藤谷浩悦『井上雅二と秀の青春 一八九四-一九〇三-明治時代のアジア主義と女子教育』集広舎、2019年1月1日、420+48頁、4500円+税、ISBN978-4-904213-66-7
何十という著書があり、その著書にあきらかに日記によったものがあり、その日記自体が公開され、さらに索引には多々有名人の名があって、研究のための資料には事欠かないと思われるにもかかわらず、井上雅二(1877-1947)にかんする研究はほとんどなく、安直にその航跡を知ることはできない。本書によって、70年の人生のわずか10年であるが知ることができて、研究の第1歩が踏み込めたようだ。それだけでも、本書の意義は大きい。
秀(1875-1963)については、2015年下半期のNHKの「朝ドラ」「あさが来た」を観た人にとっては、「こういうことだったのか」と改めて知ることができる。ドラマの主人公のモデルである広岡浅子は、本書に索引から20ページにわたって登場する。
本書の概要は、帯の裏につぎのようにまとめられている。「日清戦争後、日本は国際社会に躍り出ながら孤立を深め、国内では未だに女性の教育機会が男性に比べて著しく制限されていた時代、若き夫婦が将来を見据えて、懸命に進むべき路を模索していた。一人は荒尾精に師事し、東京専門学校(現在の早稲田大学)に学び、アジアの連帯を求めた井上雅二、もう一人は成瀬仁蔵に傾倒し、日本女子大学の一期生となり、女子教育の発展に尽くした井上秀である。二人はこれ以降、アジアだけでなく、世界を舞台に活躍し、明治、大正、昭和の一時期を駆け抜けた。本書は日本の外務省文書、井上雅二日記、明治時代の新聞や雑誌の記事を丹念に読み解きながら、この二人の青春期の苦闘を明らかにし、近代日本のアジア主義、女子教育の諸相を描き出したものである」。
本書の目的は、「序論」でつぎのようにまとめられている。「本書は、井上雅二と秀の生涯のうち、一八九四年の日清戦争勃発から一九〇三年の日露戦争前夜までの青春期の活動に考察を加え、あわせて一、日本のアジア主義者の思想と行動、二、日本の女子高等教育の展開、三、日本と清国、朝鮮、暹羅(タイ)の交流、以上の三点を跡付け、これまでの研究で未詳であった部分を明らかにすると共に、日本とアジアの多様な関係を浮き彫りにするものである。この場合、日本のアジア主義者の思想と活動は、東亜会や同文会、更に東亜同文会の成立と活動を中心に、日本の女子高等教育の展開は、日本女子大学校の設立を中心に、日本と清国、朝鮮、暹羅の交流は、日本のアジア主義者による清国、朝鮮、暹羅の改革への関与を中心に分析する」。
著者、藤谷浩悦は、考察にあたって、つぎの3点に留意した。「第一点は、日本のアジア主義者の思想と行動、特に東亜会、同文会、東亜同文会の成立と活動である。第二点は、日本の女子高等教育の展開、特に日本女子大学校の設立である。第三点は、日本と清国、朝鮮、暹羅(タイ)の人的交流、特に日本のアジア主義者の支援である。本書はこの三点の分析を行うことで、日本とアジアの多様な関係を跡付けた」。
本書は、序論、4部全11章、結論、あとがき、文献目録、索引、などからなる。第一部「彷徨の日々(一八九四-一八九七)」は3章からなる。「第一章 郷里からの旅立ち-アジア主義と女子教育」では、「井上雅二と秀が丹波篠山で育ち、いかにして自立し、婚約をして、各々の道を選択していったのかが考察の対象になる。同時期は、井上雅二が鳳鳴義塾を出て、海軍機関学校を中退後、荒尾精と出逢い、荒尾精の薫陶を得て、台湾総督府民政局に勤務し、多くの体験をして、日本の植民地行政に関して教訓を得る一方、井上秀が父の井上藤兵衛の反対を押し切って京都府高等女学校に入学し、同校卒業後も郷里には戻らず、自立の道を模索した時期にあたる」。
「第二章 井上雅二と秀の模索-禅とキリスト教、柔道」では、「井上雅二と秀が進路を選択するにあたり、周囲の人々からどのような影響を受け、進路を決定したのかに考察を加える。井上雅二は荒尾精から、秀は成瀬仁蔵から各々大きな影響を受け、共に生涯の師と仰いだ」。
「第三章 雅二の修養、秀の勉学-結婚と別居生活」では、「井上雅二と秀の結婚前後の成長過程に考察を加える。同時期、井上雅二は東京専門学校で勉学に勤しむ一方、師・荒尾精の死という衝撃的な出来事を迎え、井上秀は京都府高等女学校卒業後、新たに勉学の道を進むことになる」。
第二部「清国の改革への思い(一八九八)」は3章からなる。「第四章 井上雅二と東亜会-日清聯盟の展開」は、「日清戦争の敗北後、清国で改革運動が起こり、一八九七年一一月のドイツの膠州湾占領事件をへて、日本との連携を目指す動きが強まる過程で、井上雅二がいかなる行動を起こしたのか、また日本で成瀬仁蔵が日本女子大学校の設立計画を練り、資金集めに奔走する中で、井上秀がこれにどのように応じ、いかなる障害にあったのかに考察を加える」。
