小林知編著『カンボジアは変わったのか-「体制移行」の長期観察1993~2003』めこん、2024年5月30日、563頁、5000円+税、ISBN978-4-8396-0338-0
2020年以降の新型コロナウィルス感染拡大で、フィールドワークができなくなった研究者の嘆きの声があちこちから聞こえてきた。とくに地域研究のような分野は、その影響が大きかった。ところが本書は、それを乗り越えた成果である。わたしもそうだったが、現地調査の虜になり、研究費があれば海外に出かけ、現地の感覚を磨いてきた。いっぽうで、これまでの現地調査を振り返りまとめる余裕がなかったが、「コロナ」のお蔭で20年と22年に単行本2冊を出版することができた。本書の編著者も、同じことを考えていたのだろう。タイミングもよかった。「あとがき」で、「2017年の救国党の解党という出来事がなければ、本書は生まれなかった」と述べている。そんなときにウィルス感染拡大がおこり、「可能かつ有意義な研究は何かと模索した末の一手」が、本書につながる民主主義的な政治制度が導入された「体制移行」の「1993年以降のカンボジアにフォーカスしたオンライン研究会であった」。
本書は、「ある歴史上の出来事を起点として始まる30年を取り上げ、その期間に生じた変化を、複数の方向から、詳しく見直してみる。そしてそこから、2つの意味で、価値ある知見を生み出すことを期待している」。
「第1は、その30年の変化の内容や方向性が、その社会や文化のもともとの性質を照らしだしているのではないか、という期待である。その方面の検討は、対象とする国や社会、文化についての理解を、よりいっそう深めることになるのではないか」。
「第2は、その30年の間の変化が、世界の時代的な特徴や、地域を取り巻くより大きなスケールの秩序が示す方向性を映し出しているのではないか、という期待である。検討の内容は、直接的には、対象とした国、社会、文化の1つの事例のものでしかない。しかし、そこに示された特徴や方向性は、他の国や社会で同じ時代を生きた(生きている)人々の生活をも取り巻く、大きなスケールの環境や将来像とも、無縁ではないはずだ」。
本書は、序論、第1章、4部(第2-13章)、あとがき、などからなる。序論「カンボジアは変わったのか」(小林知)につづく第1章「カンボジアの空間と人口」(小林知)は、「カンボジアの国土と人口の状況を素描する。日本の半分ほどの面積である国土の地理的な特徴をまず整理してから、1990年代から3回実施された人口センサスの報告書に依拠して、最近1700万人を超えたと言われる人々がつくる社会構成を確認する」。
4部はそれぞれ3章からなり、「各章の終わりには、同じ著者によるコラムを挿入する。コラムは、章の内容を補足するトピックとなっている」。
第1部「政治と市民社会」は、「カンボジアの政党組織、政治とメディア、市民社会という3つの内容から、この30年間の民主化の動きを検証する」。第2章「民主主義を装う独裁-体制移行後のカンボジア政治展開-」(山田裕史)は、「カンボジア人民党が今日の盤石に見える支配体制を築くまでの歴史過程を振り返る」。第3章「政府と市民が相克するメディア-カンボジアにおける表現の自由をめぐる軌跡-」(新谷春乃)は、「民主主義というシステムの本質的な特徴の1つ」である表現の自由をめぐる軌跡を論じる。第4章「カンボジア市民社会-市民社会組織の誕生、増加の課題-」(米倉雪子)は、「1990年代以降のカンボジアで、国家と家族の間に位置する中間領域の言論や実践活動を担う市民社会組織がいかに発達してきたのかを考察する」。
第2部「経済と資源」では、「この30年の国内の経済活動の展開を一望してから、農漁業の発展の具体的な様相と、森林資源の減少の要因を分析する」。第5章「復興から経済成長-さらなる発展を目指して-」(初鹿野直美)は、「カンボジアの1990年代以降の経済成長を、貿易、投資、開発援助の推移、国内企業や国外アクターの役割に注目して跡付ける」。第6章「カンボジアの農漁業の30年-自然資源活用・資本集約化による発展とその限界-」(矢倉研二郎)は、今もカンボジアの人口の6割が暮らす農村の「人々の農業・漁業活動の拡大と発展について論じる」。第7章「止められない消失と維持されている影の構造-カンボジアの森林資源をめぐる30年-」(倉島孝行)は、「経済発展の中で消費されてきた近年のカンボジアの森林資源をめぐる状況を、同国の政治構造に重ねて分析する」。
