パトリシア・大久保・アファブレ編、森谷裕美子訳『フィリピンの山岳地帯に渡った日本人移民-北部ルソン開拓の100年の軌跡 1903~2003年』晃洋書房、2024年3月30日、280頁、6500円+税、ISBN978-4-7710-3798-4

 「本書の目的は、ルソン島北部の高原地帯に渡った日本人移民労働者の先駆者たちの生活や彼らがここで過ごした日々の様子について語ることであり、それはまた、第二次世界大戦前の数十年間で日本人移民たちがいかにコルディリェラ地域やフィリピン社会の発展に貢献したかを記述することでもあったが、この調査を進めるなかで、私たちは、この日本人移民についての話をその子や孫たちから聞くことがこれまで困難であったのは、彼らのほとんどが「日系人」だというだけで第二次世界大戦中や戦後に謂われのない汚名を着せられていたからだということを改めて気づかされた。しかも、彼ら日系人たちはただ汚名を着せられただけでなく、その生涯について語ることさえタブーとされ、これを秘密にしてきたのである」。

 「本書の執筆にあたっての調査では、フィリピンでの日本人移民の子や孫、近隣に住んでいた人々による「語り」の記録と、アメリカ合衆国に保存されている資料の収集、フィリピンと日本での図表などの収集を中心に進めた」。「日本人移民のライフ・ヒストリーを集める調査のため」、「ルソン島北部に住む500人を超える日系二世についての情報」提供を受け、「結局、私たちはそのうちの100名以上にインタビューをすることができた」。

 「本書で取り上げた日本人移民のライフ・ヒストリーのほとんどはその子や孫の女性が語ったものであるが、男性の語りが少ないのは、現在、生存している二世のほとんどが女性であるためである。このうち一番年長の女性は1910年頃の生まれだが、それ以外の女性の多くは1940年代に子供時代を過ごした戦争経験者である」。

 本書は、序章、6部全13章、エピローグなどからなる。本書の概要は、序章の「本書の構成An overview」でまとめられている。「初期のフィリピンへの日本人の移住は、アメリカがフィリピンでの植民地支配を確固たるものとするために進めたルソン島北部の高原地帯の開発と直接関係している」。バギオを「夏の首都」に決定し、そこに至る「ベンゲット道路」を1905年に開通させた。この道路工事に、日本人労働者が1903年から集団で雇われ、開通後も残ったり、新たに職を求めてやってきたりした日本人が、本書の主人公である。「1910年代になるとバギオでは、町の目抜き通りとして発展したセッション道路(Session Road)で日本人移民の多くが商売に携わるようになり、その後の10年間で、日本人移民の経営するバザール(百貨店)やホテル、写真館、薬局、理髪店、食料雑貨店などがここに軒を連ねた。いっぽう日本人大工たちは建築の請負を業とし、新たな雇用の需要に対応するため、自分たちの故郷の福岡県や福島県、広島県、熊本県、山梨県から親族や友人を呼び寄せるようになった」。

 「1910年代末には、バギオで生産した野菜のマニラ市場への出荷も始まり、1920年代にはトリニダッドに日本人移民の協同組合が設立され、これによってバギオ・ベンゲット地域での商品作物の栽培はさらに拡大することとなった」。

 「1920年代末に始まったバギオ周辺の金鉱山の開発は、バギオ・ベンゲット地域で日本人が活躍した時期の最後の10年間に拡大された。この少し前、バギオでは「日本人会」が組織され(1920年)、その会員たちはそれから5年もたたないうちに日本人学校を開校しているが、このことは、この時期、彼らがもはや単なる「出稼ぎ労働者」ではなく、バギオに生涯留まることを決意していたことを意味していた」。

 「1930年代は、新たな日本人移民の大工や事業経営者が小売業や製材所、建築現場、鉱山などさまざまな現場で働くためにバギオにやってきて定着するという「新たな移民の流れ」が起こった時期である」。

 「1939年のバギオの総人口は2万4117人、そのうちの[日本人を除く]外国人は1269人であったが」、「日本人家族が多く住むバギオ・ベンゲット地域の日本人の総人口は1064年にものぼり、日本人学校の生徒数も150人近かったという」。

