吉田裕『続・日本軍兵士-帝国陸海軍の現実』中公新書、2025年1月25日、240頁、900円+税、ISBN978-4-12-102838-9

 本書は、2017年に刊行された『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』の続編で、その出版の理由を「はじめに」で、著者はつぎのように述べている。前著では「さまざまな史料に基づいて」「無残な大量死の実態を明らかにした。しかし、大量死の歴史的背景、なぜ大量死が引き起こされたのか、という問題については、陸海軍の軍事思想の特質、統帥権の独立、日本資本主義の後進性などについて、ごく簡単に言及するにとどまった」。「そこで本書では、無残な大量死が発生した歴史的背景について、明治以降の帝国陸海軍の歴史に即しながら、できる限り具体的に明らかにしたい」。

 そして、つぎの3つの視角を重視するという。「第一は、いまふうに言えば、「正面装備」(直接戦闘に使用される兵器や装備)の整備・充実を最優先にしたため、兵站(人員や軍需品の輸送・補給)、情報、衛生・医療、給養(兵員への食糧や被服などの供与)などが著しく軽視されたことである」。「帝国陸海軍自体も、間口ばかりが立派で、奥行きのない軍隊となった。そのことが兵士にとって、何を意味したのか、という問題を本書では具体的に考えてみたい」。

 「第二には、帝国陸海軍は、将校が温存・優遇される半面で、下士官、そして誰よりも兵士に過重な負担を強いる特質を持っていたのではないか、という問題である」。「経済的にも恵まれた家庭に育った」「若者たちも、兵役を平等に担ったのだろうか。そうした問題も検討したい」。

 「第三には、兵士の「生活」や「衣食住」を重視するという視点である」。本書では、「兵士の「生活」や「衣食住」に焦点を合わせて、帝国陸海軍の生態を分析してみたい」。

 本書は、序章「近代日本の戦死者と戦病死者-日清戦争からアジア・太平洋戦争まで」、全4章、おわりに、5つのコラム、あとがき、などからなる。第1-3章では、時系列に第1章「明治から満州事変まで-兵士たちの「食」と体格」、第2章「日中全面戦争下-拡大する兵力動員」、第3章「アジア・太平洋戦争末期-飢える前線」で兵士の生態を理解した後、第4章「人間軽視-日本軍の構造的問題」で考察を深めていく。

 「おわりに」では、「日中全面戦争下、野放図な軍拡」「宇垣一成の陸軍上層部批判」「騎兵監・吉田悳の意見書」「日本陸軍機械化の限界」「追いつかなかった軍備の充実」の見出しの下で、議論を展開し、つぎの最後の2つのパラグラフを結論としている。

 「結局、日本の国力では、臨時軍事費の転用などによって、「正面装備」の充実はある程度実現したものの、軍の機械化・自動車化、兵站の整備、軍事衛星や軍事医療、給養の充実などの課題はすべて先送りとなった。「奥行き」のある軍備は、最後まで実現できなかったのである。そのことは兵士にいっそう過重な負担を強いることを意味した」。

 「同時に、射程をさらに伸ばして考えれば、アジア・太平洋戦争における「大日本帝国」の悲惨な敗北を準備したのは、軍事史的にみれば、日中全面戦争の長期化と戦略的見通しを欠いた無統制な軍拡だった、と言うことができるだろう」。

 「あとがき」では、著者が本書執筆に至った背景を、つぎのように吐露している。「歴史研究者としての私が、やってきたことは、この戦史研究の分野に歴史学研究の分野から割って入り、戦闘や戦場の実態を、民衆史、社会史、地域史などの手法でとらえ直すこと、そして、そのことによって、戦場や戦闘のリアルで凄惨な現実を明らかにすることだった。その最初の試みが前著『日本軍兵士』である」。「その続編である本書では、アジア・太平洋戦争における大量死の歴史的背景を、明治時代にまで遡って明らかにすることを課題とした」。

 だが、著者のおもいは、大きな壁にぶちあたることになった。「残された史料があまりにも少ないことに最後まで悩まされ続けた。私がいままでに書いた本のなかで、今回ほど「空振り」の多かった本は他にないように思う。先行研究が少ないため、自分でいわば「ヤマカン」であたりをつけて調べ始めることになるが、なかなかいい史料に到達できないのである」。

 ここに現在の社会科学中心の研究・教育に問題があることがわかる。制度に関係する資料を使って考察すると、当然ながらパワーポリティクス中心の国際関係研究に陥りやすくなり、人間軽視になる。だが、人文学では資料があっても、なかなか使いこなせず「ヤマカン」が頼りになる。したがって、社会科学教育は理論的にわかりやすく説明できるが、人文学教育はなんとなくわかってもらうしかない。その結果、学生の授業アンケートでは、社会科学の授業は評価が高くなり、人文学は低くなる。人文学で、学生に「よくわかった」と評価されれば大失敗であるが、そんなことわかってもらえない。本書のような、いい具体例があれば、なぜ社会科学だけではダメで人文学が必要であるかを説明できる。社会科学だけでは戦争は止められない。社会科学で基礎教育を受けた後の人間重視の人文学教育を受けた者が、国際的に活躍することを願っている。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.