和田敦彦『「大東亜」の読書編成-思想戦と日本語書物の流通』ひつじ書房、2022年2月15日、351頁、2900円、ISBN978-4-8234-1129-8

 本書の主題に、「読書編成」という耳慣れない言葉が使われている。著者は、序章「<日本>を発信する」で、つぎのように説明している。「出版、印刷、流通、教育などの技術によって組織化、システム化されるのが読書という行為であり、それゆえ、これら技術の変化によって読書はつくられ、あるいはつくりかえられる。戦時期はそれが意図的に、顕著にみられる時期でもある。このように読書へと働きかける仕組みと、読者との関係を書物の広がりを通じて描き出すのが本書のもくろみだが、それを一言であらわす適当な言葉がない。本文では一言であらわす必要はないが、タイトルでは数百字で説明するわけにもゆかないため、「読書編成」という言葉で示しておくこととした」。

 本書は、序章、3部全9章、終章からなる。第一部「国内の文化統制から対外文化工作へ」は3章からなり、「大きく三つのトピックを扱っている。第一章[「再編される学知とその広がり-戦時下の国文学研究から」]で問題としているのは、戦時期に日本文学を教える大学という場である。戦時期に日本の文学や文化の価値が、教育の場でいかに作り出され、広がっていくのかを問題にしている。次[第二章「読書の統制と指導-読書傾向調査の時代」]にとりあげるのは、読書指導という場である。特に戦時下に活発化する読書傾向調査に着目し、それが読者を指導・統制する国民読書運動に結びついていく過程をとらえている。国民読書運動はまた、外地での文化工作の技術としても転用されていく。第三章[「「東亜文化圏」という思想-文化工作の現場から」]では、東南アジアへの文化工作の広範な実践を青年文化協会の機関誌『東亜文化圏』からとらえる。青年文化協会は、日本を中心とした「新興東洋文化ノ拡充強化」の人材育成を目的として掲げ、特に中国以外のアジア諸国との対外文化事業を展開していく財団法人である。いずれも、具体的に書物を教え、広げていく場を問題としている。第一部では、こうした書物を読者へと広げていく人や組織、すなわち仲介者の活動を、その資料とともにとらえていく方法をとっている」。

 第二部「外地日本語蔵書から文化工作をとらえる」は4章からなり、「日本の文化工作を、東南アジア、特に戦時期のベトナム、インドネシアへの書物の広がりと通してとらえる。書物を広げていく仲介者の資料に加え、日本が文化工作を行った現地に遺された日本語資料を重要な手がかりとしている。それが主にベトナムやインドネシアに日本から送られ、今日遺されている戦時期の日本語資料である。これらが本書でのアプローチに役立つことは言うまでもない。それは書物の広がりを、そしてまた文化工作の技術を、具体的なタイトル、形をもって示してくれるからである。第二部では、これら書物の広がりを通して、ベトナム、そしてフランスでの日本の文化工作を、現地に設置された日本文化会館や、占領、進駐した日本軍の活動の中で描き出していく」。

 第三部「流通への遠い道のり」は2章からなり、「この書物の読者への広がりをとらえるという方法を、より遠い場所への広がり、あるいは時間を隔てた広がりとして展開している。第二部では日本が進駐、占領した東南アジア地域を主な対象として論じているが、日本からさらに離れたブラジルへの広がりをもとに論じてく。それはまた、ブラジル政府による国内の文化統制の力と、日本からの移住地に向けられた文化工作の力とがぶつかり合う読書空間をとらえることともなろう。第三部ではまた、空間的な広がりのみならず、戦時期の書物が国境と時間を隔ててどう受け渡され、広がっていくのかを、南京大虐殺事件を描いた書物をもとにとらえることを試みている」。

 そして、終章「書物の流れを追いかけて」では、まず「1 書物の広がりからとらえること」で、各部で明らかになったことをまとめている。「第一部では日本の言語や文化を価値づけ、教え、広げていく大学という場をとらえていった。また、戦時下の読書指導運動を、こうした書物を読者へと広げていく技術としてとらえていった。読者を調べ、見出していく読書傾向調査と、それら読者にみあった図書の選定、さらにはそれらを読む読書会の組織化は、相互に結びつき合い、読書を統制する一連の技術となる。その技術は国内の統制のみならず、海外における文化工作においても用いられていた。海外における文化工作の多様な実践はまた、東亜文化圏の会の活動からとらえられてもいる」。「このように、第一部では戦時下の文化の統制や文化工作について、すなわち知を伝え、教え、広げていく人や組織の活動を、いわばこれら仲介者の役割を明かしていった」。

 「第二部では、これら書物の広がりを通して、ベトナム、そしてフランスでの日本の文化工作を、現地に設置された日本文化会館や、占領、進駐した日本軍の活動の中で描き出していった」。「講談ジャンルの話形をここではとりあげ、その国内での統治や、海外への文化工作に果たす物語について論じていった。中でも東南アジアにおける文化工作の中で重要な役割を果たす話形として山田長政の伝記小説群をとりあげ、それらが日本の海外発展の事蹟を物語るとともに、その事蹟の科学的な解明、発見の物語ともなっていたことを明かしていった」。

 「第三部では、この書物の読者への広がりをとらえるという方法を、より遠い場所への広がり、あるいは時間を隔てた広がりとして展開している」。「本書で対象となった国々において、日本の書物の広がりや受容は北米とは大きな[く]異なる。それは、先にふれた、なぜ本書で扱った日本語資料が戦後長く目を向けられてこなかったのかという問いにも関わっている」。

 「2 東南アジア各国の戦前日本語資料」では、東南アジア各国で「この地域への書物の広がりをとらえようと、二〇一三年から七年あまり、私は東南アジア各国の日本語資料所蔵機関を回って調査にあたっていた」成果がまとめられている。

 「3 書物の広がりのその先」では、つぎのようにまとめている。「知や情報を教え、広げる仲介者の歴史的な役割や、またそれをうかがう資料は、これまで十分にとらえられてきていない。しかしだからこそ、この領域はまだまだこれから新たな研究で掘り起こしていくことのできる可能性に充ちているのである。これからの研究者が拓いていく領域といってもよいだろう。そうした地平へと関心を向ける人々のために、本書が露払いのような役に立てばと思う」。

 本書で取りあげた「読者」とはだれのことだろうか。日本人であろうか、日本語教育を受けた現地の人であろうか。現代では、駐在員やその家族であろうか。残念ながら、本書で多く取りあげられた東南アジアで、漫画やアイドル本を流し読みする若者は山のようにいるが、日本の一般書籍を読むことのできる者はほとんどいない。ましてや本書のような学術書を読めるものは皆無に近い。「広げる」という意味が、読者自身が地域的に移動して「広がる」のか、日本語を理解する者が増えて「広がる」のか、よくわからない。日本占領下では、日本語教育によって読者が増えることを期待していたかもしれないが、実際には占領期間が短すぎてそのような読者は育たなかった。書かれている理屈はわかるが、実態との齟齬が大きいような気がした。著者が、「大東亜」で「発見」した日本語書物は、だれが、どのようなものを、どの程度読んだのだろうか。まったく読まれなかったものが多いような気がする。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月(予定)、160頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.