第3部「社会」では、「家族、外国人、教育の3つを切り口に、30年間の変化を考察する」。第8章「少子高齢化時代を迎えたカンボジアの家族・世帯」(高橋美和)は、「同居単位としての世帯の検討から、カンボジアの家族生活の変化と持続性を検討し、また個人のライフコースの近年の展開を記述的に分析する」。第9章「「外国人」区分と国籍に見られる継続性と変化-ベトナム人を中心に-」(松井生子)は、「1990年代以降のカンボジアの国家が、国内の外国人をいかに管理し、統制する力を発揮してきたのかを検討する」。第10章「学校教育をめぐる援助依存、国内化、多様化-国際支援下の教育復興を振り返る-」(千田沙也加)では、紛争終結後、「社会で活躍する様々な人材の育成が急がれた」カンボジアで「国際支援に依存した教育開発から、自前の政策に基づく人づくりへのシフト」を辿る。
第4部「文化」では、「1990年代以降のカンボジア文化の変容の動態を、国内の社会の変化だけでなく、外部世界との接合の深化や、ディアスポラからの影響、さらに政府と国際社会が文化財を資源として活用しようとする視線に関連付けて論じる」。第11章「カンボジア仏教の現在地と将来像-サマイの拡張・深化と新たな担い手の登場-」(小林知)は、「カンボジアの人口の9割が信仰する仏教実践の変化を考察する」。第12章「カンボジア古典舞踊ロバム・ボラーンの継承と変容-王立芸術大学とディアスポラ民間舞踊学校の比較から-」(羽谷沙織)は、「舞踊の技の継承に着目してカンボジア文化の近年のダイナミズムを描き出す」。第13章「「アンコール・モデル」の成功と呪縛-体制移行後のカンボジアにおける文化遺産-」(田畑幸嗣)は、「世界遺産化という世界の各地で進行する文化の今日的な動態を、1990年代以降のカンボジアにおいて考察する」。
本書のタイトルである「カンボジアは変わったのか」という問いにたいして、「あとがき」で、まず「それはオープンな問いであり、様々な意見があり得る。しかし、わたしの個人的な意見を記すことが許されるなら、その問いは、国家/社会/地域のエコロジーとレジリエンスを考えることと同じだと言いたい」と述べ、つぎに変わらないものと変わったものをつぎのようにまとめている。「本書で取り上げた1990年代以降のカンボジアの「体制移行」の事例は、民主化というレジーム・シフトの試みが、国際関与に基づく制度の導入だけでは生じない事実を示すものだと言うことができる。それは、その社会が持つ強靱なレジリエンスにより打ち返されてしまった」。「一方で、カンボジアの自然環境や社会生活は、以前の状況(既存のレジーム)から、新しい段階(新しいレジーム)への移行を遂げつつある。豊かな森林や魚類資源は、もはや国内に存在しない。そのなか農業は、土地や水の賦存量に依拠した発展というレジームから、金融システムや機械化といった従来存在しなかったツールに依拠したレジームへと向かった」。
そして、最後につぎのように総括している。「「カンボジアは変わったのか」という問いからは、このように、多様な思考がオープンエンドであふれ出す。終わりがないけれど、それを考えることで多くの発見が生まれる大切な問いである。そして、編者が考える次の課題は、その問いを、世界の他の国や地域の事例に展開し、カンボジアのそれと比較することである」。
「本書は、カンボジアについての最新事情を紹介するものではない」といいながら、それぞれの論考は近年の調査の成果である。そこで光るのは、30年間の変化の最初である。参考文献として、アジア経済研究所のものがあげられている。1970年度から『アジア動向年報』が出版され、基本情報が定期的に得られるようになった。なかには未確認情報が含まれていたようで、翌年以降に矛盾するものが掲載されることもあったが、積み重なるとそれぞれの国・地域の動向が見えてくる。「体制移行」後の変化も着実に追っていったものが、本書の各論考のスタートになっている。本書が生まれたもうひとつの背景として、アジア経済研究所の研究があったのではないか。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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