重松伸司『マラッカ海峡物語-ペナン島に見る多民族共生の歴史』集英社新書、2019年3月20日、299頁、920円+税、ISBN978-4-08-721071-2

 帯に、表紙の書名より大きな字で「人間は、共存可能だ。」とある。つまり、今日のグローバル社会をみると、「人間は、共存可能だ。」とはとても思えない。しかし、本書で物語られるペナン島では、「多民族共生の歴史」が見えてくる。「人間は、共存可能だ。」といえる例がここにある、というのが本書の趣旨だろう。  その内容は、表紙見返しで、つぎのようにまとめられている。「マラッカ海峡北端に浮かぶペナン島、淡路島の半分ほどの面積しかないこの小島では、実に三〇以上の民族集団が、絶妙なバランスで群居し続けてきた。マレー人、インドネシアの海民アチェやブギス、インドのチェッティ商人、ムスリム海商チュリア、クリン、アラブの海商ハドラミー、ポルトガル人、イギリス人、フランス人、アルメニア人、華僑、日本人、等々-。各地で、ナショナリズムや排外主義的な価値観が増大する中、本書が提示する世界像は、多民族共存の展望と希望を与えてくれるだろう。ベンガル湾からマラッカ海峡にかけての地域研究の第一人者による、初の「マラッカ海峡」史」。

 本書の出発点は、意外にも海と無縁に思える南インド内陸にあったことを、著者、重松伸司はつぎのように述べている。「ベンガル湾海域の調査を始めたきっかけは、一九七〇年八月、海の全く見えない南インド内陸部の小村での出来事であった。それは、マレー半島への移民経験を持ち、片言の日本語を話す自作農との出会いである。さほど貧しくもない中農で、カースト間の大きな紛争もほとんどない農村から、なぜ人々は東南アジアへしばしば船出するのか」。ここから一連の調査行がはじまった。

 では、なぜ、ペナンなのか。「どこでもよく」といいながら、ペナンを選んだ理由をつぎのように説明している。「この小島は、うっそうとした熱帯雨林の支配する自然界であったが、人工的に開拓されて見る間に多民族が蝟集するミクロ・コスモス、西欧とアジアの諸民族が出会う「居留地」となった。しかしその周囲は複雑な流れを持つ潮と風の交差する海であり、それを越えればインド亜大陸やマレー半島があり、その根っこにはユーラシア大陸がどんと座っている。ペナンは確かにミクロな空間ではあるが、後背には広大な世界が広がっているのである。そうした自然・社会生態への強い関心もあった」。

 本書は、「はじめに」、第Ⅰ部「海峡の植民地ペナン」、第Ⅱ部「海峡を渡ってきた人々」、「おわりに」からなり、第Ⅰ部は序章と5章、5コラム、第Ⅱ部は5章、3コラムからなる。第Ⅰ部では、「上海租界、神戸居留地を比較の基軸にして、東南アジアの居留地の一つペナンの実態とその変容を概観した」。第Ⅱ部では「さらに、いくつかの海峡を越えて到来し、連合して騒乱を起こし、対立を繰り返しては再び結集してゆくさまざまな民族集団とその人物像を描いたつもりである」。そして、著者は、「「ゆるやかなスミワケ」という生き方がペナンという多民族社会の特徴だったのではなかろうか」と結論している。  さらに著者は、「文字に拠らない資料をどのように組み込んで、新たなアジア歴史の「語り」をどう構築するのか、それはこれからの課題である」と述べて、「おわりに」を閉じている。

 多民族社会にあって、「ゆるやかなスミワケ」は完全にわかりあえない人びとと暮らしていく知恵であるが、定着農耕民社会と違い、モバイルな社会が前提となる。南インド内陸部の農民にも、そのモバイル性があったから、海域世界につながったのだろう。だれもがモバイル性をもつことが可能になったグローバル社会のなかで、共存の可能性を探ると、そこにも「ゆるやかなスミワケ」が見えてくる。強制的な同化はもちろんのこと、暗黙の価値観の共有も対立の原因になる。ペナン島の30を超える多民族集団のハイブリディティを考えると、何百、何千のパターンが想像できる。対立が起こっても、対立集団をつなぐ人びとがいるのである。そう考えると、ペナン島の場合、数世紀にわたって東南アジア各地に居住してきたプラナカンの存在が大きい。グローバル化社会のなかで、われわれはどういう「プラナカン」をみつけ、どういう役割をもたせるのか、共存のカギのように思える。