戸ノ下達也『戦時下日本の娯楽政策-文化・芸術の動員を問う』青弓社、2023年8月14日、263頁、2800円+税、ISBN978-4-7872-2100-1
本書の目的は、「はじめに」で、つぎのように述べられている。「満州事変期からアジア・太平洋戦争期に至る戦時期には、政治・経済だけでなく文化や人々の日常が総力戦体制構築とその遂行のために統制され、動員されていた。何より政府による統制、取り締まりや指導が徹底されていたのが、ほかでもない余暇・娯楽だ。この事実は、コロナ禍で、文化・芸術活動が制約され、飲食や旅行が規制されている現在、自民党・公明党の連立政権が続いている現在、そして戦争が現実になった現在を考えるうえでも非常に示唆的である。本書は、そのような問題意識を発端として、戦時期の娯楽政策を再考することで、現代社会に警鐘を鳴らそうという試みである」。
「本書は、十五年戦争期の娯楽政策のありようを、主に筆者の問題関心である音楽文化の観点を中心に考察」し、先行研究はつぎの3つの視点から考察されてきたという。「第一は、映画、演劇、音楽、浪曲、レビュー、ダンス、メディアなど個々のジャンルの特徴を考察したものである」。「第二は、ジャンルを横断した考察で」、「社会状況や政策なども関連付けながら様々な文化状況を描いている」。「第三は、歴史学や社会学の観点からの戦時期の文化へのアプローチである」。
だが、「これらの先行研究は、一次資料をひもときながら、戦時期の娯楽のありようをそれぞれの視点で丹念に考察」しているが、「内閣がどのような根拠に基づき、どのような目的や意識で娯楽政策を企画立案し、どのような手法で推進したのかという政策の実態については、そのプロセスを含めて十分に解明されているとは言い難い。何よりどのような根拠に基づいて政策が実施されたのかを明らかにしないと、戦時期の文化の全体像がつかめないのではないか」。
「そこで本書では、文化統制に関わっていた内務省・府県警察と、戦時期のインテリジェンスや文化政策を推進した内閣情報部(一九四〇年十二月に情報局に改組)の政策を軸に考察し、①内閣が国策遂行のために「娯楽」をどのように活用したのか、②どのような役割を期待し、どのようなプロセスで政策を実施したのか、そして③その狙いを音楽界がどのように意識して対応したのかを見通すことで、国民の日常に欠かすことができない娯楽がどのように総力戦体制に組み込まれていったのか再考する」。
各章の概略については、つぎのようにまとめられている。「第1章「戦時期の娯楽認識」では、戦時期に娯楽がどのように認識され位置付けられていたのかを、内閣の認識と娯楽状況の調査結果から概観する。そして第2章「満州事変期の娯楽政策」で、満洲事変期の娯楽政策を文部省と内務省の認識を確認したうえで、娯楽政策として展開したダンスホール(舞踏場)取り締まりとレコード検閲を軸に整理する。第3章「日中戦争期の変遷」では、満洲事変期の娯楽政策が日中戦争期に至ってどのような変遷を遂げていくのかを整理する。そして第4章「内閣情報部の娯楽政策」では、内閣情報委員会が内閣情報部、情報局と改組・拡充するなかで、どのような娯楽政策が推進されたのか、特に国民精神総動員運動に焦点を当てて考察する。第5章「アジア・太平洋戦争期の内閣の文化政策」では、アジア・太平洋戦争期の娯楽政策を推進した情報局と内務省を中心に娯楽政策に対する意識と具体的な施策を検証する。第6章「戦略的守勢から敗戦に至る文化政策」では、戦略的守勢期に展開した娯楽政策のあるようとその影響を、決戦非常措置要綱を軸に整理する。そして第7章「敗戦に至る娯楽政策」では、一九四四年後半から東久邇宮内閣に至る娯楽政策の状況を再考する」。
そして、「おわりに」で、つぎのようにまとめている。「これらの政策は、商工省、内務省や警視庁・各府県警察、外務省、情報局がそれぞれの所轄に基づいて推進し、その政策が法令、閣議決定や閣議諒解、通牒などとして関係する業界の管轄団体や懇談会に示達され、これらの組織主導で具体的施策を立案・実行させていた。このように示達された政策は、ときに拡大解釈や自主規制をも伴いながら、国民生活を規制し強制となって実施されていく。特に内閣と立法が自らの政治課題を推進するために閣議決定や諒解、通牒によって、人々の娯楽や慰安に関わる音楽を通じた政策を遂行した結果、敗戦という国民の日常を破綻に導いた事実は、現在に通じる課題として再考すべき問題である」。
さらに、つぎのように問題を指摘して、「おわりに」を閉じている。「具体的施策が閣議決定や、国会審議を必要としない政令や省令で対応される問題がある。そして公文書を残さない、管理しないという内閣の姿勢も糾弾すべきではないか。公文書が、政策の企画・検討や実施過程の記録と検証でいかに重要であるかは、本書で明らかにしてきた。これら最近の内閣のスタンスの危うさは、本書でも縷々述べてきた戦時期の娯楽政策の展開と共通するものであることを指摘しておきたい」。「あらためて私たちは、この歴史から学ぶことが大切なのではないだろうか。政治のありようを凝視し、二度と同じ過ちを繰り返さないために、何をなすべきか。しっかりと考え行動していかなければならない」。
本書では、なんども新型コロナウイルス感染症が蔓延するなかでの「文化」政策にたいする疑問が呈されている。非常事態にたいして、目先しか見えない者と将来を見据えている者との差がはっきりとあらわれている。人間の本質を問う者と無頓着な者との差といっていいかもしれない。それが、国家の政策なら国家の本質というものが問われることになる。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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