飯島真里子『コナコーヒーのグローバル・ヒストリー-太平洋空間の重層的移動史』京都大学学術出版会、2025年2月25日、333頁、3200円+税、ISBN978-4-8140-0567-3
職場にも自宅にも、コーヒー豆のマトリックスを貼っていた。コナは香りと酸味が強い特徴がある。キリマンジャロに近いがともにキリマンジャロに勝っている。ブルーマウンテンは香りでコナに匹敵するが、酸味と真逆のコクが強い特徴がある。ジャワやモカなどはブルーマウンテン同様香りとコクが特徴だが、ブルーマウンテンにはるかに及ばない。コクと苦味を特徴とするのがトラジャやベネズエラで、苦味と酸味を特徴とするのがクリスタルマウンテンやケニアである。それぞれ特徴があり、好みによって選ぶことになるが、万人受けにブレンドするのが無難で、専門店でなければ一般にはブレンドになる。スターバックスなどでは、必ずドリップコーヒーを渡すときにスペシャリティを言ってくれる。
著者は、本書を愉しんで書いている。コナコーヒーとそれを取り巻く人びとから、グーローバルなつながりが見えてきたからである。各章末のまとめはわかりやすく、終章「太平洋史の結節点としてのコナ」の節の見出しである「多方向的移動」「植民地主義」「人種主義」からなにがわかったかがわかり、最後の節「「没背景」から浮かび上がるグローバル化の落とし穴」から課題が見えてくる。
本書の目的は、序章「コナコーヒーをめぐる歴史叙述」で、つぎのようにまとめられている。「本書は既存のコーヒー(史)研究において周縁化されてきたハワイ島コナを中心に据えることにより、コーヒーのグローバル・ヒストリーに新たな転換を提示する。ただし、コナを表舞台に出すことは、必ずしもヨーロッパ中心的叙述から遠ざかるのではない。太平洋地域に位置するコナからのコーヒー史は、ヨーロッパ帝国の植民地膨張に伴うコーヒー栽培地拡大のストーリーに、日米帝国の影響も加えることで、累積される複数帝国の植民地主義や人種主義を描き出すことを可能にするといえる」。
その手法は、つぎの通りである。「本書は複数の移民史を束ね合わせることで、一集団に着目し、その移民背景・過程や移民先社会との関係を解明してきた従来の移民史研究とは異なるアプローチの実践を目指す。複数の移民史の集約作業には二つの目的がある。一つは、太平洋空間の東西から流入した移民集団の移動経路を複眼的に検討することで、コナコーヒー産業のグローバル・ヒストリーを人の国際移動の視点から掘り下げていくことである。それは、入植者・移民たちが辿った移動経路や経験によって作り出された、送出地域や中継地域とコナ間の地域的連携を描き出し、太平洋空間の歴史的叙述に新たな空間枠組みを与える。もう一つは、コナに移住・定住した複数の集団間の関係を200年という長い時間軸のなかで捉えることで、コーヒー産業内の人種秩序の変容を考察することである。長期にわたって一移民集団を考察する手法とは異なり、コナコーヒー産業を主軸に人種/エスニック集団間の関係を明らかにしていくことは、多民族社会の複雑なリアリティを描き出すことを可能にする」。
本書は、序章、全6章、終章、1つの補論、3つのコラムなどからなる。序章「4 本書の構成」で概要が示されている。第1章「ハワイ諸島へのコーヒー移植-英帝国の植物帝国主義と米国宣教師の活動」では、「その移植が、英帝国の太平洋航海、植物学者による世界的収集の実践、ハワイ王国における西洋的嗜好の需要といった要素が密接に絡む状況のなかで行われたことを論じる」。「本章は乗船者それぞれの思惑に着目しつつ、大西洋と太平洋を跨いだコーヒーの移植過程をハワイ王国の西洋化と英帝国の植物帝国主義の文脈から考察する」。
第2章「誰がコーヒーを産業化するのか-王国の主権と農業振興政策」では、「ハワイにおけるコーヒー栽培の産業化過程を見ていく。コーヒーがハワイ諸島に移植された約30年後から、ハワイでは農業振興による基幹産業の設立が重要課題として議論されるようになった。その象徴的な存在として、ハワイ王立農業協会(Royal Hawaiian Agricultural Society)の成立がある」。「外部からの植民地化は避けられたものの、ハワイ在住の欧米系政治家や宣教師による「内からの植民地化」により、ハワイは急速に近代化を経験していくこととなる」。
第3章「米国への併合とコーヒー産業-ハワイ共和国の移民・入植政策」では、「ハワイ王国が転覆し、欧米系白人による共和国が成立した時代に着目し、新政府が米国併合を実現するために推進した欧米系白人農業入植者の誘致計画とコーヒー栽培の関係を明らかにする。まず、農業・入植計画を論じたうえで、19世紀末にコナにコーヒー栽培のために逃亡してきた日系移民の存在を取り上げ、ハワイにおいて逃亡移民が「国際問題化」したことを論じる」。つぎに「国際化するほど重要な問題となった反面、逃亡移民に頼らざるを得なかったコナコーヒー産業の実情を描く出す」。
第4章「コナ「日本村」とコーヒー-日本帝国の「国産」コーヒー誕生」は、「日系移民がマジョリティの移民集団となった戦前コナコーヒー産業と社会に着目し、コナ「日本村」論の形成とその影響について考察する」。本章では「コナ日系移民による日本帝国統治領への人と資金の移動を明らかにし、コナ日本村論を批判的に考察するとともに、ハワイ(元)日系移民によってコナから南洋群島、そして台湾へと拡大されたコーヒー栽培のグローバル・ヒストリーを展開する」。
