諸岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年12月20日、222頁、760円+税、ISBN978-4-00-431460-8
「何より考えるべきは、差別によりもたらされるマイノリティ被害者の自死を選ぶほどの苦しみをどう止めるかということではないだろうか」と、帯の裏にある。本書は、ヘイト・スピーチが激しさを増していた2013年に書かれたものである。しばらく、ヘイト・スピーチを見聞きする機会が減っていたと感じていたが、つばさの党の選挙妨害の映像を見て、いまどうなっているのか気になった。本書が出版されてから10年がたったが、進展したのだろうか。
法務省のホームページには、「ヘイトスピーチ、許さない。」がある。3つの項目を立て、つぎのように説明している。
◆「ヘイトスピーチ」って何?
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が、一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (内閣府「人権擁護に関する世論調査(平成29[2017]年10月)」より)。
例えば、
(1)特定の民族や国籍の人々を、合理的な理由なく、一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
(「○○人は出て行け」、「祖国へ帰れ」など)
(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
(「○○人は殺せ」、「○○人は海に投げ込め」など)
(3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの
(特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)
などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。
ヘイトスピーチは、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷つけたり、差別意識を生じさせることになりかねません。
多様性が尊重され、不当な差別や偏見のない成熟した共生社会の実現を目指す上で、こうした言動は許されるものではありません。
民族や国籍等の違いを認め、互いの人権を尊重し合う社会を共に築きましょう。
◆どんな法律があるの?
ヘイトスピーチについて、マスメディアやインターネット等で大きく報道されるなど、社会的関心が高まっていたことを受けて、国会において、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28[2016]年法律第68号)」、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」が成立し、平成28年6月3日に施行されました。
ヘイトスピーチ解消法は、「本邦外出身者」に対する「不当な差別的言動は許されない」と宣言しています。
なお、同法が審議された国会の附帯決議のとおり、「本邦外出身者」に対するものであるか否かを問わず、国籍、人種、民族等を理由として、差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動は決してあってはならないものです。
ヘイトスピーチ解消法の解釈など、地方公共団体がヘイトスピーチの解消に向けた施策を行うに当たって参考となる情報を、法務省人権擁護局において取りまとめたものです。
◆法務省はどのような取組をしているの?
ヘイトスピーチをなくすためには、ヘイトスピーチが許されるものではないという意識が、広く深く社会の間に浸透することが重要です。
法務省の人権擁護機関では、こうした認識の下、ヘイトスピーチを他人事ではなく自分自身の問題として捉えていただけるよう、ヘイトスピーチに焦点を当てた様々な啓発・広報活動を行っています。
そして、解消法施行8年の2024年6月、つぎのコラムを掲載した。
ヘイトスピーチ解消法施行8年
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(平成28年法律第68号)、いわゆるヘイトスピーチ解消法が施行されて8年が経過しました。
法務省の人権擁護機関では、同法の趣旨を踏まえ、「ヘイトスピーチ、許さない。」をキャッチコピーとして、様々な啓発活動に取り組んできました。また、国連においても、ヘイトスピーチと闘うための文化間、宗教間の対話を呼びかける決議を採択し、毎年6月18日を「ヘイトスピーチと闘う国際デー」と宣言しています。
しかし、ヘイトスピーチは依然として後を絶たず、近時は、その主な態様が街頭デモなどの示威行動から、選挙運動や政治活動の体裁を採るものやSNSや掲示板等のインターネット上での表現行為によるものに変化するなど、多様化しています。選挙運動や政治活動等の自由の保障は民主主義の根幹をなすものではありますが、選挙運動や政治活動等として行われたからといって、直ちにその言動の違法性が否定されるものではありません。また、インターネット上の書き込みは、情報の拡散やアクセスが容易であるだけに、深刻な被害を招きかねません。
