜炎、麻疹、コレラといった感染症の流行を取り上げ、移民船を「文明の闘い」のフロンティアとして分析する。さらに、終章では、戦後日本の海外移民の復活とブラジル側での日本人移民受入れ再開の背景をさぐる。また、戦後移民の特徴であるオランダ船による南米までの航海を、移民たちが制作したデジタル記念誌を通じ、戦前移民や大阪商船による移民との相違を明らかにしつつ、移民客船の目に映った世界を再現する」。

 そして、「おわりに」で、つぎのようにまとめている。「近代日本の移民船の歴史は、一八六八年から一九七三年まで一世紀を超え、日本の近代史を網羅している。それにもかかわらず、移民の越境プロセスにおける航路体験に関心が向けられてこなかった。その原因は、国民国家を前提とした移民研究の枠組み、航海日数が短いハワイ・北米移民研究の比重の大きさ、移民船世代の消滅と航空機の進歩による船や海洋への関心・記憶・想像力の後退などが考えられる」。

 「本書は、そうした近代日本史の一断面として、日本の移民船の歴史を、明治維新期に行われた最初の移民船航海や帝国最初の植民地台湾への航路、二〇世紀初頭から戦後の高度経済成長の終末期まで続いた南米移民船を例に、移植民の航路体験に即して描いてみた。それは、日本人が西欧近代文明と出会い、遅まきながらみずから産業革命を起こすことで、列強諸国に追いつき追い越そうとした奮闘の軌跡でもあった。海外移民は、そうした日本の近代化のなかで生み出された矛盾、人口増加と経済問題の解決の糸口を外部化することによって進められた」。「近代日本人移民と移民船をめぐる歴史については、まだまだわかっていないことが多い」。

 「まだまだわかっていないこと」は、目的地に着いた後についてもいえる。その後の歴史は、その地にとどまった人を中心に描かれることが多くなるため、さまざまな理由で早々に帰国した人びとや、ほかの地に移動した人びとのことはよくわからない。そのような人びとが故郷や移動先にもたらした影響なども、あまり語られることはなかった。なにより、戦前の移民が「棄民」と呼ばれたように、家族、故郷、国からも見捨てられた人びとがいた。見捨てられた理由も、家族や故郷に原因があったり、日本が国力を増した結果であったりした。人びとの「越境」が身近になったいまだからこそ、かつてのものを再考する意味があるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。