デリク・クラーク著、和中光次訳『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人-知られざる日本軍捕虜収容所の真実』ハート出版、2019年2月27日、301頁、1800円+税、ISBN978-4-8024-0069-5
本書の著者、デリク・クラークはP.O.W.であった。直訳すると「戦争の囚人」である。日本語では「捕虜」、公式には「俘虜」で、彼がいたのは「俘虜収容所」である。捕虜から想像されるのは、苛酷な労働や拷問などの虐待である。だが、囚人から想像されるのは、独房に閉じ込められていることである。そして、著者が、本書で書いていることは、もっぱら労働と食事、そして友情である。
本書の原題は、No Cook's Tour (2005)である。その由来を、「訳者まえがき」でつぎのように説明している。「大森の捕虜が米軍に引き渡された後、クラークは太平洋、北米大陸、大西洋を横断し、結局、世界を一周して帰国している」。「"Cook"とは、英国にある世界最初の旅行代理店のことで、すでに19世紀から世界一周の団体旅行を扱っていた」。「クラークの世界一周は、旅行会社のそれとは全然違う旅であった。世界中を冒険したいという、彼の子供の頃からの夢は確かに叶った。しかしそれは、子供の頃には想像もできなかった、人生に大きな影響を及ぼすような出来事の連続する、“冒険”旅行だったのである」。
帯には、つぎのように要約されている。「シンガポール陥落後、日本軍の捕虜となったイギリス兵クラークは、台湾の労働キャンプを経て、東京の大森捕虜収容所へと送られた」。「彼の、英国流ユーモアあふれる文章と、得意のイラストによって、戦時下を懸命に生きる人々の姿が、生き生きとよみがえる」。要約の横には、「著者の体験をより深く理解するための豊富な“訳注”を巻末に収録!」とある。これは、ありがたい。
本書が出版されたのは、本書にも何度も登場する捕虜仲間のハリー・ベリー(1916-2004)が亡くなったときに、それより4年早く亡くなったデリク・クラーク(1921-2000)の原稿のコピーがハリーの原稿とともに出てきて、娘さんがつぎのように考えたからであった。「画家のデリクと作曲家のハリー、この二人の親友は、助け合って過酷な状況を乗り越えました。仲間を想うそのスピリットは称賛すべきでものであり、彼らの物語は大いに出版する価値がある」。
ハリーの本は、一足早く2004年に出版された(Harry Berry, My Darling Wife: The True Letters of Harry Berry to Gwen 1940-1945, London: Authors Online)。これらより先の1998年には、同じ大森で捕虜だったロバート・R・マーチンデールの「資料的価値が極めて高い」本が出版されている(Robert R. Martindale, The 13th Mission: Prisoner of the Notorious Omori Prison in Tokyo, Austin: Eakin Press)。
これらの捕虜の記録が重要なのは、捕虜とはいったいなにで、なにをしたのかが、よくわからないからである。囚人ならば、なんらかの罪を犯しているはずだが、捕虜は「戦争の囚人」といわれるが罪を犯したわけではない。敵側に捕らえられただけだ。それを「囚人」というのはおかしい。そして、捕虜はなぜ労働させられたのか。その労働は、ほかの労働者とどこが違うのか。本書にも出てくるように、捕虜は労働にたいして、その額が適性であるか、支払われ方がどうかなどは別にして、賃金をもらっていた。一般の賃労働、植民支配下の強制労働、戦時下の勤労奉仕などなど、また同じ捕虜でも解放後選択の余地なく労働に従事させられた場合もある。近代のこのような単純肉体労働を、どう考えたらいいのかよくわからない。これが捕虜による労働だ、と定義することはできない。だから、具体的な事例を集めるしかない。その例が示された本が、大森の俘虜収容所の場合、すくなくとも3冊出版された。たしかに「貴重な記録」ということができる。
本書の著者、デリク・クラークはP.O.W.であった。直訳すると「戦争の囚人」である。日本語では「捕虜」、公式には「俘虜」で、彼がいたのは「俘虜収容所」である。捕虜から想像されるのは、苛酷な労働や拷問などの虐待である。だが、囚人から想像されるのは、独房に閉じ込められていることである。そして、著者が、本書で書いていることは、もっぱら労働と食事、そして友情である。
本書の原題は、No Cook's Tour (2005)である。その由来を、「訳者まえがき」でつぎのように説明している。「大森の捕虜が米軍に引き渡された後、クラークは太平洋、北米大陸、大西洋を横断し、結局、世界を一周して帰国している」。「"Cook"とは、英国にある世界最初の旅行代理店のことで、すでに19世紀から世界一周の団体旅行を扱っていた」。「クラークの世界一周は、旅行会社のそれとは全然違う旅であった。世界中を冒険したいという、彼の子供の頃からの夢は確かに叶った。しかしそれは、子供の頃には想像もできなかった、人生に大きな影響を及ぼすような出来事の連続する、“冒険”旅行だったのである」。
帯には、つぎのように要約されている。「シンガポール陥落後、日本軍の捕虜となったイギリス兵クラークは、台湾の労働キャンプを経て、東京の大森捕虜収容所へと送られた」。「彼の、英国流ユーモアあふれる文章と、得意のイラストによって、戦時下を懸命に生きる人々の姿が、生き生きとよみがえる」。要約の横には、「著者の体験をより深く理解するための豊富な“訳注”を巻末に収録!」とある。これは、ありがたい。
本書が出版されたのは、本書にも何度も登場する捕虜仲間のハリー・ベリー(1916-2004)が亡くなったときに、それより4年早く亡くなったデリク・クラーク(1921-2000)の原稿のコピーがハリーの原稿とともに出てきて、娘さんがつぎのように考えたからであった。「画家のデリクと作曲家のハリー、この二人の親友は、助け合って過酷な状況を乗り越えました。仲間を想うそのスピリットは称賛すべきでものであり、彼らの物語は大いに出版する価値がある」。
ハリーの本は、一足早く2004年に出版された(Harry Berry, My Darling Wife: The True Letters of Harry Berry to Gwen 1940-1945, London: Authors Online)。これらより先の1998年には、同じ大森で捕虜だったロバート・R・マーチンデールの「資料的価値が極めて高い」本が出版されている(Robert R. Martindale, The 13th Mission: Prisoner of the Notorious Omori Prison in Tokyo, Austin: Eakin Press)。
これらの捕虜の記録が重要なのは、捕虜とはいったいなにで、なにをしたのかが、よくわからないからである。囚人ならば、なんらかの罪を犯しているはずだが、捕虜は「戦争の囚人」といわれるが罪を犯したわけではない。敵側に捕らえられただけだ。それを「囚人」というのはおかしい。そして、捕虜はなぜ労働させられたのか。その労働は、ほかの労働者とどこが違うのか。本書にも出てくるように、捕虜は労働にたいして、その額が適性であるか、支払われ方がどうかなどは別にして、賃金をもらっていた。一般の賃労働、植民支配下の強制労働、戦時下の勤労奉仕などなど、また同じ捕虜でも解放後選択の余地なく労働に従事させられた場合もある。近代のこのような単純肉体労働を、どう考えたらいいのかよくわからない。これが捕虜による労働だ、と定義することはできない。だから、具体的な事例を集めるしかない。その例が示された本が、大森の俘虜収容所の場合、すくなくとも3冊出版された。たしかに「貴重な記録」ということができる。
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