スヴェン・ベッカート著、鬼澤忍・佐藤絵里訳『綿の帝国-グローバル資本主義はいかに生まれたか』紀伊國屋書店、2022年12月28日、848頁、4500円+税、ISBN978-4-314-01195-2

 真田の居城があった上田は、「蚕都」であった。通りの並木は桑で、「信州上田ふるさと先人館」では「経済産業」を支えた人びとが紹介されている。そして、1900年に開業した常田(ときだ)館製糸場が国指定重要文化財として保全され、公開されている。64年には昭和天皇皇后が「国の重要産業蚕糸業」の製糸工場を視察している。国の政策によって84年に製糸事業は生産を終了したが、それから30余年たった2016年に平成天皇皇后が「国指定重要文化財笠原工業旧製糸場施設」を視察した。天皇皇后両陛下の行幸啓をもって、いかに製糸業が近代日本にとって重要だったかがわかる。

 「本書はヨーロッパ人が支配した<綿の帝国>の興亡の物語である。とはいえ、綿が中心的なテーマであることから、この物語はグロ-バル資本主義の構築と再構築の物語でもあり、それとともに現代世界の物語でもある」。

 帯の表では、「綿の歴史は資本主義の歴史であり、常に暴力と強制を伴っていた-」と大書され、つぎのように説明している。「奴隷制、植民地主義、強制労働……社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料のもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追求した、バンクロフト賞受賞作」。

 本書は、はじめに、全14章、謝辞、訳者あとがき、原注などからなる。原注は828ページから692ページまで137頁に及ぶ。本書は、時系列的に5大陸を行き来し、「畑から貨物船へ、商館から工場へ、摘み手から紡ぎ手、織り手、さらには消費者へと、綿がたどった足跡を追う。ブラジルの綿の歴史とアメリカのそれ、イギリスの綿の歴史とトーゴのそれ、あるいはエジプトの綿の歴史と日本のそれを切り離して論じたりはしない。<綿の帝国>とその影響下にある現代世界を理解するには、多くの場所や人びとを切り離すのではなく結びつける必要がある。つまり、この<帝国>を形づくり、さらにはその<帝国>によって形づくられた場所や人びとを」。

 本書の特色は、「はじめに」の随所で記されている。たとえば、資本主義の歴史について、「大半の書物とは異なり、本書は世界の一部にのみ通用する説明を探求するのではなく、それを正しく理解できる唯一の方法で-つまり、グローバルな枠組みのなかで-資本主義をとらえていく。資本、人間、商品、原料の地球規模での動きと、世界の遠く離れたさまざまな地域のあいだで築かれた諸々の関係が、資本主義の大変革のまさに中核にあるものだ。それはまた、本書の中核にあるものでもある」とある。

 さらに、つぎのように記している。「多くの歴史家はこの時期を「商人」資本主義ないし「商業」資本主義の時代と称してきた。だが、「戦争資本主義」という言葉のほうがその苛酷さと暴力性のみならず、ヨーロッパの帝国主義的拡大との密接な関係をよく表わしている。戦争資本主義は、資本主義の発展の過程においてとりわけ重要な段階だが、往々にして認識されていない段階でもある。それは、絶えず変化する諸関係に組み込まれた、絶えず移り変わる一連の地域で展開し、世界の一部の地域では一九世紀に入っても長く存続したのだ」。

 これまで綿の歴史が軽視されてきたことについては、つぎのように説明している。「綿の重要性を理解するのが難しい理由のひとつは、われわれの集合的記憶のなかで、炭鉱や鉄道、巨大な製鋼所といった、産業資本主義をより明瞭かつ印象的に象徴するイメージの影に隠れてしまいがちだったことにある。われわれは往々にして、地方を無視して都市を重視する。欧米の近代産業の奇跡に目を奪われるいっぽうで、世界各地に存在する原料生産者や市場と産業との結びつきには目を向けない。ややもすれば、より高貴で清潔な資本主義を切望するあまり、資本主義の歴史から奴隷制や収奪、植民地主義の事実を消し去ろうとする。産業資本主義は男性が支配していたと思われがちだが、<綿の帝国>を生み出したのはほとんど女性の労働だった。資本主義はさまざまな意味で物事を解放する原動力だったし、現代生活の多くの側面がよって立つ基盤だった。われわれは単に経済的のみならず、感情的にもイデオロギーの面からも資本主義にどっぷり浸かっている。不都合な真実は時として容易に無視されやすいのだ」。

 『女工哀史』(細井和喜蔵著、岩波文庫、1954年)を読み直してみた。それほど悲惨な印象を受けなかった。わたしの感覚が麻痺していることは、「エピローグ」のつぎの文章からわかる。「暴力と強制は、それらが可能にする資本主義と同様に適応力に富み、今日まで<綿の帝国>で主要な役割を果たしつづけている。綿作農家は相変わらず、綿花の栽培を強いられている。労働者は相変わらず、実質的に工場の囚人として拘束されている。そのうえ、彼らの活動の成果は相変わらずきわめて不平等に分配されている。たとえば、ベナンの綿花栽培者が稼ぐのは一日に一ドルかそれ以下であるいっぽう、アメリカの綿花栽培会社のオーナーたちが一九九五年から二〇一〇年のあいだに受け取った政府の補助金は総額三五〇億ドルにのぼる。バングラデシュの労働者がひどく危険な環境で、きわめて低い賃金のために衣類を縫い合わせているいっぽう、アメリカとヨーロッパの消費者はその衣服をいくらでも、しばしば信じられないほど安い価格で購入できる」。

 そして、最後のパラグラフは、「とはいえ、この支配と搾取の大きな物語の内部では、解放と創造の物語も同時進行している」ではじまり、「甘い夢物語」に希望をつないでいる。本書のキーワードである「暴力と強制」がなくなることを期待できるのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.