伊藤雅俊『日系インドネシア人のエスノグラフィ-紡がれる日系人意識』春風社、2022年1月20日、311+iii頁、4200円+税、ISBN978-4-86110-769-6

 「本書は残留日本兵をルーツとする日系インドネシア人に関する最初の包括的研究」である。「本書で言う日系インドネシア人とは、太平洋戦争時にインドネシア各地に派兵され、終戦後に何らかの理由や自らの意思によって帰国せず、インドネシア独立に関与し、さらに同国独立後に帰国を選択しなかった残留日本兵(日系一世)及びその子孫(日系二世以降)のことである」。

 「日系インドネシア人一世はインドネシア人女性と結婚し、現地文化・社会に生きたため、二世以降の日系インドネシア人は日本文化または日系文化と呼べるような文化・慣習をほとんど維持していない」。「この残留日本兵を先祖とする日系二世から四世までの総数は」「二万七〇〇〇人にも達しない」。

 本書の目的は、「残留日本兵をルーツとする日系インドネシア人とはどのような人々であるのかを解明するものである。日系人として抱く共通の歴史的記憶と歴史認識、日系一世の時代から今日に至る日系人同士の交友関係、家庭内における日本文化の影響、日系人組織である福祉友の会メダン支部とのかかわり方、日本での就労と日本滞在の影響など、日系インドネシア人の日系人意識の形成過程とそのあり方について多角的に考察し、これまで明らかにされてこなかった彼らの姿を描き出すこと」である。

 加えて、つぎのような「日系人研究への貢献-新たな日系人像の構築を目指して」いる。「本書は北スマトラ州における長期フィールドワークに基づいた日系インドネシア人の民族誌的記述を通して、すでに定義づけがなされている南北アメリカ諸国の日系人とは異なる、新たな日系人像を提供できるだろう。同時に、東南アジアにおける日系人研究の進展にも寄与できると考える」。

 「本書の構成」は、「まえがき」の最後で、つぎのようにまとめられている。本書は、まえがき、序章、3部全11章、終章などからなる。

 第1部「日系インドネシア人一世とオラン・ジュパン」では、「まずスマトラ島における日系一世の概数、結婚、宗教、職業などについて詳述し、日系人の集住地域や多民族性といった諸特徴を把握する(第1章[スマトラ北部における日系インドネシア人一世])。次に、日系人の扶助組織である福祉友の会メダン支部が設立される一九七九年以前に、日系一世がスマトラ島各地で結成した小規模な日本人会や、日系一世個々人間で培ってきた強固なつながりを母体として、その延長線上に日系二世の交友関係が成り立っていたことを明らかにする(第2章[日系インドネシア人一世同士の交流])。続いて、北スマトラ州に生きた日系インドネシア人一世がどのようにしてオラン・ジュパン(日系一世らは周りのインドネシア人からインドネシア語で日本人を意味するオラン・ジュパンと呼ばれていた)と見なされるようになったのか、その経緯を他の民族集団からのジュパンという範疇化に焦点をあてて考察する(第3章[オラン・ジュパンとなった日系インドネシア人一世])」。

 「第2部より記述の対象が日系インドネシア人二世・三世となる」。第2部「日系インドネシア人二・三世の日系人意識」は、「第4章から第8章までで構成される」。第4章「スマトラ北部における日系インドネシア人二・三世の現状」では、「北スマトラ州で実施したフィールドワークより得られた、日系インドネシア人二・三世計一二〇人の基本情報(職業、出生地、居住地など)に、聞き取り調査や文献資料の情報を加えて、日系人及び日系コミュニティを量的な側面から把握し、諸特色を示す」。第5章「福祉友の会メダン支部の活動と役割」では、「フィールドワークで収集した情報と福祉友の会発行の『月報』及び『会報』を基に、当該地域に居住する日系インドネシア人を統括する福祉友の会メダン支部の役割を探る」。

 「福祉友の会メダン支部が設立されたのは一九七九年、日系人の渡日就労が開始されたのは一九九〇年のことであった」。第6章「日系インドネシア人二・三世同士の出会いとその後の交流」では、「この二つの出来事がスマトラ北部における日系インドネシア人同士に出会いの場所を提供し、彼らの交友関係を形成・拡大させてきたことを明らかにする」。第7章「日系インドネシア人二・三世の日本に対する想い」では、「日系インドネシア人のインドネシアにおける日本軍政期の歴史的評価と日系二世の日本との交流のあり方を紹介し、日系人意識や日系人らしさを探る」。第8章「日本文化と日系人意識の保持」では、「オラン・ジュパン、日系インドネシア人一世と生活をしていた日系二・三世は家庭内でどのような日本文化に触れていたのか具述する。また、オラン・ジュパンはどのような日本的影響を日系二・三世に及ぼしたのかを示す」。

 「第3部よりフィールドがインドネシアから日本へ移る」。第3部「日系インドネシア人の渡日就労と日本での生活世界」では、「まず、一九九〇年一二月に開始されたスマトラ北部出身の日系インドネシア人による渡日現象の全体像を示す(第9章[日系インドネシア人の渡日就労])。次に、一九九〇年代中葉に出現した日系インドネシア人のスマトラ北部と日本の各就労地域とを結ぶ親族や友人を基盤とした人的ネットワークについて論じ、それが彼らの日本への移動や日本での職探しなどをスムーズにさせてきたことを明示する(第10章[渡日就労者の世代交代と人的ネットワーク])。最後に、愛知県小牧市とその周辺で就労している日系インドネシア人の基本情報及び彼らの社会的紐帯のあり方を報告する。また、同地域において二〇〇五年九月に日系インドネシア人及びインドネシア人技能実習生によって結成された自助組織の活動や性格を示す(第11章[日系インドネシア人の日本での生活世界])。

 終章では、まず「第1節 日系人意識の根底にあるもの」で「1-1 残留日本兵の子孫であること」から議論をはじめ、つぎに「第2節 日系人意識の形成・維持・強化」で「2-1 日系インドネシア人同士の交流と結び付き」から議論をはじめている。そして、一世については、第1-3章で論じたことをまとめ、「一世は異国の地で団結し、多民族社会で生きる中で、日本人であることを日本にいるとき以上に意識するようになったのではないだろうか」と結論している。そして、「一方、日系インドネシア人二・三世は、父親または祖父がインドネシアに残留し同国独立に貢献したという歴史的記憶とそこから生ずる誇りを共有し、福祉友の会メダン支部に依拠したコミュニティを形成している人々であると言える。また、同郷意識、家庭内で日系一世から受けた影響などが絡み合って、日系インドネシア人であると自らを同定する日系二世・三世の存在を成り立たせているのである」と述べて、本書を閉じている。

 序章で述べている「目的」は、「包括的研究」によりほぼ達成されただろう。だが、「日系人研究への貢献-新たな日系人像の構築を目指して」は、まだ第一歩も踏み出していない。とくに、ベトナムやフィリピンの「日系人」については、日本のどこかでいっしょに就労しているかもしれないが、その背景が大きく異なり、どう比較していいのかもわからないだろう。個人の研究ではとても無理な話で、「日系人」当事者、当事国の研究者、そして日本人が、それぞれの立場から相対的に議論し、比較検討していく共同研究が必要だ。本書がそのための基礎研究になることはいうまでもなく、その意味で本書は多大な貢献をしたことになる。本書を参考に、ベトナムやフィリピンの「日系人」の「包括的研究」がおこなわれれば、そこではじめて「新たな日系人像の構築を目指す」研究の第一歩を踏み出すことができる。でも、それはほんとうに難しい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。