大森淳郎『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』NHK出版、2023年6月25日、573頁、3600円+税、ISBN978-4-14-081940-1

 もう30年以上前になるが、戦場に行ったNHKの技術者にインタビューしたことがある。「なにがいちばん印象に残っていますか?」という質問にたいして、「ラジオ放送で音が出たことです」と誇らしげに語った。自分に与えられた任務をまっとうし、お国のためになったと思ったのだろう、満足げだった。多くの人びとは葛藤もせず、時代に流され、目の前の仕事に没頭した。このインタビュー記録は、出版に際してボツになった。

 いっぽうで、職務に疑問を感じながら、葛藤した人びとがいた。本書は、「アジア・太平洋戦争に直面した「放送人」たちの矜持や高揚、困惑や懊悩、才智や創意、そして諦念を克明に追い、戦時下ラジオの責任に真正面から向き」あった成果である。だが、そのなかで多くの「ボツ」になったものがあったことだろう。

 著者に本書を書かせたふたつの理由が、「あとがき」で記されている。ひとつは、NHKのディレクターとして、住民殲滅作戦を指揮した日本軍の元中隊長の責任を追及し、厳しく事実を突きつけ、証言を求めたのにたいして、戦争を賛美し、若者たちを戦場に送るうえで大きな役割を担った日本放送協会の責任を問わずに済ませるのか、という思いがあった。

 もうひとつは、「NHKと政治との距離について視聴者から疑問視されることが一度ならずあった」ことで、つぎのような具体例をあげている。「従軍慰安婦の問題について考えようとした『ETV2001』の改変は衝撃だった。後の裁判でも認定された外形的な事実だけを記すが、編集作業の最終段階で、NHK上層部の人間(通常は個別番組の編集に口を出すことはない立場である)が安倍晋三内閣官房副長官(当時)と会ってその番組について話をしたあと、幹部が制作現場に編集の変更を命令し、その結果、被害女性の証言や、昭和天皇および日本政府の責任に言及した部分などが削除されたのである。番組の担当デスクは二〇〇五年に記者会見を開き、改変の経緯を明らかにした。私たち職員有志は、検証番組の放送を求めて集会や話し合いを重ねたが、結局、実現できなかった」。「その後、事態の重大性を訴え続けた担当デスクと担当プロデューサーは放送現場以外の部署に異動となり、後に二人ともNHKを去った」。

 著者は、2016年からNHK放送文化研究所の研究員となり22年に退職して、退職後に本書を出版した。まだ40代だった内閣官房副長官は、このとき「権力」の味を知ったのか、「忖度」される存在になり、白昼演説中に銃撃された。このとき止めていれば、ここまで権力に酔うことはなく、悲惨な最期を遂げることもなかったかもしれない。

 本書の結論は、最終章の「第8章 敗戦とラジオ」の最後の節の「7 何が変わらなかったのか」に、つぎのように書かれている。「日本の政治権力は変わらなかった。放送への、とりわけ公共放送NHKの影響力を保持しようとしてきた。そして、そういう権力に同調する勢力がNHKの内部に存在し続けたことも変わらなかったことである。すべての番組が政府協力の一線で統一されていなければならないと放送現場に通達した企画委員会の委員たちはその典型であろう。彼らとて戦時ラジオ放送を肯定していたわけではないが、彼らにとってそれが否定されなければならない理由は、政府の政策が間違っていたからであり、日本放送協会が政府にコントロールされていたからではない。彼らにとって、「公共放送」の意味するところは、戦前・戦中と変わってはいない。それは、政府と一体となった放送のことだ」。

 本書は、序、時系列の全8章、あとがき、からなる。戦時下のラジオ放送といえば、通常1941-45年を指すが、「本書においては満州事変、日中戦争の時代も射程に入れる。戦時ラジオ放送は、太平洋戦争の開戦とともに突然始まったのではなく、日本と世界の間の軋轢・緊張の中で次第に形づくられていったものだからだ」。「本書では日本国内の放送に対象を絞った。現在、私たちが日々に接する放送に直結する国内放送こそ、まずしっかりと検証されなければならない」からである。そして、「最終章では敗戦後の占領期の放送も広義の戦時ラジオ放送として考察する。放送法に基づくNHKの再出発までを射程に入れることで、戦時ラジオ放送と戦後の放送との間の連続と非連続を考えたいからである。それは「放送の公共性とは何か」という、今日なお新しい問題と向き合うことにほかならない」。

 全体の内容は、つぎのように最終章でまとめられている。「本書では、戦時ラジオ放送を牽引した才能豊かな先輩たちが苦悩する姿を見てきた。ドキュメンタリーという新しいジャンルの可能性を切り拓きながら、結局は国策宣伝番組に回収されてしまった録音構成の作り手たち。組織人として生きるために、詩人の魂を封印するしかなかった多田不二。デューイやキルパトリックから学んだ民主的な教育を学校放送で実践しようとしながら、いつしか軍国教育の旗振り役になってしまった西村三十二。ラジオの指導性を追求し、挫折した奥屋熊郎。自分の心に背いて偽りの戦況ニュースを伝えるしかなかった柳澤恭雄……。戦時ラジオ放送の現場は、優れた才能の墓場でもあった」。

 そして、つぎのように続けて、最終章を締め括っている。「彼らを批判することはたやすい。だが、本書を閉じようとする今、私の胸を押しつぶすのは、「偉そうなことを書いてきたが、お前がその立場に立ったらどうしていたんだ」という苦い思いだ。そうなってからでは遅いのだ」。「逓信官僚・田村謙治郞は、日中戦争勃発の三年前、日本放送協会の職員に向けて「先ず第一にジャーナリストの思想を一掃しなければならぬ」と言い放った。太平洋戦争の最中、日本放送協会企画部長・横山重遠は、ラジオは「国家の宣伝機関」であり「チンドン屋」であると言い切っていた」。「権力がメディアを支配しようとすればどこまでやるのか。そして、メディアはどこまで腐り果てていくのか。戦時ラジオ放送は私たちに教えている」。

 この情報化時代に、腐り果てる前になにをすべきなのか。そのひとつは、本書で除外した海外放送だろう。「アメリカなどに向けた対敵放送、アジア各地に向けた宣伝放送、さらには外地放送局(朝鮮半島や台湾などの植民地、傀儡国家・満州、あるいは南方占領地などに作られた放送局)」でなにかおこなわれたのかを検証することで、これからの日本がおこなうべきグローバルな放送、地域のための放送、ローカルな放送から、あるべき国内放送がみえてくるかもしれない。国から離れることによって、政治に翻弄されない本来の「公共放送」がみえてくるだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。