平田晶子『ラオス山地民とラム歌謡-内戦を生き抜いた宗教芸能実践の民族誌』風響社、2023年2月20日、365頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-336-8
帯に、「在来音楽にとってオンライン化とは!」「歌い継がれてきた在来音楽の電子媒体化は、音楽を楽しむ人間の身体経験に劇的な変革を要求している-。五感統合の従来型から視聴覚に傾斜した今日の受容のあり方は、大衆と芸能者の「場」をどのように変えていくのだろうか」とある。
変化中心のものかと思いきや、「はじめに」はつぎの文章で締めくくられていた。「たとえ視聴覚に限定された身体経験へと一変してしまったかのようにみえたとしても、誰かと共に聴く音楽の愉しみ方は根本的な部分で何も変わらないのではないだろうか」。表面上の変化を追いながらも、その基層にあるものをしっかりおさえながら議論がすすむものと、期待しながら読みはじめた。
「本書が扱うカップ・ラムないしモーラム歌謡と呼ばれる芸能音楽は、東南アジア大陸部のラオスという小さな国で歌い継がれ、この半世紀のうちに政治的・経済的な社会変化の中で奏でられてきた。1986年に打ち出された「チンタナカーン・マイ(新思考)」以降、ラオス国内は市場経済化が進み、カップ・ラム歌謡ないしモーラム歌謡は新たな展開を迎えた。この政策以降、国内の市場化は、音楽業界における在来音楽の商品化を促した」。まずは、インターネットで聴いてみた。どこか懐かしさとともに、力強さも感じられた。
第1章「序論」冒頭で、つぎのように本書の目的が書かれている。「本書を貫く問いは、ラム歌謡の音楽芸能とは人びとにとって一体何なのか、というものである。具体的に述べるならば、ラム歌謡の音楽芸能が経済的および宗教的活動の一環として営まれるなかで、多様な民族間関係がありながらも、いかにエスニシティの交渉されるアリーナが形成されているかを明らかにすることである。そのうえで、山地ラオの人びとにとってラム歌謡の音楽的行為にみる感覚を活かした経験がオンライン化の力と伝統文化の維持とのせめぎ合いのなかでいかに機能しているかを論じていく」。
本書は、はじめに、3部全8章、あとがき、などからなる。本書の概要は、第1章「序論」最後の「3 本書の構成」で、つぎのようにまとめられている。第Ⅰ部「オンライン状況下の在来音楽の民族誌的記述に向けて」は2章からなり、第1章「序論」では、「理論的枠組みと問題意識、研究目的を提示」する。第2章「民族誌的探求の背景-調査村の概観」は、「民族誌的探求の背景を描くことで、第3章以降の議論に向けて布石を打つ章とする」。「具体的には、サワンナケート県の歴史と調査村の形成史を概観しつつ、ラムの担い手たちが暮らす多民族混住地におけるエスニシティ、言語環境、生業、宗教状況について、県の地方史に関する文献資料やフィールドワークで収集した一次資料を用いながら記述する」。
第Ⅱ部「五感統合の軸-伝統文化の維持」は4章からなり、「オーストロアジア系のカトゥ語群に属するブルー・ソーのラム歌唱の担い手たちの音楽芸能活動を事例に取り上げ、聴覚重視の感覚経験に加え、五感統合を重視する感覚経験について論じるものである」。まず、第3章「ラムとは何か」では、「サワンナケート県を舞台に山地ラオのラム歌謡の担い手が、低地ラオと出会い、低地ラオが牽引するモーラム歌謡の音楽産業社会に適応してきたことを歴史的に概観する」。つづく第4章「民間治療とラム歌唱-紡がれる祖先と子孫の社会関係」は、「ラム歌謡が行われる民間治療の文脈を検討する。そこで紡がれるのは娯楽芸能でも用いられていたラム歌謡の旋律であることは変わりない。ソーのラム歌謡の担い手たちは、民間治療儀礼で用いる言語や旋律に加えて供物も組み合わせ、諸感覚を共鳴させ合うような感覚的経験をしている」。第5章「感覚器間相互作用を活かした創造的な調整行為」は、「聴覚だけではなく、一見、音楽とは無関係に捉えられる視覚、触覚、嗅覚といった感覚器間の相互作用に着目し、ソーの人びとの音楽的行為がいかに感覚を活かしたラム歌謡の音楽実践であるかを記述する」。第6章「五感統合の音楽的行為-複数の精霊との遊びの事例」では、「ソーの統合された五感を意識的に有効活用する創造的な音楽的行為を更に理解するために、なかでも最多の旋律数を奏でる精霊儀礼を事例に取り上げる。ソーの人びとは、言語、旋律、供物だけではなく、五感を刺激する草花や玩具など取り込んだ、遊びの要素を含んだ音楽を楽しむ」。
