池尾愛子『天野為之-日本で最初の経済学者』ミネルヴァ書房、2023年12月30日、287+6頁、2800円+税、ISBN978-4-623-09603-9

 「彼を知らずして「日本の経済学」は語れない。」と帯に大書してある。早稲田大学に関係していても、創立者のひとりで第2代学長の名はあまり知られていない。学内の施設にも、大隈重信(1938-1922)のほか小野梓(1852-1886)や高田早苗(1860-1938)といった創立者のメンバーの名を冠したものはあっても、天野為之(1861-1938)のものはない。

 著者、池尾愛子は、天野研究が遅れた理由を、つぎのように4つあげている。「第一に、明治期の独特の漢文調日本語と漢字カタカナ交り文が後の読者・研究者の理解を阻んでいた。第二に、学長職をめぐって対立があり、天野は一九一七年(大正六)年一〇月に早稲田大学を辞職したので、同大学にはほとんど資料が残っていない。第三に、一九二三年九月一日の関東大震災により天野宅は全焼し、多くの図書・書簡・史料も焼失した。第四に、天野が校長職を務めた早稲田実業学校は、第二次大戦末期の空襲により全焼した」。

 それでも、1950年に唯一の伝記が出版され、序文で「経済学の巨星とされる福田徳三」が「明治期の三大経済学者として、福沢諭吉、田口卯吉」と並んで天野為之をあげたことに言及した。しかし、「福田博士の天野称賛の弁を裏付けるまでには至らなかった」ことから、著者はこの「やり残したことを遂行することを目標にして、天野の経済学、様々な社会的活動、立ち位置を中心に、歴史的背景や知的環境とともに描き出すような評伝を書こうとした」。そして、「天野為之の研究を進め、本書になる論文や原稿を執筆していると、天野の経済思想と経済学の先駆性、政策論議での先見性に改めて気づくことになった」。「「天野の先駆性はどこから来たのか?」「なぜ天野は先見の明をもてたのか?」という謎めいた疑問がわいてきた。こうした疑問をかかえて」「唐津を訪問すると、答えのヒントがみえてきた」。

 本書は、はしがき、全8章、参考文献、あとがき、天野為之年譜、人名・事項索引などからなる。著者は、「怒濤の時代を生き抜いた」天野の人生を、「各章ではわかりやすく説明できる事柄を先に書き、細部については後段に書いて、時間的順序に従っていない部分がある」。「明治時代についての研究が進むことを祈って関連する情報を盛り込むように努力した。巻末の参考文献には関連定期刊行物一覧を含めた。明治期やそれ以前の経済思想研究がよりいっそう進むことを心から願っている」。また、「日本経済思想史学会に参加していると、江戸時代の日本では、地域ごとの経済的特性したがって経済思想的特性がちがっていることに気づかされ」た。

 それゆえ、第一章「天野為之と唐津」は「天野が少年時代を過ごした北九州の唐津」からはじめることになり、「豊臣秀吉が活躍する頃からの歴史をたどることにした。天野と唐津の少年たちが、将来の日銀総裁、総理、蔵相になる高橋是清から英語を学び、高橋の背中を追って東京に出て活躍する機会を広げたことも注目される」。

 第二章「英語での経済学」では、「天野が新設まもない東京大学において、アメリカ人アーネスト・F・フェノロサ(略)から経済学や政治学、西洋哲学史を英語で学んだことをみる。そのときの経済学教科書はイギリス人J・S・ミル(略)の『経済学原理』(略)であった」。
 第三章「日本の伝統への視線」では、「天野や彼の同世代人たちが英語で専門科目を学んだあとで、日本の伝統にも視線を注いだことをみる。天野の同世代人たちは、新しい日本で使えるものを過去から探して、二宮尊徳を見つけ出した」。

 第四章「天野為之の経済原論」では、「天野の『経済原論』(一八八六c)と、それが進化を遂げた版『経済学綱要』(一九〇二)をとりあげる。天野の『経済原論』は彼の経済学の要であり、第二次大戦後に複製版が出されるなど、歴史的にある程度注目されてきた。天野経済学の発展の成果である『経済学綱要』は同時代の人々には注目されていた。彼は二宮尊徳の思想を自身の経済学の枠組みに取り込んでいった」。

