福武慎太郎編著『東ティモール-独立後の暮らしと社会の現場から』彩流社、2025年2月4日、438頁、3000円+税、ISBN978-4-7791-3022-9
「情報が20年以上前から更新されていない」と「あとがき」にある。わたしの東ティモールに関する情報もまさにその通りで、「平和になると私たちの関心は薄れてしまう」。だが、どうも結構なことだらけだけではないようだ。「フィールドワークによる最新事情」をみることにしよう。
本書のねらいは、序章「ワニと十字架の国を歩く」で、つぎのように書かれている。「独立から20年が経過した今、この国の出来事が、日本で報道され話題にのぼることはほとんどない。パレスチナやウクライナのことがこれだけ報道されていることを考えると、平和であるということはそういうことなのかもしれない。しかし、平和になると無関心になるというのも寂しい。この20年間、独立を達成し平和になったことで、私を含めた多くの研究者がこの国を訪れ、人類学、歴史学、政治学、国際協力、平和構築など、さまざまな分野から多数の研究論文が発表されている。他方で、学生や一般向けに書かれたものは、独立前後の時期をのぞきほとんどない。そのような現状から、独立から20周年を迎え、理想と夢をかかげて独立したこの国が今、平和をいかに実現しているのか、多くの人々に知ってもらうことを本書のねらいとした」。
1991年に起こったインドネシア軍が平和的なデモ隊に無差別発砲し、400人近くが殺害されたサンタクルス事件後、インドネシアの辺境の常駐医師のいない島で調査していたわたしは、巨大パラボラアンテナで世界中のニュースを見ていた島民がこの事件についてよく知っていることに知った。「世界的に知られるようになった」とは、隠しても隠しきれないことが津々浦まで知れ渡ることを意味した。
本書は、序章、4部全15章、各部1コラム、あとがきからなる。第Ⅰ部「アジアの果ての新しい景色」は3章からなり、「東南アジア海域世界の辺境の島の新たに誕生した国家、東ティモールの自然と人々を紹介する。執筆者が共通して述べていることは、マクロ経済や開発援助の文脈では語られることのない東ティモールの豊かさである」。
第Ⅱ部「復興する文化、創造される文化」は3章からなり、「独立後に復活し、新たに形成されつつある国民文化について紹介する。執筆者が観察し記述するのは儀礼の現場である」。
第Ⅲ部「教育と開発の現場から」は4章からなり、「教育現場、コミュニティ開発の現場に関わる研究者、実践者の視点から国家建設の歩みに目を向ける」。「東ティモールは若者の国だ。独立して20数年という国家としての若さだけ[で]なく、30歳未満の若い年齢層が総人口の64.6%を占める「若者たち」の国である。その意味において、教育は東ティモールにとって重要な課題の一つである」。
第Ⅳ部「歴史のなかのネイションと政治」は5章からなり、「東ティモールのネイションとナショナリズムをめぐる諸問題について、歴史と政治の視点から迫る。東ティモールのネイション形成についての従来の語りは、ポルトガルからの脱植民地化にともない形成された民族意識を所与とすることが支配的だった。本書の執筆者に[が]共通して試みるのは、脱植民地化によるネイション形成とは異なる東ティモールのネイションの語り方である」。
そして、序章をつぎのパラグラフで締めくくっている。「東ティモールの人々にとって、「主権」の回復、「独立」の回復とはなんであったのか。「東ティモール人」とは誰なのか。そのような問いは、次世代の研究者であるからこそ、生まれてきたものであろう。本書における議論から、東ティモール研究にとどまらず、21世紀におけるナショナリズムの問題に、新たな視座を提供する議論が生まれることを期待したい」。
このような「ねらい」を踏まえて、「あとがき」ではつぎのように総括している。「その理想を掲げた試みが、すべてが喜ばしい結果につながっているわけではない。国家財政の石油ガス資源への依存、低い食料自給率と輸入依存、産業の欠如、世代交代が進まない政治、若者の失業率の高さなど、私たちの常識的な国家ガバナンスの評価の基準に照らせば、けっして良い成績ではない。しかし、東ティモール社会には、持つ者が持たざる者に手を差しのべる相互扶助の文化が強く残っている。政府の政策を批判することが可能な言論の自由がある。そして何よりも重要なのはこの20年間、東ティモールでは多くの人々が巻き込まれ多くの人々が命を落とすような紛争や内戦は起こらなかった。この20年、子どもたちは平和な日常のなかで育ち、そしていまや彼らは選挙権をもつ大人になった。彼らの親となったかつての若者たちが望んでいたことは間違いなく実現したのだ」。
だが、つづけて編著者は、つぎのように吐露している。「平和について書くことは難しい。平和を定義しようとすると「戦争のない」状態などと、消極的な定義に頼らざるを得ない。平和であることに関心の目を向けてもらうことも意外に難しい」。
さらに、つぎのパラグラフで、本書を閉じている。「長期にわたる植民地支配、そして独立にいたるプロセスで不条理な暴力を経験した東ティモールの、独立後の20年は、いかなるものであったのか。本書が、東ティモールに関心のある人たちだけでなく、パレスチナのガザ地区、そしてこの世界のどこかで、今なお戦争のさなかで苦境にある人たちのことを想う人々にも読まれ、「平和」とは何かを考える機会となれば幸いである」。
医師で詩人で、苛酷な戦場を経験した丸山豊(1915-89)は、戦後、戦争の反省を示すものとして軽々しく使われた「平和」ということばが使えなかった。「平和」をもたらすことがいかに困難であるかを知っていたからである[早瀬晋三『すれ違う歴史認識』(人文書院、2022年)参照]。東ティモールの人びとにとって、「平和」という意味は、われわれが考えるものとずいぶん違うものだろう。本書からそれが読み取れれば、軽々しく「平和」ということばを使うこともなくなるだろう。責任がともなうことばだから。
つまらないところで誤植がちょこちょこある。おそらく出版社の編集者は、まともにゲラ(校正紙)に目を通さなかったのだろう。信頼のおける出版社では、編集者とは別に校正する者や内容をすくなくともウィキペディアくらいはチェックする者がいる。ウィキペディアで間違っているものを根拠に指摘されて苦笑することもあるが、ありがたい。だがひとりでなにもかもしている編集者は執筆者任せになってしまう。本書のように若手、中堅が多いと、時間的余裕がなく、こんなことになってしまう。編集者個人だけでなく、出版社の体質でもあるのだろう。出版社に任せるわけにはいかなくってきている。研究者の編者がカバーするしかない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
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