加納寛『盟邦タイよ、日本を見よ!-「大東亜戦争」期、日本の宣伝戦と対外商業広告』あるむ、2025年3月25日、222頁、2700円+税、ISN978-4-86333-214-0

 台湾、韓国の植民地支配、南洋群島の委任統治、満洲国、中国占領地、「大東亜共栄圏」とつづく日本の異民族支配のための文化政策のなかで、「大東亜共栄圏」内の「独立国」タイにたいして日本はどのような「宣伝」をおこなったのだろうか。日本側からみた研究は、近年発展してきているが、それを受けた側の現地語の資料による考察は、それほど多くない。その意味で、近年公開され利用できるようになってきたタイ語資料を使った本書は、この分野の包括的研究のためにも大きく貢献することになるだろう。そのために、著者が発見・収集し、本書で使われたプロパガンダ誌がデジタル化され、「愛知大学貴重資料デジタルギャラリー」で閲覧できる意義はきわめて大きい。

 タイは、戦前期ほかの東南アジア地域に比べ桁違いに在留日本人人口が少ないにもかかわらず、比較的研究が進んでいる(1940年現在、米領フィリピン28731人、英領マライ7119人、蘭領東インド6384人、タイ587人、仏領インドシナ206人)。そのため、序章「「大東亜戦争」期における日本からみたタイ」では、先行研究に10頁余を割いて、「先行研究の現状と課題」を論じ、つぎのようにまとめている。

 「日本による対外宣伝は、全体としては文化関係や文化政策の研究において扱われてきている。また、宣伝手段や宣伝内容によって、日本語教育史やメディア史、写真史、美術史、映画史など、様々な研究分野から、それぞれの領域に関する研究がなされてきた」。「しかし、各メディアの専門性の関係から、時として各メディア分野間の研究上の連携がなされないままに個別に研究が進められる場合も多く」、「また、対外宣伝についての研究において政治的・文化的な側面の分析が重要であることは論を俟たないが、一方で宣伝媒体に掲載された商業広告等を通した経済的側面の分析については、ほとんど検討されておらず、より立体的な日タイ関係の理解においては、商業広告への着眼も必要である」。

 「より大きな問題としては、「大東亜共栄圏」各地を日本側からの宣伝工作の客体の一部として位置付けている研究群において、現地語を用いてなされた対外宣伝の内容それ自体については、いまだほとんど分析がなされておらず、さらに重要なことには現地の政府や人々の反応についても十分な検討はされてきていない」。

 「日本側の宣伝に対して、タイ政府やタイの人々がどのように反応したかについても、従来の研究では一次史料に基づく十分な分析がなされていないといえる。とくに20世紀までの業績については、タイ国立公文書館がまだ十分に整備されていなかったこともあって、タイ政府側の史料を検討できていないものも多く、少なくとも日本の宣伝活動に対するタイ側の動きについては十分に明らかになっていない」。

 以上のことから、本書の目的は、以下のようになった。「本書は、「大東亜戦争」期の日本が、同盟国であるタイに向けて展開したプロパガンダの展開過程と内容を、日本側の史料にあわせてタイ政府側の史料やタイ語で書かれた宣伝媒体を分析することによって明らかにし、そこに読み取れる当時の日本の対タイ宣伝のねらいを読み取りながら描き出すことによって、「大東亜戦争」の性格の一端を照射し直すことを目的とする」。

 本書は、序章、2部全8章、2つのコラム、2つの付表、結章などからなる。各部4章からなる。序章最後に「本書の構成」としてまとめられている。

 第1部「日本の対タイ宣伝」においては、「日本からタイへの宣伝活動について、日本側とタイ側の双方の史料に依拠しつつ全体像を俯瞰していく」。第1章「日タイ関係」では、「近代における日本とタイとの関係について、その変遷を概観する」。つづく第2章「日タイ両国の文化政策と日泰文化協定」では、「「大東亜戦争」期日本の対タイ宣伝の基盤となった1942年日泰文化協定の締結過程とその特徴について、両国の外交文書を突き合わせて双方の狙いと軋轢に着目しながら観察する」。また、第3章「日本の対タイ宣伝機関」では、「日本の対タイ宣伝機関の展開を、日泰文化研究所から1943年3月設立の日泰文化会館への移行過程を中心として跡付け」、第4章「タイ側からみた日本の対タイ宣伝活動」では、「タイ政府の宣伝局が残した報告書に表れた日本による各宣伝媒体によるプロパガンダ活動に着目しながら観察していく」。

