脇村孝平編著『近現代熱帯アジアの経済発展-人口・環境・資源-』ミネルヴァ書房、2024年3月30日、317頁、5500円+税、ISBN978-4-623-09732-6
本書でいう「熱帯アジア」とは、東南アジアと南アジアのことである。なにかしら、西の方からみたインド、さらにその向こうという感じがする、と思いながら読みはじめた。
本書の概要は、表紙見返しにつぎのように書かれている。「今日、東南アジアおよび南アジア、すなわち「熱帯アジア」における経済発展は目覚ましい。いまや経済活動の「フロンティア」とされる一方、通説的には従来、「低開発地域」「発展途上地域」と位置づけられてきた。本書は、近現代における熱帯アジアの経済発展の様相を、「人口変動」および「環境・資源」の視点を入れつつ歴史的な視野から考察する。アジア経済史研究に新しい問題提起をなす試み」。
本書の目的は、「近現代、具体的には19世紀から20世紀半ばまでの時期に限定して、東南アジアと南アジア、すなわち熱帯アジアの経済発展の様相を論じること」で、「半ば通説的な歴史像」では「これら熱帯アジア地域の多くは、19世紀において西欧諸国の植民地支配を受け、搾取と収奪の帰結として、貧困かがもたらされたという」。それにたいして、「本書では、人口変動に着目しつつ、かかる歴史像では見落とされてきた経済発展という視野からこの時代の経済史的な事象を再検討することを意図している」。
「本書全体を通して、「熱帯」と「人口」という2つのキーワードが、いわば通奏低音として流れている」。したがって、序章「近現代の熱帯アジアにおける「人口変動」と「資源制約の壁-経済史と環境史の架橋-」では、 この2つのキーワードを中心に「発展著しいフロンティア」を論じることになる。そして、3つめのキーワードとして、「資源制約の壁」が最後に出てくる。「ここでもっぱら資源として考えているのは、土地という資源である」とし、「「資源制約の壁」という場合、もっぱら「土地の希少化」を考えている」と説明している。
そして、その意義を「K.ポメランツの「大分岐」仮説」と「W.A.ルイスの要素交易条件論」に求めている。まず、前者との関係では、つぎのようにまとめている。「19世紀後半の熱帯アジアにも当てはまる現象ではないだろうか。急激な人口増加とその帰結としての資源制約の壁は、熱帯アジアの場合、特に食糧生産の側面に顕著に現れた。インボリューションに関して述べたように、顕著な人口増加の帰結として、労働集約化がある程度進めども、一人当たりの食糧生産が停滞するか、場合によっては低下するような事態は、ポメランツが中国に関して述べた事態と類似している」。
後者については、つぎのようにまとめている。「近現代の熱帯アジアの人口変動が、「外延的な経済成長」の一事例として積極的な評価に値するという点と、その帰結として「資源制約の壁」に直面したがゆえに、近現代のグローバルな経済格差につながったという構図が、まさにルイスの「熱帯の発展」論と「要素交易条件」にそれぞれ符合することを、ここで強調しておきたい」。
以上の「本書全体の基調的なテーマを踏まえて書かれている」各章を、「その基調的なテーマとの関係を示すつつ、各章の位置づけを」、つぎのように試みている。本書は、はじめに、序章、2部全11章からなる。
第Ⅰ部「熱帯アジアにおける自然環境と歴史的前提」は5章からなり、「「近現代の熱帯アジアにおける経済発展」を論じる前提として、熱帯アジアの自然環境と近代以前の歴史的な発展径路を論じる章が配置されている」。
第1章「熱帯アジアの自然環境と稲作」(佐藤孝宏)は、「その前半で、熱帯アジアの空間的な広がりに対して、地形、降雨、土壌の三条件を基にして、地域類型化を行っている」。後半では、「19世紀に熱帯アジアの一定地域で顕著な人口増加が可能となったのは、稲作において、新開地の開発および集約化によって、その生産を飛躍的に増加させたことが決定的な基盤として理解されるべき」であることを明らかにした。
第2章「小人口世界における生業変化と人口動態-ボルネオ島北西部の事例」(祖田亮次)は、「典型的な熱帯アジアの低肥沃地域とされてきた熱帯雨林地域における人口の問題を扱っている」。「この地域の住民は、焼畑のみならず、移動を常としながら狩猟や採集など「多生業」による生活様式が一般的であることを明らかにしている」。
第3章「南アジア型発展径路の基層-「人口小規模世界」の人類史的位置について」(小茄子川歩)は、「熱帯アジアの中で唯一、古代文明にまで遡ることのできる南アジア(インド亜大陸)の歴史的な特質を探る試みである」。「インダス文明の場合には、大規模灌漑は存在せず、しかも麦作のみならず豆類・雑穀類も主要作物とする多様な食糧でまかなう「人口小規模世界」であったとし、それに加えて、その「散在性」が顕著な特徴であったとしている」。