「第五章 戊戌政変と日本の反応-康有為と井上雅二」では、「一八九八年、光緒帝が戊戌変法を発動し、井上雅二がこの視察、調査を目的として清国を周遊し、北京で戊戌政変に遭遇し、梁啓超、王照らの日本亡命を手助けする過程、及び日本の女子教育の普及及びキリスト教宣教師の影響を受けて、清国で女学堂が設立される経緯に考察を加える」。
「第六章 日本亡命者の処遇問題-東亜同文会の設立」は、「日本のアジア主義民間団体が康有為、梁啓超、王照らをどのように処遇し、また井上雅二がこれにいかに対応したのか、また成瀬仁蔵が失意からいかに立ち上がり、どのように日本女子大学校の設立に向けて活動を開始し、井上秀がこれにどのように呼応したのかに考察を加える」。
第三部「青春の蹉跌(一八九九-一九〇一)」は3章からなる。「第七章 上海改革派と女子教育-前途への期待と不安」は、「井上雅二と秀の一八九九年の生活と行動を中心に考察する。井上雅二は同年、東京専門学校英語政治科を卒業し、秀との間に第一子、支那子を授かる。井上雅二は東亜同文会上海支部事務員の任に就き、上海の改革派と交流を深めた。また、井上秀も出産と日本女子大学校の設立準備に、慌しい時間をすごした」。
「第八章 井上雅二と秀の転機-一九〇〇年の衝撃」は、「井上雅二が一九〇〇年の義和団戦争の最中に何を考え、唐才常の自立軍蜂起、孫文の恵州蜂起にどのように対応し、また井上秀が翌一九〇二年四月の日本女子大学校の設立を控えていかなる準備を行ったのかに考察を加える」。
「第九章 欧州留学と女子大学校-井上雅二と秀の決意」は、「井上雅二がなぜ、ウィーンを留学先に選んだのか、ウィーン留学で何を考え、いかなる体験をしたのか、また井上秀が日本女子大学校の開校でいかなる役割を果たし、どのような教訓を得たのかに、考察を加える」。
第四部「再起と実践(一九〇二-一九〇三)」は2章からなる。「第一〇章 アジア周遊と家政学-井上雅二と秀の曙光」は、「井上雅二が中央アジア周遊を志した動機と経緯、及び中央アジアで経験した事柄、更に日本女子大学校の設立がアジアに与えた影響に考察を加える」。
「第一一章 井上雅二と秀の再会-ドイツ、ロシア、暹羅、韓国」は、「井上雅二が一九〇三年初頭、ロシアとブルガリアを訪問し、バルカン問題をいかに捉え、バルカン問題が東アジアに及ぼす影響をどのように見て、更に帰国後、いかなる活動を行ったのかに考察を加える」。
そして、「結論」では、「一 井上雅二とアジア」「二 井上秀と女子教育」を、それぞれまとめた後、「三 今後の課題」で、「井上雅二は、世界の大勢を見据え日本の進路を定めたグローバリストとしての側面と、明治政府の急速な欧化政策の反省に立ち、日本固有の文化の復興を説く国粋主義者としての側面の、二つを兼ね備えていた」、いっぽう「井上秀は、陽明学や禅、キリスト教を、自己犠牲、克己心などの特徴において、高い次元で一つに融合させて受け止めていたように思われる」と総括し、つぎのように「今後の研究課題」をまとめて締めくくっている。
「井上雅二の足跡の全体像はこれまでの歴史研究の枠組みを大きく逸脱しており、このことが従来、井上雅二に関する研究の蓄積の少なさとなって現れてきたように思われる。ただし、近年の歴史研究の枠組みの変化は、井上雅二の足跡にも新しい光を当てつつある。いわば、歴史研究の枠組みの変化は新しい歴史的事象の発見を促がし、新しい歴史的事象の発見は歴史研究の枠組みの変化をもたらすのである。この相関関係は、井上雅二だけではなく、井上秀についても同様に指摘することができる。明治期の女子教育は、欧米の、特にキリスト教宣教師の強い影響の下に始まった。そして、このことが、女子教育研究に欧米の女子教育の観点を内包させる一因にもなった。日本の女子教育研究もこれにより大きく進展したが、光のあてられる部分と共に、光のあてられない部分も多く残す結果になった。このような研究の枠組み、新しい観点の模索は、成瀬仁蔵は井上秀に対して、何故あれほどまでに強く家政学を究めるように勧めたのか、家政学が日本の女子教育全体の中にいかなる位置を占め、更にこの日本の女子教育が他のアジア諸国にどのような影響を与えたのかという点とも深く関わるものである」。
本書の「索引」には、膨大な数の人名が並び、ふたりの青春がこれらの人びととの出逢いであったことがわかる。とくに井上雅二にかんしては中国人などの名が連なり、索引にはないがタイやシンガポール、フィリピンなど東南アジア、中央アジアにも関連していた。これまで、個別に論じられていたことが、井上雅二という個人の行動を通じてつながっていたことがわかってくる。
「井上雅二日記については、本書とは別に、詳細な注釈を付して、一書にまとめ、出版したいと考えている」と「あとがき」に書かれているが、1904年以降のふたりの言動にもとづいた続編も大いに期待したい。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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