高畑幸『在日フィリピン人社会-1980~2020年代の結婚移民と日系人』名古屋大学出版会、2024年5月10日、317頁、5800円+税、ISBN978-4-8158-1153-2
帯に「繁華街から介護の現場、芸能界まで」と大書された横に、つぎの要約がある。「バブル期に毎年数万人の流入をみたエンターテイナー世代から、ブラジル人に代わり急増する日系人まで、いまや幅広い世代と領域に広がり日本社会の一部となったフィリピン人たち。外国人労働者の先駆でもある一大エスニック集団の暮らしと語りに密着し、全体像を活き活きと描き出す」。たしかに、統計的に存在はわかっても見えずらかった日本在住フィリピン人が、芸能界、スポーツ界などで目立つようになってきた。それは、日本で生きるフィリピン人の自信の表れかもしれない。
序章「在日フィリピン人とは誰か」の冒頭で、著者は「本書は、「在日フィリピン人とは、どのような人たちか」「彼女ら/彼らはいかにして日本社会の一部となってきたか」を明らかにする試みである」と述べ、その存在が大きくなったのにはつぎの5つの画期があったと説明している。
「第一に、1990年の改正入管法施行である。在留資格「定住」が新設され、海外在住の日系三世が来日し長期滞在が可能になった」。「第二に、1996年の法務省入国管理局通達「日本人の実子を扶養する外国人の取扱いについて」である。この通達は、日本で超過滞在中の外国人女性と日本人男性との間の婚外子が胎児認知により日本国籍を取得した場合、外国人母は定住資格を得るというものである」。「第三に、2005年の法務省令改正である。2004年にアメリカ国務省から「興行ビザは人身取引の温床となる」との指摘を受けた日本政府が、翌年から「興行ビザの発給基準を厳格化した」。「第四に、2006年の法務省による在留特別許可ガイドライン策定である。その後、2009年に改定されたガイドラインでは、10年以上の滞在、および子どもが日本の学校に通学していることを条件として、定住資格が与えられるようになった」。「第五に、2009年の改正国籍法施行である。改正後の国籍法第3条により、国際婚外子が生後認知によっても日本国籍を取得できるようになった」。
「本書の独自性は、約30年にわたる筆者の参与観察と質的・量的調査によること、日本およびフィリピンの労働政策外で入国し滞在する人びとを対象にしていること、研究対象者の母語であるフィリピン語による聞き取りを通じて彼女ら/彼らの主観的世界を理解しようとしていること、調査対象者と日本の地域社会との関係性に焦点を当てていること、以上の4点である」。
「本書の限界は、調査実施が2000年代前半から2020年代までと長期にわたるため、いくつかの章ではデータが古くなっていることである。また、序章と終章以外は既刊の論文をもとに大幅に加筆修正したものであり、全体に関連はしているが各章の内容は独立性が高い」。
本書は、序章、2部全11章、2資料、終章、参考文献、あとがき、などからなる。第Ⅰ部「結婚移民」は、イントロダクションと第1-8章、資料1からなり、「労働(典型的な職種としての興行労働と介護労働)、子育て(フィリピン系日本人、呼び寄せた子ども)、地域社会への参加(栄東地区の事例、生活構造と集団参加)、そして高齢化(家族との関係の変化、老後の帰国計画)の4側面について、彼女らのライフコースに沿って質的・量的調査をもとに論じていく」。
第Ⅱ部「日系人」は、イントロダクションと第9-11章、資料2からなり、「移住過程(日比を結ぶ雇用と移住の経路)、地域社会への参加(静岡県焼津市での就労と集住の事例)、教育と雇用(ブラジル日系人との比較から)の3側面にわたり、親族集団の生活と地域社会への参加を論じる」。
終章「移動と共同性の生存戦略」では、「冒頭の2つの問いに沿うかたちでまとめ、日本における他の定住外国人との比較、およびフィリピンから諸外国への移住者との比較における、在日フィリピン人の社会統合のあり方の特殊性と普遍性を明らかに」する。