第4章「中世初期の北インドにおける貨幣状況」(谷口謙次)は、「貨幣史の視角から、インドの中世初期(6世紀後半から12世紀末頃までの時期)における北西部インドを中心とする貨幣経済の状況を、先行研究に依拠しつつ論じている」。「熱帯アジアと「アフロ・ユーラシア大乾燥地帯」をつなぐ位置にある南アジア型発展径路の特質(田辺 2015)を、貨幣史の視角から明らかにしている」。
第5章「多様性の展開と接合-南アジア型発展径路の近世」(田辺明生)は、「「南アジア型発展径路」の特質を、近世のオリッサの事例の中に探っている」。「オリッサの事例を基に「南アジア型発展径路」を、生産性の向上を一元的に目指すというよりは、生存基盤の確保を図るために、自然や社会の多様性を接合するようなパターンとして特徴づけ、熱帯的な自然環境における経済発展の一つの有り様を明らかにしている」。
第Ⅱ部「近現代の熱帯アジアにおける経済発展」は6章からなり、「19世紀以降の熱帯アジアにおける経済発展の様相を、人口変動に留意しつつ各論的に論じた章が配置されている」。
第6章「インド洋交易圏の形成と構造、1800~1950年-ハブ・後背地・人口扶養力」(杉原薫)は、「近現代のインド洋における国際分業の展開を、①遠隔地貿易、②インド洋内の地域交易、③港市ハブとその後背地との交易という、およそ3つのレベルに分解して、それぞれの規模とその変化(1840年と1910年がベンチマーク)を、数量的に明らかにしている」。
第7章「海へ下るコーヒーと山を登るココヤシ-19世紀ミナハサにおける商品作物栽培と人口増」(太田淳)は、「19世紀のスラウェシ北部ミナハサにおけるコーヒー栽培およびココヤシ栽培の展開を論じている」。「こうしたミナハサの事例から明らかになるのは、植民地政庁による強制栽培、そしてそれに付随して建設された道路などが、この地域の農民の市場志向性を強めたことである。また、それにともなって、顕著な人口増加が起こったことも明らかにされている」。
第8章「植民地期ベンガルの米生産と市場」(神田さやこ)は、「ガンガー川をはじめとする大河川のデルタ地帯に位置するベンガルの米生産とそれに関する交易を論じている」。「ベンガルの米生産の中心となったベンガル東部では、米だけでなくジュートの生産も盛んになり、農業は成長し、大幅な人口増加が起こった」。「しかしながら、20世紀になるとベンガルの米生産は停滞した。水文環境の悪化、すなわち鉄道の敷設による自然排水の阻害は、土壌の肥沃さを奪い、さらにマラリアによる疾病環境を悪化させたのである」。
第9章「植民地時代までの西アフリカ経済-比較研究のための覚書」(小林和夫)は、「西アフリカの経済発展の様相を、貿易を中心に明らかにした論考である」。「一貫してこの地域の経済を特徴づけたのが労働力不足の問題であり、それから帰結したのが奴隷制であった」。「このような歴史像を、熱帯アジアの状況と比較するならば、19世紀以降に関しては、熱帯アジアにおいては、著しい人口増加によって労働力不足という状況はほとんど見られなかったという対照的な歴史像が浮かび上がる」。
第10章「南アジア海運の定量的比較研究-1874~1913年」(木越義則)は、「1874~1913年の時期における海運統計の分析に基づいて、南アジアの海運(物流)の構造的特質を、東アジアとの比較によって、明らかにした試みである」。「地域内における農工間の国際分業が、貿易とそれにともなう物流の規模を大きくしたという事情が浮かび上がる」。
第11章「「緑の革命」とは何だったのか?」(藤田幸一)は、「20世紀後半、特に第四四半期以降の熱帯アジアにおける持続的な経済発展にとって、「緑の革命」が決定的な意義を有することを明らかにしている。1970年代以降の東南アジアと南アジアにおいて、20世紀後半の急激な人口増加にもかかわらず、食料問題の制約を克服しえたことが、本格的な工業化を進めるうえで、必要な前提であったことが明らかとなる。そのことは、「緑の革命」の恩恵を受けなかったサハラ以南アフリカとの対照の中で明らかとなる」。
本書を通じて、「東南アジア」「南アジア」の順になっているにもかかわらず、アフリカなど西の比較はあるが北や東との比較はなく、議論の順は「南アジア」「東南アジア」だろう。近代はとくにイギリスとの関係が深いことからこれでいいかもしれないが、現代を踏まえると東南アジアの向こうのインドを考える必要があるだろう。インド洋を航海する船が西から東へ行くイメージはあるが、東から西へは浮かびにくかった。「東南アジア」が西へ及ぼした影響についても考えてみたい。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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