西原大輔『日本人のシンガポール体験-幕末明治から日本占領下・戦後まで』人文書院、2017年3月30日、310頁、3800円+税、ISBN978-4-409-51074-2

 巻末に文献目録がほしかった。でも、それをするともう数十頁増えて、定価が4000円を超えるために断念したのだろう。出版年順の文献目録があると、だれがいつシンガポールを訪れ書いたのか、一目瞭然となる。本書は、基本的に副題にある通り、「幕末明治から日本占領下・戦後まで」、年代順に追っているが、それでも時代が前後するときがある。

 詩人でもある著者、西原大輔は、「主に幕末から戦後に至る百年あまりの間に、日本人が旅行記に記録し、絵画に描き、文学の舞台とし、音楽や映画の題材としたシンガポールのイメージを論じたものである。日本人の眼に映ったシンガポールの姿を日本文化史の中に探り、その全体像を描こうと試みた」。

 さらに具体的に、帯でつぎのように紹介されている。「かつて欧州航路の寄港地であったシンガポール」。「文学者の二葉亭四迷、夏目漱石、永井荷風、井伏鱒二、画家の藤田嗣治、映画監督小津安二郎、春をひさぐ「からゆきさん」から暗躍するスパイまで、ここには多くの日本人が降りたった」。「幕末から明治、シンガポール陥落後の昭南島といわれた日本軍の占領下から戦後に日本人戦犯が処刑されたチャンギー監獄、現在の経済発展まで、日本人はどう南洋都市シンガポールをみつめ表象してきたのか」。

 本書は、1992年にシンガポール国立大学日本研究学科助教として日本語を教えることをなった当時25歳の著者が、帰国後数年経った2000年から日本シンガポール協会の機関誌に2011年まで12年間にわたって50回連載した「日本人のシンガポール体験」が基になっている。

 著者は、「日本人がシンガポールについて書いた文章や絵画を論じることに」、「どのような意義がある」のか、つぎのように語っている。「もちろん、シンガポールに興味のある読者は、きっと本書に関心を持って下さるだろうと思う。しかし、もう少し視野を広げるならば、『日本人のシンガポール体験』は、日本人が世界をどのように見てきたのかという、地球規模の比較文化的探求の一部をなしている」。本書は、「比較文化研究の流れの中に位置づけることができるだろう」。「一方、『日本人のシンガポール体験』は、戦後の日本で盛んになった「文学散歩」の海外版でもある。文学散歩は、野(の)田(だ)宇(う)太(た)郎(ろう)(一九〇九~一九八四)に始まるとされる。文学者の足跡を日本各地に訪ね、町を歩くのは非常に楽しい。シンガポールの街も全く同じである。ブギス・ジャンクションのショッピング・センターは、夏目漱石が昼食をとった日本人町の跡地に建っている。ロイド・ロードには井伏鱒二が住んでいた。カトン海岸は金子光晴や斎藤茂吉ゆかりの地。二葉亭四迷が火葬されたのは、ケント・リッジ公園の近く。ドービー・ゴート駅前のキャセイは、徴用作家らが勤務し、小津安二郎が住んでいた場所。高浜虚子と横光利一は、植物園で吟行を行った。シンガポールと日本人とのかかわりは、地球大の巨視的な比較文化の眼で論じることもでき、また、微視的な街歩きによって知ることもできるのである」。この文学散歩のイラスト付きの地図があったら、さらに本書を愉しむことができただろう。

 「欧州航路の寄港地」で「大英帝国」の東洋の基点になったシンガポールを通して、「地球大の巨視的な比較文化」が見えたが、それを日本人も愉しむことができたのは、本書でも語られている「南洋日日新聞」が1914年から41年まで発行されていたことと無縁ではないだろう。日本人の眼を通して、シンガポールに集まる「地球大の巨視的な」情報が、日本語にまとめられ、日本人読むことができたことで、シンガポールに長期滞在した者も、寄港しただけのトランジットの乗客も、シンガポールのもつ魅力を共有することができた。「南洋日日新聞」を通読して語ることのできる「日本人のシンガポール体験」もあるだろう。