岡本隆司『倭寇とは何か-中華を揺さぶる「海賊」の正体』新潮選書、2025年2月20日、217頁、1600円+税、ISBN978-4-10-603922-5
「倭寇」の辞書的説明、たとえば著者が引用したオンラインの「ブリタニカの記述」は、つぎのようなものだった。「13~16世紀に朝鮮、中国の沿岸を襲った海賊集団に対する朝鮮、中国側の呼称。北九州、瀬戸内海沿岸の漁民、土豪が中心で、もともと私貿易を目的としていたが、しばしば暴力化した。しかし、倭寇が日本人とは限らず、その構成の大部分が中国人の場合、ポルトガル人を含む場合などもあった」。
これにたいして、著者はつぎのように書いた。「日本は、およそ得体が知れない。「中華」秩序に背いて、一六世紀半ばに貿易を強行しようと起こした騒擾が倭寇であり、また同世紀末に秩序そのものを改変しようと起こした戦争が朝鮮出兵である」。東洋史学を専門とする著者が、「中国側の立場からその見方を述べれば、こうとしかいえ」なかったのである。
「倭寇についての一般論、ないし常識論」とはなんなのだろうか。「「倭寇」は日本史でも世界史でも共通して、高校の教科書に言及する歴史事象である。日本の歴史教科書は、日本史と世界史で内容をほとんど棲み分けているから、双方ともに記述のあるのは、めずらしい事例かもしれない」。「それでも日本史のほうが、やはり手厚い記述である」。「近代以前にはおよそ外国・世界と縁の薄い日本史上、例外的な事象であって、そうした意味で注目は少なくなかった」。
そんな「たとえイメージにすぎず、虚構・誇張をふくむにせよ、そこで世界と関わった「倭寇」は、ごくネガティヴな存在ではある」が、著者は「「倭寇」をめぐる現況にやや釈然としない感覚をいだいたところにはじまり、少しつきつめて考えてゆくうち、どうも「数百年も前に過ぎ去っ」た「瑣事」ではありえないように思えてきた」。「「倭寇」そのものの個別具体的なイメージはもとより、日本史の視点で多く語られてきたこと、一六世紀末に収束にむかったとみなしてきたこと、以後もはや存在しない過去の話柄としかみないことなど、そうした全体の視座・枠組みにも、いささか物申したい」と思うようになった。
本書は、はじめに、全5章、おわりに、参考文献からなる。第1章「「倭寇」をみなおしてみる」、第2章「「互市」の時代」までは、これまでの「倭寇」論の延長として読める。第2章に、「華夷同体」ということばが出てくる。本書の副題にある「海賊」はほとんど出てこなくなるが、16世紀末に収束にむかったとされる「倭寇」を、それ以降に議論するキーワードは「華夷同体」にほかならない。
「内地の「華」人もあえて「夷」人と一体となり、「華」から「夷」という外界に身を投じる」状況が出現したのである。そして、「近世から近代へ」という見出しをたて、つぎのように説明している。「かつて「倭寇的状況」を現出した「華夷同体」構造にほかならない。「倭寇」とは「倭人」の「寇」(=騒擾行為=移動・交易)である。それぞれ日本の「鎖国」・清朝の解禁解除をへて「倭人」が消滅、代わって西洋人が登場し、以前の「寇」が「互市」に転化したのであり、それなら海側の外貌・表層・現象が変容したにすぎない。陸側の内実・基層・構造は依然として「華夷同体」であった。そこは連続している。列島主体の「倭寇」とヨーロッパ主体の「互市」とは、内的構造の本質は同じだったとみなくてはならない」。
第3章「近代史という「倭寇」」には、「「華夷同体」の転化」と「「瓜分」という「華夷同体」」の2つの見出しがある。「かつて近世・大航海時代のなかで、北京の政権と法制から乖離し「倭寇」を発現させた「華夷同体」構造が、このたびイギリス・近代の世界経済に応じて、アヘン密輸を招来した」。「アヘン貿易とその結果としてのアヘン戦争も、いわば「倭寇」「華夷同体」が再現、発展した事象だといっても過言ではない」。「列強による政治外交上の「利権」獲得は、華人の社会経済的な対外依存と表裏一体だった。このような各地の「華夷同体」の対外傾斜を以後、中国ナショナリズムの観点から「瓜分」と称する。一体たるべき「瓜」を、外から切り「分」けて食い物にするという、中国分割の譬喩的な意味を有した」。
