熊本史雄『外務官僚たちの大東亜共栄圏』新潮選書、2025年5月20日、301頁、1800円+税、ISBN978-4-10-603926-3
本書は、第20回樫山純三賞、第29回司馬遼太郎賞、第25回大佛次郎論壇賞の受賞作である。帯に、「「無謀な構想」の本丸は軍部でも右翼でもなくエリート官僚だった!」とある。
「まえがき」は、つぎの文章ではじまる。「本書は、日本が「大東亜共栄圏」という対外膨張策を構想し破滅するまでの過程を、日露戦後の外務官僚たちを主人公に論じるものである」。「これまで「大東亜共栄圏」と言えば、もっぱら軍部の膨張主義や、アジア主義さらには対外硬派のイデオロギーにその淵源を求められてきた。だが、本書では、この無謀な構想が、外務省という官僚組織において外交思想の集大成として準備されたものであったことを示したい。いわば、「大東亜共栄圏」を追求してきた<本丸>が、外務省だったことを明らかにする、という目論見を抱いている」。
この目論見に、著者が自信をもっていたことは、「あとがき」で、初対面の新潮選書編集長に「本書の構想を意気込んで話」していることからわかる。そして、わずか2頁の「まえがき」の最後で、つぎのように繰り返し強調している。「軍部の膨張主義や、アジア主義さらには対外硬派のイデオロギーとも一線を画した、外務省の理知的なエリート官僚たちが主導した構想こそが「大東亜共栄圏」の<本丸>だったという、新しい歴史像が顕われてくると期待されるのである。要するに、外務省組織内の機関哲学を踏まえながら、権益の拡張・確保・維持をめぐる思想や言説の系譜からその外交思想の本質的な要素を析出すること、これが本書の目的である」。この著者の自信は、博捜した史料に裏づけられたものであることが、本書を丁寧に読んでいけばよくわかる。
本書は、まえがき、序章、時系列に全9章、終章、あとがき、4つのコラムなどからなる。序章のタイトル「拡大する権益、継受される思想」からなにが問題だったのかがわかり、終章のタイトル「求められる「慎慮」、問われる「外交感覚」」から本書の結論がうかがえる。キーワードは、「満蒙」「東部内蒙古」「勢力範囲」「新外交」「満蒙供出」「満鉄中心主義」「精神的帝国主義」「東亜の禍根」「連盟脱退の根本義」「興亜」「東亜新秩序」「大東亜」であり、各章のタイトル冒頭にもあらわれてくる。
第一章「満蒙」概念の誕生-小村寿太郎と日露戦後経営:一八九五-一九一二年
第二章「満蒙供出」論の提唱-小村欣一の「新外交」呼応論の可能性:一九一七-一九一九年
第三章「満鉄中心主義」の前景化-大陸国家の「国益」と幣原喜重郎:一九二〇-一九三一年
第四章「精神的帝国主義」論の提唱-傍流外務官僚たちの「逆襲」と挫折:一九三一-一九三二年
第五章「東亜」概念の衝撃-アジア・モンロー主義と重光葵:一九三三-一九三五年
第六章「興亜」概念の受容-日中戦争と外務省:一九三七-一九三八年
第七章「東亜新秩序」の可能性-有田八郎による地域主義的広域経済圏の模索:一九三八-一九四〇年
第八章「大東亜共栄圏」構想の実相-松岡洋右の世界秩序構想と南洋開発:一九四〇-一九四二年
第九章「大東亜共同宣言」の虚実-重光葵の描いた「大東亜」の<かたち>と<なかみ>:一九四三年
終章の最後から2番目のパラグラフで、著者は「いったい、外交とは何だろうか」と問い、つぎのようにこたえている。「本書で扱ったのは、日露戦後わずか四〇年間の日本外交の軌跡である。だが、たった四〇年間の足跡を検証するだけでも、そこに<国益>とは何か、外交の継続性とは何か、理念と行動の持つ意味、普遍主義(あるいは国際主義)と地域主義(あるいは国家主義)の相克、といったテーマに満ちていることに気づかされる。そしてこれらのいずれもが、今なお現代的外交のテーマであり続けている。現に、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの間で引き起こされた戦争において、そうしたテーマが交錯し、ダブル・スタンダードが横行し、混乱が続いている」。
そして、「あとがき」では、本書で明らかにしたことを、つぎのようにまとめている。「外務官僚たちによって継受された外交思想の対外観・秩序観の内実と、それが図らずも「大東亜共栄圏」にまで繋がっていき日本を戦争に導いたという、近代日本外交に潜む原理と<リアル>である。当時の状況を思えば「大東亜共栄圏」の責をすべて外務省という一組織に負わせるのは酷であるが、他方で、もっぱら対外関係を司る行政機関であるにもかかわらず、これまでその主体性を問う声があまりにも少なかった。「官邸主導の外交」なるものが喧伝される現在こそ、本来「外交のプロ」であるべき外務官僚たちがいかなる思想を継受してきたのか、あらためて問い直していく必要があるだろう」。
本書の結論部分にあたる「終章」で、気になるつぎのパラグラフが最後から3番目にあった。「また、「慎慮」は、政治家や外交官たち一部のエリートだけが行えば済む話ではない。ことにデモクラシー国家においては、それを国民レベルにまで浸透させることが求められるだろう。つまりは、外交とは「一見道義にかなった行動でも、その政治的結果が考慮されなければ政治的道義は存在しえない」ものであり、常に矛盾を孕まざるをえない分野だという認識を、組織(外務省)レベル、政府レベル、さらには国民レベルで共有し、その克服に挑み続けることが重要なのである。加えて、矛盾の克服のあり方とその検証が不可欠であることを考えれば、研究者やメディアの役割も重要になるだろう」。
気になったのは、ここでいう「国民」とはだれのことを言っているのだろうかということである。「大東亜共栄圏」に属することになる国・地域の「在留邦人」社会には、大きな変化があった。それまで現地日本人小学校の運営などで大きな役割を果たしてきた現地社会に根を下ろした定住日本人が排除され、日本に本社のある商社や銀行の支店長が表に出てきた。その結果、開戦後も現地社会を知る定住日本人は通訳などに借り出されるだけで、文化事業などでの活躍の場は限られていた。まさに、政府や組織にとっての「共栄圏」で、人を考えたものではなかったことが「失敗の本質」であったのではないだろうか。帝国日本は、デモクラシー国家ではなかった。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁(発行予定、早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、182頁(発行予定、早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。
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