 「序章」は、つぎのことばで締めくくられている。「私たちは、この本を執筆することで、戦後、長い時間が経過したことで朧げになっていた人々の記憶を辿ることができ、それによって何年もの間、周囲の人々から忘れられ、語られることのなかった人たちに「名前」を与えることができたことをうれしく思うとともに、それを可能にしてくれたすべての人たちに深く感謝している」。「ただ、ここでの日本人移民の子や孫たちの語りは1940年で止まってしまっており、そのあとの話についてはまた別の機会に譲らなければならないだろう」。

 まず、編者パトリシア・大久保・アファブレほか、本書の出版に尽力された人びとに感謝したい。これまで闇とはいえないまでも深いベールに包まれていた人びとの人生が明らかになり、いかに懸命に生き、地域の人びとと共生してきたかがみえてきた。そして、それは編者たちが、自信をもって本書を出版したことの証であり、つぎの文章からもよくわかる。「1900年代初めにバギオやベンゲット、その周辺の山岳地帯など、さまざまな地域で現地の人たちと家庭を築いた先駆者たちの暮らしやその仕事ぶりを初めて紹介するものであり、ここに書かれていることは、その子や孫たちが「日系人であることの誇りと大いなる憧憬」をもって私たちに語ってくれたものであるが、本書では、こうした彼らの戦前の両親や祖父母についての思い出を通して、初期の日本人移民がルソン島北部のコルディリェラ山岳地域の歴史の形成にいかに重要な役割を果たしたかについても書き記すことで、彼らの偉業に敬意を表したいと思う」。

 文書と「語り」によって書き記された本書は、学術的にも高く評価できるもので、今後の研究の基本となろう。いっぽう、「誇りと大いなる憧憬」を前提としているだけに、客観性に欠ける面があることは否めない。本書で、「見習いapprentice大工」と訳されているものは、日本語文献では「にわか大工」として知られ、大工としての修業をまったく積んでいない者が「安請けあい」して評判を落としたことが初期にあったことは書かれていないし、アギナルド将軍と「懇意」にしていたとされる写真家の古屋正之助は軍の工作員で各地をめぐり情報収集していたことも書かれていない。フィリピン内外の研究者によるバギオ史のなかに、とくに日本人の貢献を書いたものはない。1930年代にバギオを視察した商工省嘱託の渡辺薫は蔬菜栽培はフィリピン人との競争が激しく「自然立枯れ」になったなど、本書とは違う評価をしている。アメリカの文書館の史料でも、ベンゲット移民の死亡率1000人あたりを%と間違えたため、10倍になってより悲惨な印象を与えている。海外在住日本人の基礎資料である外務省が編修した「職業別人口表」や「実業者の調査」とどう絡むのかの考察がないなど、多くの学術的課題を残している。なにより二世、三世に寄り添った記述から、四世、五世...や先住民、移住してきた低地キリスト教徒フィリピン人、同じころやってきた中国人とも共有できるバギオの歴史をどう構築していくか、大きな課題を残している。それも、これだけの本が出版できたから言えることで、戦前2万人の日本人が在住していたダバオでは、二世や三世のよってこのような本は出版されていない。

 訳者にも感謝しなければならない。訳者が「2011年から行ってきた「フィリピンにおける日本人移民の先住民社会への適応とその影響」」の成果とも言える。現地社会と人びとを知悉しているからこそ、訳すことができたのだろう。ただ、ひとつ大きな誤訳は、原著は2004年の出版であるが、1903~2003年の100年の歴史であって、「現時点」とは2003年のことである。100年目にあたる2004年に出版されたと訳されているが、原文には「2004年」はなく、「初めて日本人がベンゲット道路建設の労働者としてバギオに到着してからちょうど100年目にあたる」としか書かれていない。本書を通じて、1904年に日本人が初めて来たような印象を受ける。そして、A4版の原著では写真が大きく臨場感が伝わってくるが、B5版の訳本では写真がA4からB5に縮小された以上に小さくなって伝わってくるものがあまりない。まことに残念である。ずいぶんイメージが違うものになって、本書の価値が大幅に減少している。

 本書が日系人によって企画され、優れた学術書として出版できたことで、なにかホッとしている。「この本の出版をきっかけに、彼らの「日系人」としてのさらなる奮起を期待している」という編者のことばから、「謂れのない汚名を着せられ」、「語ることさえタブーとされ」秘密にする必要があった過去から決別できた自信が感じられる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。