 第2部「日本の対タイ宣伝雑誌」においては、「日本の対タイ宣伝のうち、これまでほとんどタイ語による分析がなされていない対タイ宣伝雑誌を扱い、その記事や写真、商業広告といった内容から、日本の狙いについて考察していく」。第5章「『日泰文化』」では、「日泰文化会館が刊行した『日泰文化』誌の分析を通して、日本の対タイ文化宣伝の矛盾や日タイ間のせめぎ合いを浮き上がらせる」。第6章「『カウパアプ・タワンオーク』の内容分析」では、「タイのみを訴求対象としたタイ語グラフ誌である『カウパアプ・タワンオーク』の内容分析を通して、日本がタイに対してどのような姿をアピールしようとしていたかを実証していく」。第7章「『カウパアプ・タワンオーク』広告分析」では、「同じく『カウパアプ・タワンオーク』を対象として、これまでほとんど着目されてこなかった日本のプロパガンダ誌における商業広告の分析を行い、プロパガンダ誌における政治的な宣伝と商業的な広告との関係を論じる」。第8章「『フジンアジア』分析」では、「大東亜共栄圏の女性を訴求対象として刊行され、タイにおいても流通していた『フジンアジア』の内容分析と広告分析を行い、日本による宣伝の意味を『カウパアプ・タワンオーク』とは異なる視座から描き出す」。

 終章「宣伝からみた日タイ関係」では、まず各部、各章のまとめをおこなって「「大東亜戦争」期における日本の対タイ宣伝の諸相について総括し」、つぎに「全体に関わる論点についていくつかの考察を提示」している。

 まず、「全体として浮かび上がってくる「大東亜戦争」期の日タイ関係」から、「日本のタイに対する宣伝は、一方向的なものであり、タイ側が望んだ双方向的なものにはならなかった」ことを明らかにしている。そして、つぎのようにまとめている。「日本側のこのような傍若無人さが、宣伝活動のみならず様々な局面で顕在化し、両国間の緊張を高めていったことを考えるならば、ことは必ずしも宣伝の側面に限ったことではなく、日本側からタイ側に対する根本的な姿勢そのものに起因する問題であったということもできる。その点で、本書は、これまでの研究によって明らかにされてきた「大東亜戦争」期の日タイ関係について、日タイ両国側の史料に依拠しながらも、宣伝の面においても同様のことが言えることを指摘したに過ぎない」。

 つぎに、「日本側はタイに対する宣伝を通じて、どのような日本像を誰に見せようとしたのかについては、新たな発見といえるものがあったように考える」と述べ、つぎのようにまとめている。「まず、本書で紹介した日本の宣伝に登場する日本の姿は、欧米向けの宣伝において示された「伝統」と「躍進」の対極的なイメージからなる日本像とは異なるものであった」。「タイに対する宣伝において示されているのは、日本の「躍進」に重点があるものであり、日本が欧米に見せようとした自画像と、タイを含む「大東亜共栄圏」に見せようとした自画像には大きな乖離があった」。「次に、日本側は、タイに対する宣伝において、女性を訴求対象として重視していたことが明らかになった」。「さらに三つ目の発見としては、宣伝雑誌における商業広告の豊富さに関するものである。宣伝雑誌を見ていくと、その商業広告の多さに驚かされるが」、「商業広告からは、日本がタイを含む「大東亜共栄圏」を、日本製品のマーケットとしても重要視していたことは、明らかにできたと考える」。

 そして、つぎのようにまとめて本書を閉じている。「今後、さらに「大東亜共栄圏」に対する日本の宣伝と広告との関係を考えていくためには、広告表現や広告デザインの観点からの分析によって、対外プロパガンダ誌上の商業広告に表象された意図や意味についての理解を深めていく努力も必要だろう。また、「大東亜戦争」期の日本がフィリピンやジャワなど他地域向けに発行したプロパガンダ誌の広告とも比較していくことで、対タイ宣伝の特色をより相対的に捉え、それぞれの地域への関わりの同質性と異質性をより大きな視角から明らかにすることも今後の課題である」。

 自由貿易を進めていたイギリス、オランダ、アメリカの植民地と違い、保護貿易を進めていたフランスの植民地などでは、戦前の日本人の商業活動は活発ではなく、在留日本人人口も少なかった。1939年にヨーロッパで第二次世界大戦がはじまり、41年に「大東亜戦争」がはじまると、欧米勢力が後退したタイで新市場を求めて日本人の商業活動が活発になり、宣伝雑誌にも多くの商業広告を出すようになった。タイと東南アジア島嶼部の地域との違いは明白である。著者の、最後の「対タイ宣伝の特色をより相対的に捉え、それぞれの地域への関わりの同質性と異質性をより大きな視角から明らかにすることも今後の課題である」は、まさにその通りです。

 本書は、著者が2012年から27年まで16年間におよぶ科学研究費補助金の成果で、2001年から23年まで序章を含め9つの論考をまとめたものである。あまりにも長期にわたったせいか、「結章」に物足りなさを感じた。激務の校務をこなしながら出版にこぎつけたことに敬意を払いながらも、じっくり腰を落ち着けて「総括」できなかったことを残念に思う。それは、著者本人がいちばんわかっていることだろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.