第1の問い「在日フィリピン人とは、どのような人たちか」については、つぎのように答えている。「学歴と日本語能力を問わず、日本人との血縁および婚姻関係により来日・定住できるため、結婚移民と日系人は人的資本に乏しい人たちを含む。彼女ら/彼らは日本語を体系的に学ぶ機会もその時間的余裕も少ない。2000年代から介護研修を受けて介護職でキャリアを積む結婚移民たちがいたが(第2章)、それができたのはある程度の日本語能力や研修を受ける経済的・時間的余裕があった人たちで、多くは最低賃金に近い賃金での工場労働等、非正規雇用の繰り返しである」。
第2の問い「彼女ら/彼らはいかにして日本社会の一部となってきたか」にたいしては、つぎのように答えている。「生活構造から社会統合のあり方を考えて」みると、「結婚移民は家族的地位を媒介とする親族・地域構造との接合、日系人は職業を媒介とする産業構造との接合」といえる。「新たな家族関係の形成と日本での生活が同時にスタートした結婚移民たちはその後、否が応でも日本語を覚え、「日本人」の家族との同居生活が始まる。そこではまず夫、そしてその家族、その親族、地域社会へと、社会関係を広げていく」。「夫と離婚したり死別すると、結婚移民たちが主役となり、自力で子どもの学校、自分の職場、地域の日本人たちと対話をして交渉」して社会的統合を進めた。いっぽう、日系人は「フィリピンでは日系社会内で日本語と文化の世代間継承がほとんど行われず、日系人といっても言語・文化的には「普通のフィリピン人」である」。「派遣会社が住居と職を用意する」。「派遣会社が作り上げた外国人仕様の職場では日本語を話す必要がなく、勤労世代のフィリピン日系人の日本語習得は概して遅い」。今後「日本社会への参加および統合が進むためには、何らかの形で日本社会からの働きかけを行う必要がある」。
そして、つぎのように結論している。「結婚移民と日系人では日本社会への統合、特に地域社会への参加につながる生活構造は異なることがみえてきた。在日フィリピン人は一括りに捉えることはできず、来住経緯により家族、労働と生活の実態は異なる。それを丁寧に調べた上で彼女ら/彼らの社会統合への水路付けをする必要がある。そのさい、彼女ら/彼らが世界および日本各地にもつ親族ネットワークと、それにもとづく流動性(移動可能性)も考慮に入れる必要がある。言い換えると、彼女ら/彼らは日本以外で生活する選択肢を常に維持しているのである」。
戦前のフィリピンで、混血児の日本人父がこどものために当然のごとく日本国籍をとったという思い込みは、どうもやめたほうがよさそうだ。多くの混血児は先住民族のフィリピン人を母にもち、3分の2は日本国籍をとっていなかった。本書でも、「日本領事館が居住地から遠いため」日本国籍をとっていなかったと書かれているが、日本人父は毎年徴兵延期願いを領事館に提出しなければならなかったから、そのついでに婚姻や出生届が出すことができたはずで、それをしなかった。日本国籍がなくても、日本人小学校に入学できた。積極的にフィリピンを選んだ者もいれば、考えあぐんで必要なときに届ければいいとそのままにしていた者もいただろう。記録に残るのは日本国籍を選んだ者ばかりで、日本国籍を選ばなかった者の記録はほとんどないためよくわからない。戦後、フィリピン人の反日感情が激しいなか、日本人の血が混じっていることを公表できない状態が続いたが、1970-80年代に経済大国になった日本との交流が復活し、日本で就労できることもあって日本国籍を求めるようになった。だが、その多くは、戦争で書類がなくなったわけではなく、元々日本国籍をとっていなかったため、就籍には困難をともなった。いっぽうで、日本国籍を求めなかった者もおり、日本国籍を取得後第三国へ行くことを希望する者もいる。本書で明らかになったことは、フィリピン側の研究によって、その位置づけがはっきりしてくるが、巻末の「参考文献」を見る限り、その数は少ないようだ。また、著者の客観的な考察にもかかわらず、日本人の一般読者は、フィリピンより日本国籍をもち、日本で働くほうがいいに決まっているという思い込みで、本書を読むかもしれない。戦前も1980年代以降も、「選ばれない日本」を念頭に置く必要がある。それは、「彼女ら/彼らは日本以外で生活する選択肢を常に維持しているのである」という本書の結論にも通ずる。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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