竹沢泰子『アメリカの人種主義-カテゴリー/アイデンティティの形成と転換』名古屋大学出版会、2023年2月28日、427+71頁、4500円+税、ISBN978-4-8158-1118-1

 本書は、著者の「アメリカ研究の集大成」である。これが著者、竹沢泰子にとって2冊目の単著であることに驚いた。編著・共編著・雑誌特集号などが、すでに17冊になるというのに。その2冊目を出版するにあたって、著者は並々ならぬ覚悟を決めて臨んだことが、「あとがき」につぎのように述べられている。

 「二作目の壁は厚い-はるか昔、一作目[1994年]の出版後に担当編集者からそう聞いてはいた。多くの研究者が最初の学術書をなかなか超えることができずに悩むのだという。私もその例に漏れず、三〇代半ばの勢いのある時に日米で出版した学術書の次の本をどうするかは、たやすい問題ではなかった。新書や他の単著の有難いお誘いを何度かいただいたが、私にとっての二作目はあくまでも最初の本を超えるものでなければならなかった」。わたしも1989年に1冊目の学術書を出した後、2003年まで出せなかったが、その後は「楽」になった。

 「初出一覧」をみると、「学生時代から比較的最近までの論考が並んでいる」。著者の贈呈挨拶状によると、「カテゴリーとアイデンティティをキーワードとして、大半の章はほとんど書き下ろしに近いかたちでこれまでのアメリカ関連の成果をまとめた」という。退職を機に出版される論文集の多くは、初出に多少手を加えただけで、初出時の状況を尊重したとか言い訳が書かれている。わたしも2012年に出版した『フィリピン近現代史のなかの日本人』(東京大学出版会)では、大幅に書き直すことができなかった。しかし、本書は違う。丁寧に、いまに向き合い書き直している。それは、新たに書くより手間が必要で、なにより頭のなかを整理し切り替える、とてつもない作業が必要だったはずだ。「二作目の壁」を乗り越えるために。

 本書は、序章、5部全10章、終章、あとがきなどからなる。書き下ろしの序章「システミック・レイシズムの新たな理解に向けて」では、「アメリカ研究の集大成」にふさわしい基本的なことが整理され、最後の「本書の構成」で各部、各章が紹介されている。

 序章に続く、第Ⅰ部「消費される人種カテゴリー」、第Ⅱ部「学知が創るカテゴリー」、第Ⅲ部「制度が創るカテゴリー」、第Ⅳ部「カテゴリーにもとづく差別」、第Ⅴ部「アイデンティティと人種カテゴリーのゆくえ」、および終章で、「社会の諸領域にみられるステレオタイプや諸制度における差別、さまざまな言説は、互いに連動し複合しながら社会システム全体の人種主義を構成し支え続けている」状況を考察している。

 「第Ⅰ部から第Ⅲ部では、ステレオタイプと資本主義、科学言説、社会制度に焦点を当て、これらがいかに人種主義の核心部において通底し、人種間の距離や優劣を創出・拡大してきたかを検証する」。第Ⅰ部では、「ジェンダーや年齢層、階級などが交差するインターセクショナリティに注意を払いながら、広告やジョークにおいて消費され続けてきた人種カテゴリーについて考察を行う」。第Ⅱ部では、「古典的人種学の中心を担ってきた人類学がアメリカにおいて創出した「大文字のRace 」をめぐる科学言説を概観する」。第Ⅲ部が「俎上に載せるのは、法制度としてのセンサスと帰化権をめぐる判例が創出するカテゴリーである」。

 第Ⅳ部では、「人種主義がカテゴリーにもとづき実践されてきた例として日本人移民・日系アメリカ人を主題とする。第二次世界大戦中、アメリカ政府が西海岸に居住する「日本人を祖先とするすべてのもの」を対象とし、強制立退き・強制収容を命じたことは周知の事実である」。

 第Ⅴ部では、「マイノリティ化された人びとがいかに自らに烙印された人種カテゴリーと向き合うのか、それがかれらのアイデンティティにどのように影響しているのかについて、アジア系アメリカ人アーティストの作品と語りをもとに考察する」。

 最後に終章「「ほどく」「つなぐ」がひらく未来へ-井上葉子とジーン・シンの作品と語りから」では、「日本と韓国出身の二人のアーティストの生きざまとメッセージをそれぞれの作品と語りに探りつつ、人種主義に押しつぶされることなく、未来に希望をつなぐ術があるのかを展望する」。

 本書に「結論」はない。著者は、終章の目的を冒頭つぎのように説明している。「アメリカの人種主義を筆者なりの視点から洗い直す本書の長い旅も、本章で終着点を迎える。あまりにも多領域にわたり、かつ複雑で厄介なこの課題に対して、本章で何らかの結論が提示できるわけではもちろんない。人種化され生命を脅かされ続けている人びとを守り、その地位向上や権利拡大に直結するような議論を提示できる能力も筆者にはない。本書を締めくくるにあたり、ひとつの小さな役割を本章に課すとすれば、それは、アジア出身の二人のアーティストの作品と語りを取り上げ、彼女たちの営みから放たれる問いと未来への希望へと読者を誘うことである」。

 本書に「卒業論文や修士論文まで恥を忍んで並べたのは、私の研究人生の出発点を記すことが学生たちへのエールになればと願うからである」と、著者は「あとがき」で述べている。それぞれの論文に取り組んでいる学生は、当然のことながらテーマに関連する学術書・論文を読んでいる。ところが、それぞれの分野・テーマには特有の研究史があり、ずいぶん偏った研究をすることになる場合がある。また、マイナーな研究分野では優れた学術書・論文に触れる機会が少なく、ただテーマに近いという理由だけで読んでいる場合がある。そういう学生にぜひ読んでもらいたいもののひとつが、本書である。専門分野・テーマにかかわらず良質ものを読むことはひじょうに重要で、自分自身の研究に直接役立つことも少なくない。問題はその良質のものがそれほど多くないことで、本書は著者の学生時代からの研究人生を振り返りながら書かれているだけに、学部生、大学院生、若手研究者のそれぞれの研究上の位置から本書を読むことができ、参考になることもそれぞれで違うだろう。

 厚い「二冊目の壁」を超えたことで、「楽」になって書かれる3冊目以降に期待したい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月(予定)。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&creator=%E6%97%A9%E7%80%AC+%E6%99%8B%E4%B8%89&page_id=13&block_id=21 )
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第一期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。