 第五章「政府の商業政策(商政標準)」では、「天野流の自由経済思想がもっともよく表れた『商政標準』(一八八六d)を検討する。同書の背景、歴史的文脈を探求してゆくと、二つの出来事と重なる時期であったことに気づく。第一に、天野の唐津での英語の先生であった高橋是清が初代の商標登録所長と専売特許所長として活躍しようとしていた時期であった。第二に、利益がうまく上がらない、あるいは、従業員リーダーを育てるなどの役割を終えた官営事業が払い下げられようとしていた時期と重なっていることが浮かび上がってきたのである」。

 第六章「『東洋経済新報』と経済策論」と第七章「金融政策論と人材育成」では、「天野の『東洋経済新報』を通しての活躍をとりあげる。その手本はイギリスの経済誌『ロンドン・エコノミスト』(略)であった」。「天野の租税論議は高い評価をうけ、外交と貿易に関しては「日本と清国の貿易を振興し、両国の経済力を強化して世界の経済競争に備えよう」という主張は斬新であった」。「一九〇四年の早稲田大学商科設立の背景には、経済教育や実業教育(人材育成)の重要性が認識されたことが大きいであろう」。

 第八章「天野為之の復権」では、「天野為之についての論評や研究を、彼の人生を交えて展望することによって締めくくっている。天野については、彼の同世代人や彼より若い人が論評していただけではなく、歴史家たちも研究対象とし始めていた」。

 副題の「日本で最初の経済学者」については、「はしがき」でつぎのように説明している。「天野為之は、「大学教育を受けたうえで、大学等で経済学科目を教え始めた最初の日本人」であり、明治時代にベストセラーとなる自著『経済原論』を出版し、常に新しい経済書と経済論文を和文と英文・英訳で読み続け、日本の経済問題をみつけては経済学を使って分析し解決を目指して、経済論議と経済学講義をアップデートしていたのである。それゆえ、「日本で最初の経済学者」と呼ばれる資格をもっている」。

 「天野為之を研究するためには、彼が長年教鞭を執っていた早稲田大学にいなくてはほぼ不可能であろう、と囁かれてきていた」という。著者は、「早稲田大学に着任してから一二年めにようやく天野研究に着手でき、さらに着手してから一二年めに天野伝の原稿をなんとか脱稿することができた」、と「あとがき」で述べている。

 早稲田大学は、現在在籍者数5万、専任教職員数2000を超える大所帯である。玉石混淆のなかで多くの逸材を輩出し、大量の資料をかかえているが、充分に利用されているとはいえない。本書が示したように、早稲田大学にかかわるだけでなく、日本さらには世界にも広がる研究ができるだけのものがある。学長・総長経験者でも、ほとんど知られていない人もいる。本書でも、1917年の「早稲田騒動」のあと、第3代学長に就任した平沼淑郎の名はまったく出てこない(弟は1939年に首相になる平沼騏一郎)。

 「早稲田騒動」の影響は大きかった。天野為之本人が大学を追われただけでなく、「天野派」の中心人物のひとりとされ、教授を解任された原口竹次郎は、05年の第1回卒業生総代だった。その後、大隈重信の口利きもあって台湾総督府に職を得、日本の「南方関与」の最前線に立つが、当時すでに早稲田大学卒業生では、15年に設立された南洋協会の事実上の創設者の井上雅二がマレー半島で護謨農園をはじめていた。14年にシンガポールで日刊『南洋日日新聞』を創刊した古藤秀三は、大隈重信に請願書を送り、新装版発刊時には祝電を得ていた。早稲田大学の名声はシンガポールにも及び、偽卒業生まで出没した。南洋調査・視察の途上で、あるいは欧州航路で寄港した関係者が講演し、歓送迎会が催された。早稲田大学校友会新嘉坡支部を拠点として、天野経済学を学んだ者やその「弟子」が南洋で実践していた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。