加藤聖文『海外引揚の研究-忘却された「大日本帝国」』岩波書店、2020年11月12日、296+28頁、5400円+税、ISBN978-4-00-061434-4

 「各論はあっても総論がない」というのが、これまでの「海外引揚の研究」であった。本書が目指すものは、「総論」への一歩である。

 著者は、序章「海外引揚研究の意義」で、本書の分析視角を国際的視点、社会的視点、世界史的視点の3つにまとめ、「多面的かつ重層的な視点から検証」し、「単なる悲劇の検証にとどまらない日本の脱植民地化の姿」を明らかにしようとしている。

 引揚者の総数については、終章「「大日本帝国」の清算と東アジアの脱植民地化」で、つぎのように説明している。「第二次世界大戦の敗北によって発生した海外からの軍人軍属を除いた引揚者は、公式統計によると満洲(一〇〇万三六〇九人)・大連(二一万五〇三七人)・中国本土および香港(五〇万七八五人)・台湾(三二万二一五六人)・南朝鮮(四一万六一一〇人)・北朝鮮(二九万七一九四人)・南樺太および千島(二七万七四九〇人)・南洋群島(二万七五〇六人)・東南アジア(八万五四四五人)、その他の地域(ソ連・豪・沖縄・小笠原など)を合わせて総数三一八万八〇八五人にのぼる。ただし、同じ引揚として扱われていても、戦争終結前の避難であるか、または終結後の送還であるかによって性格は大きく異なる」。「戦争終結前に行われたものは、正確には引揚ではなく疎開または避難といえるものである」。

 したがって、「本書が対象としたのは、敗戦前に戦場となって事実上喪失していた南洋群島を除いた植民地からの引揚である」。また、東南アジアについても分析対象としないとし、序章でつぎのように説明している。「南洋群島や東南アジアからの引揚に関しては、他地域に比べると在住日本人の数が少なかったこと以上に敗戦前から戦場となっていたという特殊事情を加味しなければならない。敗戦前から始まった本土への疎開や戦闘に巻き込まれての避難、敗戦前に連合国軍に保護されて収容所生活を送っていたなど戦争避難民ともいえる存在であった。また、米軍を中心とした連合軍の保護下に置かれて戦争終結直後から段階的に引揚が実施されたことも特徴として挙げられる。すなわち、米ソ冷戦や国共内戦といった政治対立が複雑に絡み合うなかで実施された満洲や北朝鮮・樺太など他地域の引揚とは歴史的背景を大きく異にする」。

 本書は、序章、全7章、終章などからなる。序章最後の「第3節 本書の構成と狙い」で、つぎの2つの課題を設定した後、章ごとに概要を述べている。「まず、第一の課題は、敗戦後の残留日本人の「引揚問題」を解明することである。この課題は、国内外の一次資料を基にして引揚実施をめぐる国内政治過程と国際政治要因からの解明を試みる。つぎに第二の課題は、引揚げた後の日本国内における「引揚者問題」を解明することである。この課題は、引揚者の手記または聞き取り調査などさまざまな資料を基にして、戦後日本社会と引揚者との関係や、引揚をめぐる歴史認識と戦争犠牲者観からの解明を試みる」。「以上二つの課題の解明を経て、最終的には海外引揚の全容、そして日本の脱植民地化の特質を明らかにする」。

 第1章「「大日本帝国」の崩壊と海外引揚問題の発生」では、「海外引揚がどのような状況下で発生し、どのようにして実行されたのかについて、国際関係の視点から明らかにする」。

 第2章「満洲国崩壊と在満日本人引揚問題-満洲」では、「引揚のなかでも最大の犠牲と悲劇を生んだ満洲引揚を取り上げ、その遠因と残留日本人が置かれた社会実態を明らかにする」。

 第3章「引揚体験にみる脱植民地化の特異性-台湾・中国本土」では、「満洲とまったく正反対の状況に置かれた国民政府支配下の台湾と中国本土からの引揚を取り上げ、日中の政治的思惑を背景とする平穏な引揚が戦後日本における中国観・台湾観の形成に影響を与えるとともに、脱植民地化の思想的基盤となったことを明らかにする」。

 第4章「ソ連の北東アジア政策と日本人引揚問題-大連・北朝鮮・南樺太」では、「満洲と同じくソ連軍が進攻した大連・北朝鮮・南樺太からの引揚を取り上げ、ソ連軍進攻によって崩壊した大戦前の北東アジア地域秩序のなかで残留日本人が置かれた状況とソ連中心の北東アジア新秩序が形成される過程を明らかにする」。

 第5章「救護から援護へ-京城日本人世話会と引揚者団体」では、「南朝鮮からの引揚を取り上げる。敗戦後に各地で結成された日本人団体のなかでもとくに積極的な活動を行った京城日本人世話会を中心に、現地での救済活動、さらには国内での引揚者援護を経て、在外財産補償要求を掲げた引揚者団体へと発展する過程を明らかにする」。

 第6章「引揚体験の記憶化と歴史認識-満洲引揚者の戦後史」では、「引揚者が戦後になってどのように自身の体験を総括し、自らの歴史認識を形成していったのかについて、引揚者のなかで多数を占め、また強烈な体験を経てきた満洲引揚者を通して明らかにする」。

 第7章「慰霊と帝国-表象された引揚体験」では、「全国で建立された引揚に関わる記念碑に着目し、第6章で扱った歴史編纂とは別の角度から戦後日本と引揚者との関わりを明らかにする」。

 終章では、「米ソ冷戦構造のなかで戦争賠償・植民地補償と戦争犯罪が曖昧にされるとともに海外引揚が引揚者援護として国内問題化した結果、大日本帝国の清算が曖昧にされ、東アジアにおける脱植民地化と向き合う機会を失ったことを指摘する」。

 そして、終章の最後に「海外引揚研究の可能性-一国史を超えて」と題して、つぎのように総括して、本書を閉じている。「海外引揚を学術的に検証することは、現在残された研究課題を克服する入り口でもある。大日本帝国崩壊から始まる東アジアの戦後史は相互に連関したものであって、一国史で捉えきれるものではない。海外引揚は、民族変動と脱植民地化による東アジアの国民国家再編の実相を反映するものであり、そこに日本列島に限らず中国大陸や朝鮮半島や台湾など島嶼部からの視点を交差させることで、一国史の枠組みを超えた立体的かつ重層的な東アジア史を提示し、国民国家そのものを問うことが可能となる。本書が対象とした海外引揚研究の意義と今後進めるべき方向性はまさにそこに求められよう」。

 最初の3つの分析視角は、日本の研究課題から東アジア、世界の研究課題になることを想定したものだろう。総論なき各論を、どう発展させていくかということでもあろう。本書からも明らかなように、「総論」は視野を広げれば広げるほど困難になる。「不可欠な一次資料の宝庫であるロシアと中国においては、アクセスが厳しいという問題を抱えている」。せめて、ロシアと中国がこれらの資料を使って「自国史」を書いてくれるといいのだが。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.