補論「グローバル・ヒストリーを紡ぎ出す」では、「多様な移動に焦点を当てたグローバル・ヒストリーを展開[に]するにあたり、筆者が行ってきた調査方法について言及する。執筆にあたって、日本、ハワイ、台湾、米国、英国に保管されている資料(日記、新聞記事、報告書、インタビュー、マテリアルなど)の収集はもちろん、それらをどう繋げていくかという作業が非常に重要となった」。「本論では、アーカイブ化された資料から移動をどう再構築しグローバル・ヒストリーを実践したのか、そしてその限界とは何かについて論じる」。
第5章「コナ「哀史」とそれを継ぐ者たち-日系、ラテン系、新たな担い手のゆくえ」では、「1970年代から衰退し始めたコナコーヒー産業が、スペシャルティコーヒー市場の開拓により大きく変化し、それを受けて産業内及びコナ社会の人種構造に変容が起きたことを見ていく。具体的には、スペシャルティコーヒーとしてのコナコーヒーに価値を見出した欧米系白人農家や日米コーヒー企業の参入によって引き起こされた一連の変化である。これにより、コナ社会を構成する人種/エスニック集団にも変化は見られたが、移民労働者の搾取的状況は継続されてきた」。「しかし、人種主義的経験に屈することなく生き抜いてきたラテン系移民はコナコーヒー産業の基盤を支える主要労働力であり、本章では彼ら彼女らの排除と受入が交差する現状を明らかにする」。
第6章「スペシャルティとは何か-「コナコーヒー」のアイデンティティ」では、「「コナコーヒー」の名称が持つ今日的問題について考察する」。本章では「1959年のハワイ立州に伴うハワイ政治家とコナコーヒー栽培者たちの主体的取り組みによって始まったことを論じる」。「ところが、産地重視型のこのブランド化は、偽コナコーヒーの製造や10%か100%かのコーヒー論争など、コナコーヒーの本質を[と]問うような問題を引き起こす結果となった。つまり、高級コーヒーとしてのコナコーヒーの評者は栽培者の期待通りグローバルな評価を確立しつつも、それは栽培者を経済的に潤すものではなく、新たな問題を突き付けたのである」。
そして、つぎのように序章を結んでいる。「このように、本書は、コナコーヒー産業が経験してきた、時代、規模、内容の異なるグローバル化を「移動」をキーワードに読み解くことにより、産地名に固定されてしまったコナコーヒーを解放し、栽培者と消費者、産地と消費地が新たに繋がることができる歴史的知と、グローバルな視座を提供することを目指す」。
「以上が本書がたどる「物語」だが、実際には歴史はそう単純に図式化できるものでもない。第1章から始まる各章には、北太平洋の真ん中に浮かぶハワイ島コナで生きた栽培者の生の声、チェリーを摘み取る手の感覚、励まし合う日々の営み、そうした姿が各所に生き生きと登場する。それを現在に伝えるのを手助けしてくれるのが、史料である。過去に埋もれてしまった人びとのリアリティを、ぜひ読み取っていただきたい」。
終章では、「浮かび上がってきた没背景について、多方向的移動、植民地主義、人種主義の観点からまとめて」いる。まず、多方向的移動については、つぎのように総括した。「本書では、日欧米地域やラテンアメリカ地域からコナ、コナからアジアの亜熱帯地域(南洋群島や台湾)やラテンアメリカ地域へと、コナが200年にわたり、太平洋空間の多方向的移動の結節点となったことが浮き彫りとなった」。
つぎに、植民地主義については、「地域間や集団間の支配構造を作り出した多様な植民地主義の展開」から、コナではつぎのようなことが明らかになった。「コナ日系移民の立場から浮き彫りとなる植民地主義は、コーヒーが栽培された地政学的空間、移民が置かれた法的環境や人種関係、栽培地の土地所有をめぐる先住民との関係によって、同時進行的に複数の状況と地域で発揮されたのである」。
3つめの人種主義について、「逃亡移民を含む日系移民を積極的に受け入れてきた」コナコーヒー産業は、「欧米系白人が所有するコーヒー生産・加工会社(兼土地管理会社)が彼らが収穫したコーヒーの実や借地の管理を行っていたため、経済面において」、日系移民が従属的立場にあったことを明らかにし、さらに「コナコーヒーの信憑性や商品名保護のための裁判や法律制定に対して主導権を握ってきたのは白人コーヒー栽培者であり、日系農家が積極的に関わることはほとんどない」状況であったことを明らかにした。そして、新たな労働力として期待されたラテン系移民は、「社会的偏見や差別」を受けた。「非白人の移民集団間の関係は、ハワイに移住した時期、もしくはいかに長くハワイに定住しているか、によって左右され、新たな移民集団が加わることで先住の移民集団の社会的地位が上昇していく現象」が顕著化した。
最後の第4節は、つぎのように結んでいる。「本書が、商品名やイメージによって創出されたファンタジーから脱却し、少しでも、産地の人びと、社会、生態系のリアリティを投影したグローバル・ヒストリーとなっていれば幸いである」。
著者は、最後まで人間重視で本書を書いている。「移植、収穫、輸出されるコーヒー 入植、定住、再移住する人びと」を通して、「栽培者と消費者、産地と消費地が新たにつながることができる歴史的知を目指す」試みは、成功したといっていいだろう。だが、専門書としてはこれでいいかもしれないが、専門外の読者を想定すると、背景となる政治、経済が最小限しか説明されていないことが気になる。統計資料などももっとグラフ化して使ってよかったのではないか。冒頭で示したコナコーヒーの特徴も、なにが高級なのか、スペシャルティなのか、わからずじまいだった。
また、本書の内容とはまったく関係ないが、製本がしっかりしすぎていて、開いて中央が歪曲して読みづらく、集中して読む妨げになったのが残念だった。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
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