林初梅、所澤潤、石井清輝編著『二つの時代を生きた台湾-言語・文化の相克と日本の残照』三元社、2021年12月25日、279頁、3800円+税、ISBN978-4-88303-541-0
3人の編著者のひとり、石井清輝は序論となる「本書を読むために」の「多元社会台湾の歴史的積層」冒頭で、本書の目的をつぎのように述べている。「本書は、日本統治時代と一九七〇年代後半の民主化以前の国民党政権時代を主な対象とし、この「二つの時代」を経験した「台湾人」が、どのような社会で、どのように生きてきたのか、を明らかにすることを中心的な課題としている。そしてこの問いには、先行した日本時代に形成された「日本的なるもの」(ここには当然それ以前の清の時代に形成された「清的なるもの」が存在していた)と、国民党政権が持ち込んだ「中華民国的なるもの」がどのような関係を取り結んでいったのか、という問いが潜在的にはらまれることになる」。
もうひとりの編著者の所澤潤は「本書を読むために」の「台湾の中の日本語世界」で、「本書の論文の多くの部分は、台湾がまだ日本語のよく通じる世界であった時に起こっていたことを探求したものである」とし、「本書を読むにあたっては、台湾で日本語が排除されたときのことも知っておいていただきたいと思う」と述べ、つづけてつぎのように説明している。「一九四五年一〇月二五日の台湾接収の後、わずか一年後の一九四六年一〇月二五日、新聞雑誌の日文欄(日本語欄)が廃止された。台湾省公署の決定が断行され、台湾のほとんどの出版物から日本語が姿を消したのである。その前後の状況は、日本語と中国語ほぼ半々で誌面を構成していた雑誌『新新』(新新月報社発行)から知ることができる。そしてそのことがどのぐらい台湾人の思考を抑圧したかが想像できるだろう」。
本書は、「本書を読むために」2篇、4部全8章、あとがきなどからなる。各部、2章からなる。第Ⅰ部「経済統制下の台湾」第1章「戦時体制下台湾の「デパート」-全体主義と個人の軋轢」の李衣雲は、「台湾の戦前・戦後のデパートの盛衰に注目し、「消費」と節約の消長という角度から大衆生活を検討している」。第2章「戦後台湾女性のよそおい文化-社会現象としての日本嗜好」の王耀徳・林容慧は「引き続いた経済統制の中でも、人々の「消費」行動が完全に断たれていたわけでは」なく、「その実態を女性のよそおい文化に焦点を当てて明らかにしている」。
第Ⅱ部「高等教育制度の転換をめぐって」第3章「台北高等学校の戦後-日本が過去になった時に起こったこと」の所澤潤は、「台北高等学校の後身である台北高級中学校の誕生から廃校までの過程を、委託生との出会い、高級中学への改組、台湾大学進学問題、学校行事、進路指導などの項目を中心に、当事者たちの視点から描き出している」。第4章「台北帝国大学の接収と延平学院の設立-省籍問題を伴う台湾本省人の対日感情の変化」の林初梅は、「台北帝国大学の台湾大学への接収過程と私立延平学院の成立過程を、台湾本省人と外省人のそれぞれの立場から検討している」。
第Ⅲ部「文筆家・作家としての人生を読む」第5章「黄得時による日本文化ならびに日本語に対する戦後の態度」のThilo Diefenbach(蒋永学)は、「文筆家黃得時の戦前、戦後の著作を通して、日本文化が彼にとってどのような意義を有していたのかを明らかにしている」。第6章「植民地の記憶-鐘理和「原郷人」の広がり」の今泉秀人は、「作家鐘理和の自伝的小説『原郷人』を中心に据え、台湾文学における創作言語の問題と「植民地の記憶」を紐解いていく」。
第Ⅳ部「日本社会における台湾の位相」第7章「華僑から「台湾人」へ-一九六〇-七〇年代在日台湾人の歴史的自己省察の試み」の岡野翔太(葉翔太)は、「在日台湾人の戦後史を主題とし、石蔵江(一九一七-一九七七?)を対象として、彼が自らを「華僑」から「台湾人」へと再定位していく過程を跡づけている」。第8章「植民地同窓会における戦後日本の台湾記憶-台北市・樺山小学校の事例から」の石井清輝は、「戦前に台湾で生まれ育った日本人(=湾生)が多く通った小学校の同窓会活動を対象に、そこで台湾がどのように想起されてきたのか、またそこに台湾人同窓生がどのように関与してきたのかを探求している」。
そして、「以上の各章の議論を通して」、つぎのように総括している。「日本統治時代から国民党政権時代へという「二つの時代」の転換の具体的な様相が、そして先行する日本時代の残照の中で戦後を生きた台湾人の姿が浮かび上がってくるはずである。それと同時に、そこで形成された「二つの時代」の関係性が、現在の社会に伏在していることにも気付かされるのではないかと思う。ただし、本書で取り上げられる領域、テーマは幅広く、本序論での紹介の枠内にとどまるものではない。読者のそれぞれの関心から個別の対象、テーマについて新たな知見を得ることが出来るものと確信している」。
「最後に、本書では取り上げることができなかった課題について確認」し、つぎのように述べている。「まず、本書で議論の中心となっている台湾人は中・上流層を主要な対象としているが、彼ら/彼女らによって台湾社会を代表させることは出来ないだろう。本書とは異なった社会層によって担われた台湾が存在していた可能性については、十分に注意しておく必要がある」。
「また本書では、一九七〇年代後半から始まる民主化の過程が台湾社会にもたらした影響はほとんど議論されていない。これは本書の中心的なテーマがそれ以前の社会に置かれているためやむを得ない側面もあるが、民主化の過程には、台湾人が日本の植民地統治、戦後の過程までを主体的に捉え返す契機が多分に含まれていた。本書の問いを民主化期まで含めて敷衍していくことが求められよう」。
筆頭編著者の林初梅は、「あとがき」で本書のような議論ができるようになった背景を、つぎのように説明している。「周知の通り、台湾の戦後には、二二八事件と白色テロが発生したという暗黒の時期があった」。「終戦から一九九〇年頃まで、彼らの青春時代、すなわち日本時代は否定的に捉えられていた。また日本的慣習行動も奴隷化されたというレッテルを貼られ、戦後世代との溝が深かった」。「ようやく転機が訪れたのは九〇年代以降である。民主化社会の台湾では新たな歴史研究が始まり、「日本統治による近代化」の提起及び日本語世代の人たちの歴史が注目されるようになった。その影響は学問の分野のみならず、映画制作、書籍出版の分野にまで及んでいる。ただし「日本統治による近代化」の提起と日本語世代の日本的慣習行動などをどのように評価するのかは、常に議論の的になった。すでに先行研究によって指摘されているが、こうした「日本」の内部化の背後には、半世紀もの間、国民党政府の圧政下に沈黙を余儀なくされた戦前世代の台湾人の、声をあげたいという思いがある」。
日本人として理解しておかなければならないことは、台湾の人びとの日本にたいする好意的なものは、戦前・戦後の日本人のよるものではなく、台湾の人びとの努力の結果であるということだ。本書でも、随所に湾生ら日本人が台湾の人びとに甘えていることが明らかにされている。その奥にある台湾の人びとの微妙な感情を知ることが、さらなる日本と台湾のひととひととの交流の発展に繋がる。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
コメント