野村進『フィリピンと日本人』ちくま新書、2026年3月10日、318頁、1050円+税、ISBN978-4-480-007733-2

 本書の概要は、つぎのように表紙見返しにある。「日本とフィリピンの歴史は合わせ鏡のようなところがある。戦国時代に来日したスペイン人宣教師のほとんどはフィリピンから来た。朝鮮出兵後の豊臣秀吉がフィリピンを狙うのではないかとスペインは警戒した。徳川幕府がキリシタン大名・高山右近を国外追放した頃にフィリピンにいた日本人は三千人を超えるという。独立を目指した英雄ホセ・リサールは明治の日本に憧れた。スペイン、米国の植民地として受けた苦難、日本軍政下での惨劇、そして戦後の政治腐敗……。しかしいま、その国力は躍動のさなかにある。とびきり社交的なフィリピン人気質の裏の壮絶な歴史に、私たちは何を学ぶことができるか」。

 フィリピンの歴史から「何を学ぶことができるか」と問われて、答えられる日本人はそれほど多くないだろう。フィリピンから「学ぶことができる」著者を含めたごく限られた「フィリピン通」の悩みは、「プロローグ」にも「あとがき」にもあらわれている。「プロローグ」の最初の見出し「日本人のフィリピン・イメージ」の最後に、「日本・フィリピン関係史は、おおげさではなく、私たちの生き方に再考をうながす力を秘めている」と書き、「あとがき」の最後でこのことばを繰り返して「その力を読者が少しでも実感してくださったなら、まさしく著者冥利に尽きる」と結んでいる。その「力」は一般の日本人にはなかなかわからない。

 その前の「あとがき」の最後のほうで、著者は本書の目的をつぎのように語っている。「フィリピンの人々が、「共感の時代」と呼ばれる現代を、世界の先頭に立って牽引している現実と、そこまでにいたる苦難に満ちた、だが誇るべき歴史の一端を、ぜひ知ってもらいたいと思う」。

 本書は、プロローグ、全5章、エピローグ、あとがき、などからなる。「フィリピン史と日本史とは、切っても切れない関係にある」ことを示しながらフィリピンの歴史を概説し、「エピローグ」で日本人がフィリピンから「何を学ぶことができるか」を例示している。最初の見出し「植民地住民の生き残るすべ」では、つぎのように結んでいる。「「逆手にとる」という言い方がある。フィリピン人が選んだ道は、結局これではないか。受け身をとりつつ、相手から押しつけられたものを変容させ、いつのまにか我がものとしてしまい、日々の生きる糧にしてきたのではなかろうか」。

 つぎの見出し「土着化と変容」では、冒頭「その端的な例が英語である」と述べ、つぎのようにつづけている。「アメリカから徹底的に叩き込まれた英語による教育は、繰り返し述べたように深刻な植民地根性をもたらしたが、その反面で、グローバリゼーションとIT化の時代を迎えると、フィリピンは強制された英語を逆手にとって、将来への活路を見いだした」。

 「赦しの教え」では、「キリスト教社会では許す権利をもつほうが優位に立っている」と引用し、つぎのパラグラフで結んでいる。「いずれにせよ、「絶対に許さない」とか「被害者が納得するまで謝罪を続けよ」とか、もしくは「目には目を、歯には歯を」といった言葉が横行する社会とは、いかに異なる世界にフィリピン人は生きていることか。もしかすると、『聖書』の教えを最も忠実に守ってきた世界最大の集団が、カトリック教徒のフィリピン人ではないか」。許す許さないは、許すほうの側にあり、許されるほうは許す側に委ねるしかない。

 「人間関係の力」では、「フィリピンの自殺率は、世界で最少のランクに属する」ではじまり、その源に「人間関係の力」が存在することを、つぎのように説明している。「頼れる味方が少なからず身のまわりにいる現実に加え、そのような他者に甘えることへの抵抗感がほとんどない。西洋流の自立など、最初から自己に課さず、他人にも求めず、甘え・甘えられる関係を、生まれてから死ぬまで周囲と持ち続ける。精神面で子どものままでいても、また居心地がよければ何歳まで実家にいても許容される。長幼の序が保たれているから、老人は邪険にされず、通常つねに敬われる。大様で厚みと広がりのある人間関係に守られながら、一生を送るのである」。

 最後の見出しの「情の世界に生きるフィリピン人」では、つぎのように冒頭述べている。「強固にして広範な安全網とは裏腹の、家族至上主義や縁故主義をフィリピン人はどう克服しようとしているのか。〝公〟の概念は、いつまで経っても乏しいままなのか。その答えが、以下の三つの事例に潜んでいるかもしれない」。

 この「エピローグ」で取り上げられた事例は、著書の意図とは真逆に捉えられる可能性が、日本人などにはあるかもしれない。前例を重んじる温帯の定着農耕民社会と、流動性があり臨機応変に対応する熱帯の海洋民社会では、ものの考え方の基本が違う。規律を重んじる社会の人びとにとって、状況に応じて言動を変える人びとは、いい加減で信用できない。前者は堅苦しく、後者は気楽にみえる。日本人がフィリピンを理解できないのは、このあたりにあるのかもしれない。フィリピン人の「力」は、日本人にはわからない。グローバル社会は流動性があり、海洋民社会に通ずるものがある。両者の違いを考えるよりは、現代のグローバル化社会を生きるわれわれの知恵を両方から学べばいい。フィリピンから学ぶことは、グローバル化社会を生き抜くすべを学ぶことであることに気づけば、その「力」の意味がわかるはずだ。

 著書は、愛すべき「フィリピン」「フィリピン人」を知っている。だが、それにしてもフィリピンでは簡単に人が死ぬ、殺される。「麻薬戦争」にみられるように、死への尊厳は感じられず軽視されているようにみえ、死者の数が積みあがっていく。本書でも、繰り返し強調されるカトリックの影響は、この事実とどうかかわりあうのか。それがわからなければ、「日本人のフィリピン・イメージ」は変わらないだろうし、著者が期待する「フィリピン人の力」は実感できないだろう。


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早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
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早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

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早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。