瀬田真『海洋法』弘文堂、2025年2月25日、295頁、3200円+税、ISBN978-4-335-36015-2

 表紙に、荒波にもまれる舟に身を低くしてへばりつく人びとを、遠くから富士山が見守る様子が描かれている。ご存じの葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」である。富士山を国家の象徴ととらえるならば、海は国家が管理するもののようにみえる。本書で扱う海洋法は、「国際法の一分野であるため、海洋法の法源は国際法と同様、主として慣習国際法(慣習法、customary international law)および条約(treaty)」となり、国家が主体となる。

 だが、海域を生活の場とする海洋民からみると、陸域定着農耕民が主体的につくった近代国民国家は海への権利を拡大し、国際法に則って分けあい、海洋民の生活を圧迫してきたようにみえる。海洋民は、遊牧民同様、ヒトが移動しモノを動かして富を得ていたが、流通網の発達や国際法の規制によって行動範囲が縮小し、貧困化した。海賊やテロの遠因とされる。

 南シナ海をめぐる問題で、仲裁裁判所は、人間が居住し独自の経済活動を維持できるところはどこにもないとしたが、海洋民は浅瀬に居住してきた歴史があり、現にフィリピン南部のシタンカイ島には数万人が海上集落を形成し、国境を越えてマレーシア人、インドネシア人が行き交い「国際結婚」も頻繁におこなわれ、物資も行き交っている。生活圏としての海があるが、慣習として認められているのは、インドネシアのラマレラ村の生活捕鯨くらいである。そんな海洋民も、いまは国籍をもち、国際法に照らした国内法の適用をうける(処罰の対象となる)。海洋民にとって国際間で決められた海洋法は無視できないものであり、海洋民を対象とする研究者にとっても無関心ではいられない。

 本書は「海にかかわる国際法=「海洋法」の新たなスタンダード」になると、帯に大きく書かれている。小さい字では、つぎのように書かれている。「船舶運航、海洋環境保全、漁業、資源開発、海底ケーブル、科学的調査、安全保障-。四方を海に囲まれた日本にとって死活的に重要な海洋法。平易な説明に加え、充実した相互参照や図表・写真の多用で、海洋法の世界をわかりやすく掴める、海にかかわるすべての人にとって必携の新定番テキスト」。

 著者は、「はしがき」で、「海洋法の魅力」について、2つ説明している。「1つは、国家を中心とする様々なアクターの思惑により大きく動く国際社会において、法たる性格を有する国際法がどのように発展し、機能しているか(あるいは発展できなかったり、機能しなかったりするか)、その動態的な性格の面白さである」。「もう1つは、上述の性格もあり、学問としての海洋法は、実務との関係が非常に近い、という点である」。「国際法学者が各国政府や国際機関と協働し、実務家としての役割をも果たしていることに、魅力を感じた」。「海洋法も例外ではなく、とりわけ、情報量が多く動態的なこの分野は、専門家が社会に直接貢献できる機会が少なくない」。

 本書は、14-15コマで単位となる大学でテキストとして使うことを想定して13章からなり、「読みやすく、伝わりやすくするために、以下の5つの工夫を設けている。①パラグラフ番号を用いての相互参照、②条約・判例・略語などの個別整理、③勉強を深めることができるように関連書籍を主要参考文献として章ごとにリスト化、④判例へのアクセスを容易にするためにQRコードを掲載、⑤図や表を多用、である」。このほかにも、巻末に年代順の「条約・文書一覧」があり、「事項索引」は日本語と英文で英文には日本語訳が付してある。さらに裁判所別・年代順の「判例索引」がある。本文では、随所に「判例事例研究」があり、具体的に理解できる。

 最終章の第13章「海洋法による法の支配:紛争解決制度を中心に」では、「第1節 国際法における紛争解決制度とその限界」で「限界」について語っている。国益が複雑に絡み、罰則をともなわない国際法だけに、いくら法を整備しても、その実効性には疑問が残る。たとえば、近代漁業は、漁業者の教育・訓練、造船などにも多額の国家予算が注ぎ込まれ、最後は軍隊まで出てきて「保護」する、自律した産業ではない。本書でも紹介されている奴隷的労働などの違法操業による漁獲物でも洋上で積みかえるなどして「合法」的に日本にも入ってきて、食卓にのぼっている。

 「慣習国際法と条約」だけではなく、国際社会を超えたグローバル社会のなかのヒトに重点をおいた海洋法を考えると、もっともっとおもしろくなり、社会に貢献できるようになるのではないだろうか。「違法」を取り締まるだけでは、解決にならない。海洋民からみた「慣習法」にも注意を向ける必要があろう。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.