第Ⅲ部「五感分断の軸-在来音楽配信のオンライン化」は2章からなり、「ソーの人びとやラム歌謡を鑑賞する音楽関係者やファンなどの五感の分断をめぐる音楽の感覚経験を論じる」。具体的に、第7章「多感覚の減縮に伴う音楽経験」は、「第6章までの村落社会の社会的文脈から離れ、グローバルに展開するワールドミュージックの音楽市場へと参画する山地ラオの人びとの音楽創作・生産、および消費・流通の場ならびにその形成プロセスへと視点を変える。革命期前後に国外へと逃亡したディアスポラの存在に着目すると、ラム歌謡の流通・消費の販路を形成していく過程では、在来音楽の脱領域化が進んでいる」。最終章の第8章「総括と討論」では、「どのような状態に置かれても人間は音楽を楽しむ心を持ち続け、楽しむ場を創りだす生き物であることが明らかになるだろう」とまとめている。
第8章「総括と討論」では、第1節「各章のまとめ」で「各章での議論における主要なポイントを簡潔にまとめ」、そのうえで第2節「民族共同体を超えた社会関係やコミュニティの形成にみる身体の動き」第3節「五感統合の身体的な感覚経験を活かした音楽」では、「既存のエスニシティ研究および在来音楽の配信がオンライン化する状況下において人間の身体経験を、ラム歌謡という事例から例証し、新たな知見を加えるような考察を巡らすことにする」。
第2節は、つぎのような文章で締めくくられている。「ソーの歌い手は、決して無垢な存在ではなく、むしろグローバルな音楽市場で効果的に売りだせる旋律を選び、民族衣装で視覚情報への訴えを意識するなど彼ら自身がエスニシティと交渉する術を身につけていた。動画配信するファンやYouTuberの存在は、統合失調症のエスニシティの分裂によって生じた社会関係の破壊の代償として、オンライン上において新たな音楽活動の磁場を形成し、緩やかな音楽ファンのコミュニティを生成し始める」。
第3節では、結論として、まずつぎのような視聴者像を示している。「伝統的な慣習をラム歌唱の映像で鑑賞する視聴者は、故郷の言語を聴き、風景に映し出された草木の香り、血縁・地縁関係に基づく友好的な家族・村びとの姿から、母国を思い出す。視聴者になかには、仏領インドシナの植民地や闘争の歴史という過酷な時代を生き、移住先国で生活を営んでいる者もいるため、筆者が録画したラム旋律が流れ続ける精霊儀礼の視聴覚資料は単なる視聴覚資料なのではなく、それ以上の生きる活力を与える可能性も秘めている」。
「他方で、ソーのラム歌謡は、欧米などに住むディアスポラだけではなく、タイ東北地方のグローバルな音楽市場で聴かれるモーラム音楽を知る視聴者たちにとって、たとえ言語の壁があったとしても、ブルーやソーのラム歌謡として好意的に視聴されていた」ことから、「そこに集まる人びとのなかには、ブルーやソーの言葉を理解できない者も多く、民族というアイデンティティによる求心力が働いているからだと説明するだけでは不十分である。むしろ、視聴者がオンライン上に集い、ラム歌謡に耳を傾けるのは、自分ではない他の誰かと共に音楽を聴き、ラム歌謡を鑑賞する愉しさを味わいにきているからではないだろうか。山地ラオや低地ラオという括りさえも超えて、ラム歌謡の好きなファンが世界中から集まり、ラム歌謡をオンライン・コミュニティ上で愉しむ。ディアスポラの視聴者たちにとってのオンライン・コミュニティ上でのラム鑑賞は、戦争で失った他者との刹那的な交流を愉しむこともできる。ディスプレイ越しに鑑賞する視聴覚情報と共振する経験的身体は、いかなる状況に於いても音楽を愉しむ人類の普遍性と、村落社会からオンライン・コミュニティへと移行したとしても五感統合を活かした身体経験に基づく山地ラオの個別性を理解する一つの糸口となる」。
本書は、ポストモダン社会を理解するためのローカル、ナショナル、リージョナル、グローバルの4つの視点から考察した研究の好事例であろう。ひとつ気にかかったのは、リージョナルな視点で、タイとの関係はわかったが、歴史的な仏領インドシナという枠組みがみえなかったことである。みえないならみえないで、意味があるのではないだろうか。それは社会主義国家になった後とも関係することではないのか。ラオスにかんして原資料をみつけることは難しいかもしれないが、カンボジアでは1936-42年に発行された民間のクメール語新聞『ナガラワッタ』があり、日本語に翻訳されている(坂本恭章・岡田知子訳、上田広美編、めこん、2019年)。利用できないだろうか。
章節項が3つとも算用数字で表記され、読んでいて「節」なのか「項」なのかわからなくなることがあった。「楽しむ」と「愉しむ」は区別して使われているのだろうか。ほかにも漢字表記とひらがな表記が不統一で気になるときがあった。五感を重視するなら、このような視感にも注意を払ってほしかった。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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