牧野宏美『春を売るひと-「からゆきさん」から現代まで』晶文社、2024年6月15日、226頁、2000円+税、ISN978-4-7949-7425-9
著者が取材をつづけた理由を、つぎのように語っている。「当初は女性が置かれた状況を少しでも理解し、苛酷な実態を伝えたいという思いが強かった。理解ができたとは思っていないが、次第にからゆきさんが語る辛さや生き様に、そして生きるためになりふりかまわず街頭に立ち続けたパンパンのたくましさに、心を揺さぶられたのも事実だ。なぜ彼女たちの生き方に引き付けられるのか。そう考えたことも取材を続けた大きな理由のひとつである」。
それが、帯にある「共感を呼ぶまったく新しい女性史の誕生」のことであるなら、ジャーナリスト界はずんぶん遅れていたことになる。本書で参考にされているワレン『阿姑とからゆきさん』は、女性の力強さを描いた優れた社会史研究で、英文原著初版が出版されたのが1993年、すでに30年が過ぎている。日本でも、「からゆきさん」ブームのきっかけとなった山崎朋子『サンダカン八番娼館』(1972年)は「底辺女性史」として描いたが、単行本の出版は後になったが森崎和江(『からゆきさん』1976年)は、早くから本書に通じる「普通」の女性を描いていた。
本書が「新しい女性史の誕生」として評価されるのは、「島原半島からの密航。米軍基地の脇で、そして現代の夜の新宿で。彼女たちは何を思い、どう生きて来たのか。「からゆきさん」、「パンパン」-娼婦、売春。最後の証言者たちの声を追い、一二〇年にわたるその真実の姿と命に迫る」120年の歴史と連続性と、このような女性にたいする無知・無関心、蔑視・偏見を追求したことによる。
本書は、はじめに、全4章、おわりに、などからなる。第1章「からゆきさんの声」、第2章「「パンパン」と呼ばれて」の2章で全体の70%以上を占める。
第3章「娼婦はどう見られてきたか」は、つぎのパラグラフで締めくくられている。「性風俗に従事する女性たちを支援したり、搾取される状況から救おうとしたりする動きもある一方で、先述のように根強い蔑視がうかがわれる事情もあり、社会全体のまなざしが大きく変化したようには見えない。その蔑視のまなざしはむしろ固定化しているようにさえ思える」。
第4章「分断を越えるために」では、つぎのようないくつもの「分断」があることを認めている。「主に近代から続く娼婦への蔑視は、男性だけでなく娼婦ではない女性たちもかかわってきた。現代においてもなお、男性や女性、性的少数者の人々という線引きに加え、娼婦と呼ばれる女性たちとそれ以外の女性たちとの間にも分断があるように思う」。
そして、第4章をつぎのように締めくくって、本書の結論としている。「日本ではジェンダーに基づく差別や格差が色濃く残る。現在はそれが改善すべき状況としてようやく可視化されてきた段階で、格差をなくす動きは緒に就いたばかりだといえる。本書でこれまで見てきたように、近現代の娼婦に対するこうした差別的なまなざしは、男性が優位にある社会が常に影響力を及ぼし、形成してきたと言えるだろう。そこには「買う」側の男性の存在と意識が大きく関わっているのは言うまでもないが、男性の意識を内面化した女性も存在する。貧困や経済格差の拡大という、娼婦を生む構造的問題も依然として横たわる。また、長く続く蔑視をなくすことは容易ではないだろう。ただ、ジェンダー差別や格差、性暴力をなくすという新しい段階の声が高まる今だからこそ、この蔑視の問題に真摯に向き合うことが重要であり、分断を乗り越えるための転機のひとつになる可能性があると考える」。
「消えゆく「娼婦の声」を追ってきて感じたのは、声にはその時々の多様で複雑な社会の問題が凝縮されているということだ。それらは決して過去に片付けられた問題ではない。だからこそ記録に残す必要があり、今を生きる私たちはその突きつけられた課題にひとつひとつ、取り組んでいかなければならないと思う」。
あまり期待しないで読みはじめたが、しだいに「新しい女性史」としての読み応えを感じるようになった。ジャーナリストがここまで書くと、今度は研究者の側の遅れが目立つようになる。巻末の「主な参考文献・資料一覧」を見ても、すぐに読みたくなる最新の研究書は見あたらない。今後も、社会史研究者にはできない取材とその成果を期待したい。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
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