第4章「革命とは「倭寇」?」には、「康有為という「華夷同体」」「梁啓超という「華夷同体」」「歴史的慣性と「華夷同体」」の3つの見出しがある。康有為の「変法」は、「「中華」の儒教と西洋「洋夷」の制度・風習の一体化」であり、「「華夷同体」の一類型だといってもよい」。梁啓超は、「「国民」「国家」という日本語をそのまま用いたので、それが以後、そのまま中国語と化して、政治思想・体制理念の規範となった」。「従前の「華夷同体」を言語レベルでも更新して、新たな段階に引き上げたともいえる」。そして、孫文にいたるまで「中華王朝的な独裁と西洋近代的な民主」が共棲した「「華夷同体」の発露」を継承した。
そして。第5章「「倭寇」相剋の現代中国」では、見出しに「華夷同体」はないが、ひきつづき「華夷同体」論がつづいている。見出し「その本質は」では、「倭寇」現象をつぎのように定義している。「海外と通じ独自の経済・ルールを有する場・集団ということになる。場であれば密貿易のアジトばかりではなく、開港場・租界・植民地・租借地もふくみうるし、ヒトなら海賊・匪族ばかりか、中央政府・既存体制から自立反抗する政治勢力・権力体にも転化しえた」。
そして、最後の見出し「なれの果て」は、つぎのように現在の問題を取りあげて、本書を締めくくっている。「話は香港だけで収まらない。なぜ中華人民共和国は、台湾独立を恐れるのか。なぜ新疆ウイグルやチベットを抑圧するのか。その対象は政権・地域ばかりではない。企業・個人ですら同じである。アリババやグーグルなど、内外のグローバルな多国籍企業に臨む態度は、どうなのか。海外在住の中国人知識人、あるいは中国内の外国人をどう処遇するのか」。「けだし総じて「一つの中国」につながる。それはいったい何を意味しているのか」。「回答には問いを置き換えてみるべし。すべては「倭寇とは何か」に答えればよい。「倭寇」とは、明代以降「一国二制度」にいたる、史上の中国の政治社会構造をあらわす現象だからである」。「「倭寇」とは中国そのものだ。この命題が正しければ、「倭寇」という史実の意味までみなくては、現代はわからない。逆に「倭寇」という歴史的な参照軸をもてば、目前の中国を観察理解する一助になるはずである」。
歴史家らしい結論である。「華夷同体」をたんなる「附会(こじつけ)」ととるかどうかが、中国近代史では大きな意味をもつ。康有為のところで、つぎのような説明がある。「康有為の「華夷同体」は、いわば従前の「中体西用」をつきつめた所産だった。孔子紀年・孔教からわかるように、「西用」=用いるべき西洋の制度を、すべて「中体」=根本的な儒教の原理で説明しようとしたからである。これを「附会」といい、それまで「洋務」も多かれ少なかれ、しばしば取ってきた論法だった」。「「外夷」として賎しむべき西洋の事物であれば、いったん尊い「中華」を経由しなくては、納得受容できないし、文章で表現するにも、論理として成り立たないからである。つまり「附会」とは、大なり小なり「華夷同体」に避けられない矛盾軋轢を緩和回避する方法だった」。
帯に「「目からウロコの600年史」!」とある。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.
予告
早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
コメンテーター募集中
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月15日)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月31日)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月20日)412頁。
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