ジョージ・アキタ/ブランドン・パーマー著、塩谷紘訳『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』草思社文庫、2017年2月8日、378頁、1100円+税、ISBN978-4-7942-2259-6

 「文庫版訳者あとがき」に、スタンフォード大学の歴史学者ピーター・ドウス名誉教授の献辞の一部が、つぎのように紹介されている。「本書に啓発される読者もいれば、反感を覚える読者もいるだろう。だが、いずれの読者も、この未解決かつ重要なテーマに対する理解は確実に深まるのである」。本書は、2013年に刊行された日本語訳を文庫化したものである。

 本書の大半を記したジョージ・アキタは、「はじめに」でまず自分が研究を進めるにあたって「従ってきた一定のガイドラインについて」、つぎのように説明している。「読者各位は、1章を読み始めるとすぐに、本書執筆の資料とした諸文献からの引用を次から次へと読まされることになると気づかされることだろう。こうした叙述の仕方が読者を退屈させてしまう場合もあることを、私は十分心得ているつもりだ」。

 「それでも私はこの際、読者各位には少々大目に見ていただくようお願いしたい。なにしろ私は、まだまだ知るべきことが多いうえに、場合によっては読む人々の感情を激しく掻き立てる「日本統治時代の朝鮮」という、きわめて微妙かつ重大なテーマに取り組んでいるからである。また、読者各位は、私が近代日本の政治史研究を専門とする歴史学者であること、あるいは私が日系人であることから、この重要なテーマに関して、私が個人的な偏見や否定的な先入観を持っているのではないか、と当然のことながら感じられるかもしれない」。

 「そのような事態を可能な限り避けるために、私は本書の中で、韓国語あるいは英語を母国語とする朝鮮問題の専門家たちにできるだけ多くの意見表明の場を提供した次第である。もちろん、韓国および北朝鮮の人々や、民族主義的歴史観〔朝鮮民族の優秀性や自立性を強調する、いわゆる「民族史観」〕を信奉するその他多くの人々の微妙な感情を逆撫でするようなことは、もとより私の意図とするところではないし、共著者のブランドン・パーマー氏にしても、その点は同じことだ。また、当然のことながら、われわれの目的は日本を崇めることでもない。本研究が示す詳細な事実や分析によって、われわれが本書のために選んだタイトルが正しかったことが、必ずや立証されることを固く信じる次第である」。

 本書は、序文、はじめに、6部全18章、訳者あとがき、文庫版訳者あとがき、からなる。各章はわずか1頁のものから99頁まで長短さまざまで、各部と関連する論考を並べ、統一がとれていない。各部のタイトルは、つぎの通りである:「統治史研究の最前線」「統治の実相」「統治と司法」「日本の統治と近代化」「軍人と文官」「統治政策の評価」。

 最後の第18章「「九分どおり公平(フェア)」だった朝鮮統治」の最後の見出し「希望と可能性の地だった植民地朝鮮」は、つぎのように結ばれている。「もちろん、本研究は朝鮮において日本が行なったことを取り繕うことを意図してなされたものではない。だが、一方でわれわれは、日本による朝鮮統治を可能な限り客観的に検証した本研究の結果を通して、朝鮮・韓国系の人々が往々にして極端に偏見に満ち、反日的な歴史の記憶をあえて選択して記憶に留める傾向を、可能なことなら少しでも緩和するお手伝いをするべく努力してきた。その中でわれわれ二人にとって非常に印象的だったのは、朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府が善意をもってあらゆる努力を惜しまなかったという事実だった。だから日本の植民地政策は、汚点は確かにあったものの、同時代の他の植民地保有国との比較において、アモス氏の言葉を借りて言うなら、「九分どおり公平almost fair」だったと判断されてもよいのではないかと愚考するしだいである」。

 中国、韓国などからの留学生が大半を占めるところで教えていると、これらの大学院生が期待して受講したものと違う授業をわたしがしていることに気づかされる。民族史観教育を受けた者は、日本の民族史観教育がどのようなものか、知りたかったのである。このような大学院生相手だと、まず共通の知識、歴史観がないため、議論を中心としたアクティブラーニングを取り入れた授業になる。つぎに、学問のための研究とはどういうものなのかを理解してもらうことになる。近代歴史教育とは、国民国家の良い市民になるためであるから、民族史観教育になることは致し方ない。だが、学問は別だ。本書で、提示したいことも、研究のための検証である。教育のためではない。

 日中韓のフォーラムに何度か参加し、発表した。中国と韓国の研究者がいっしょになって民族史観丸出しで日本を攻撃の対象とするものと、それをまったく避けたものとに2分される。日本人研究者は、後者になる。前者のような講義を大学でもしていることは、学生をみていると明らかだが、学生は案外冷めて、わたしの授業を受けている。どこの国でも、自国中心の研究をする者が一定程度いる。だが、学問的成果に基づく研究の基盤整備をしておかなければ、学生も一般の人びとも歴史から離れていく。
 本書が重要な意味をもつのは、その基盤整備のために必要なことを、具体的事例をあげて論述していることである。本書は、日本語訳がまず出版されて、英語版は2015年に出版された。韓国語に翻訳されたのか知らないが、国際的に議論できるようになった。二国間関係で、当事国同士が議論しても客観的な成果は得られない。本書によって、今後の日韓関係史の発展が期待できる。

 それにしても、主権を奪われ肝心なことを自分たちで決められず、宗主国の豹変でどうなるかわからないような植民地支配を、いかに理由づけしても肯定的に捉えることはできない。著者も同じ思いだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。