ヘイトスピーチを解消するためには、ヘイトスピーチが、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷付けたり、差別意識を生じさせるものであり、決して許されるものではないという意識が、広く深く社会に浸透することが重要です。
こうした認識の下、法務省の人権擁護機関では、法施行から8年を迎える本年6月に、「ヘイトスピーチ、許さない。」のポスター掲示強化やインターネットバナー広告を実施するなどヘイトスピーチの解消に向けた啓発活動を集中的に実施しています。
これらに加えて、全国の法務局等で、スポーツイベント等とタイアップした取組などの様々な人権啓発活動を展開するとともに、人権擁護局公式SNS(https://www.moj.go.jp/JINKEN/index_keihatsu.html)等でも、様々な情報を発信していく予定です。
私たち一人一人が「ヘイトスピーチ、許さない。」という思いを持ち、お互いの人権と尊厳を尊重し合える共生社会を共につくっていきましょう。
本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「差別と侮辱、排除の言葉をマイノリティに向けて路上やネット上で撒き散らす-ヘイト・スピーチとは差別煽動である。差別も「表現の自由」として、当事者の深刻な苦しみを放置するのか。民主主義社会をも破壊する「言葉の暴力」と向き合う国際社会の経験と制度を紹介し、法規制濫用の危険性も考えながら、共に生きる社会の方途を探る」。
「はじめに」は、つぎのように基本的な説明ではじまる。「二〇一三年に日本で一挙に広まった「ヘイト・スピーチ」という用語は、ヘイト・クライムという用語とともに一九八〇年代のアメリカで作られ、一般化した意外に新しい用語である。日本では「憎悪表現」と直訳されたこともあり、未だ一部では、単なる憎悪をあらわした表現や相手を非難する言葉一般のように誤解されている。そのことが、法規制をめぐる論議にも混乱を招いている」。
「本書では現在最も焦点化している新大久保、鶴橋などにおける排外主義デモに代表される人種主義的ヘイト・スピーチracist hate speechについて中心的に取り上げる。それは「人種的烙印の一形態としての攻撃」であり、標的とされた集団が「取るに足りない価値しか持たない」というメッセージであり、それ自体が言葉の暴力であると同時に、物理的暴力を誘引する点で、単なる「表現」を超える危険性を有し、「人種的偏見、偏見による行為、差別、暴力行為、ジェノサイド」の五段階の「憎悪のピラミッド」の一部としてしばしば説明される」。
本書は、はじめに、全5章、あとがき、などからなる。構成と概要は、「はじめに」の最後のほうで、つぎのようにまとめられている。「筆者は、ヘイト・スピーチの悪質なものは法規制すべきとの立場に立っているが、反対論・慎重論も検討しながら、法規制の必要性と許容性、その在り方について丁寧に論じていきたい」。「1章[蔓延するヘイト・スピーチ]では、日本のヘイト・スピーチの現状とその背景を、2章[ヘイト・スピーチとは何か]では、ヘイト・スピーチの本質とその害悪、国際社会が共有する認識を、3章[法規制を選んだ社会]では、諸外国がどのようにヘイト・スピーチに対処し、人種差別撤廃政策を展開してきたかに注目する。4章[法規制慎重論を考える]では、ヘイト・スピーチの法規制をめぐる議論とそれが示唆するものを、アメリカの例を参照しつつ検討し、5章[規制か表現の自由かではなく]では、現在の日本が取り組むべき対策について整理し、具体的な提案を試みる」。
そして、「あとがき」は結論でもあり、つぎのように日本政府の姿勢を総括している。「このような排外的な日本政府の姿勢が、ヘイト・スピーチを生み出し、悪化させている。冒頭の、排外主義デモをやっている人たちはどのような人たちなのかとの問いは、彼らは自分とは違う特異な人たちだということを前提にしている。しかし、彼らは政府の排外性を反映した日本社会の一部であり、その醜さを露骨に表現しているにすぎない」。
「日本社会が真に問われているのは、法規制か「表現の自由」かの選択ではなく、マイノリティに対する差別を今のまま合法として是認し、その苦しみを放置しつづけるのか、それともこれまでの差別を反省し、差別のない社会を作るのかということではないだろうか」。
本書を読むと、まずしなければならないことは政治家と官僚の教育だということがわかる。日本のリーダーが潜在的にでもヘイト・スピーチの温床になっているなら、いくら法規制しても表面的なものに終わり、つばさの党の選挙妨害のように、姿を変えてわれわれの前に現れるだろう。選挙のときに公約として掲げてもらい、現職はその実績を選挙民に問うことだ。心底理解している者だけ、選挙で選べばいい。
本書が出版されてから「ヘイトスピーチ解消法」が成立するまで2年半かかった。それから8年して、法務省はまだまだ努力をつづけているという「コラム」を掲載した。努力の矛先はどこか、明確にする必要があるだろう。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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