古川光明『スポーツを通じた平和と結束-南スーダン独立後初の全国スポーツ大会とオリンピック参加の記録』佐伯印刷、2019年3月31日、193頁、1500円+税、ISBN978-4-905428-96-1

 「スポーツの力」を信じていない人びとがまだまだいる。2014年にJICA南スーダン事務所長に就任した著者は、赴任した早い段階で南スーダン共和国文化・青年・スポーツ省を訪れ、スポーツ担当局長に面会した。局長は、「以前、JICAには相手にされなかった」が、「わざわざ会いに来てくれた」と喜んだ。スポーツは、もはや趣味や健康のためだけでなく、「平和構築」のためにも大いに貢献することを本書は伝えている。

 本書の概要は、つぎのように裏表紙でまとめられている。「半世紀に及ぶ内戦、独立後も続く民族紛争など、日本にとって南スーダンは、アフリカの危険な小国の一つである。そんな国がなぜ、2016年8月のリオ・オリンピックに国家として参加できたのか。スポーツには、民族や地域を超えて人々を一つにする力がある。オリンピックへの道筋をつけた「全国スポーツ大会(『国民結束の日』)」開催を中心に、JICAスポーツ支援の険しい道のりを描く」。

 本書は、はしがき、プロローグ、全7章、エピローグ、あとがきと謝辞、参考文献・資料、略語一覧からなる。プロローグの最後で、章ごとにつぎのようにまとめている。

 第1章「南スーダンの概要と紛争の歴史」では、「最も新しく独立した南スーダンがどのような国なのかを知ってもらうべく南スーダンの概要を記載する。そして、その南スーダンの紛争の歴史について紹介することにより、南スーダンのおかれている状況を伝えたい」。

 第2章「なぜ、紛争は繰り返されるのか」では、「なぜ、南スーダンで紛争が繰り返されるのかを筆者の経験も踏まえて解説する。紛争が南スーダンの社会文化とも密接につながっていることや、民族と紛争との関係、紛争と若者との関係についても触れていく」。

 第3章「なぜ、南スーダンで「全国スポーツ大会(『国民結束の日』)」支援なのか」では、「なぜ、南スーダンで『国民結束の日』支援なのかをひも解いていく。最初に、世界でも最も開発の遅れた国の一つである南スーダンにおいて、展開してきたJICA支援の概要を伝え、その後に、紛争が繰り広げられる同国において、なぜ、新たな取組みとして『国民結束の日』の開催支援が必要なのかを解説する」。

 第4章「着眼点と構想と『国民結束の日』に向けた準備」では、「『国民結束の日』を開催することになった着眼点と大会に向けた準備までの道のりを説明していく。その道のりは我々の想像以上に多くの課題を抱えた取組みだった。その課題をいかに関係者が乗り越えたのかも紹介していく」。

 第5章「独立後初の『国民結束の日』の開催」では、「南スーダンにとって独立後初めての『国民結束の日』の開催の模様を伝える。そして、関係者がいかに対応したのか、どのような思いであったのかなどについても伝えていく」。

 第6章「邦人を含むJICA関係者の国外退避とリオデジャネイロ・オリンピック」では、「2016年7月に勃発した紛争により国外退避した状況がどのようなものであったのか、そして、それを乗り越えて南スーダンの国としての初めての参加となったリオデジャネイロ・オリンピックまでの道のりを記載する」。

 第7章「初めての『国民結束の日』とリオデジャネイロ・オリンピック参加はなにをもたらしたのか?」では、「独立後、初めての『国民結束の日』と初めての参加となったリオデジャネイロ・オリンピックは、南スーダン人にとってどのような意味を持つものであったのかを選手たちや観客たち、そして文化・青年・スポーツ省の声などを通じて振り返ってみる」。

 「そして、最後に全体の振り返りと東京オリンピック、そして、2030年をゴールに設定されているSDGs16(持続可能な開発目標16は、「平和と公正をすべての人に」が目標)に向けた、関係者の思いを記載して本書を締めくくる」。

 本書のタイトルをみて読み進め、「スポーツ」がなかなかでてこず、「南スーダンの概要や紛争の歴史」が延々と説明されていることにいらだった読者がいるかもしれない。しかし、それがなければ、「スポーツの力」は充分に理解されないだろう。著者は、「あとがきと謝辞」で、つぎのように説明している。「記憶が薄れていく中での作業となったため、書ききれなかったことも多いと思う。そして、『国民結束の日』の実現に向けて立ちはだかった難問を活字に落として読者にお伝えすることは想像していた以上に難しい作業となった。独りよがりの文書として捉えられているかもしれない。しかも、南スーダンは日本人にとって遠く離れた国である。未知の国の出来事について理解することは極めて困難なことである。そのため、南スーダンの概要や紛争の歴史などについても触れることにした。その中でなぜ、スポーツを通じた平和構築なのかの記載も試みた。そして、『国民結束の日』に至った経緯や『国民結束の日』の開催、リオデジャネイロ・オリンピック参加支援への関係者の悪戦苦闘ぶりも描いたつもりである」。

 著者は、ただたんに危険をも顧みず、がむしゃらに「国際貢献」していますという「独りよがり」のものとは違い、その社会を基層から理解することによって、その国の人びとの力で「平和構築」をめざす方向づけを考えていることがわかる。「平和構築」は失敗したとすれば外部からの干渉や横やりが入ったからであり、成功すれば内部に帰するというのが基本的な考えで、ゆめゆめ「国際貢献」の成果と考えてはならない。

 著者は、2014年に一橋大学から博士号を授与されている。その直後の現場での成果が、本書から見え、安心して読むことができた。この分野だけではないが、もはや世界で活躍するためには、もちろん個人差は大いにあるが、修士号では不充分で博士号まで必要なことがわかる。なにより、現地では軍隊の称号より、「博士」が威力を発揮する。成功のひとつに、著者が「ドクター」と呼ばれたことがあることは明々白々である。

 ただ気をつけなければならないのは、かつてスポーツはファシズムや植民地主義など、権力者に悪用されたということである。「スポーツの力」が認められれば、それを権力強化のために使いたくなる。JICAが、現地の人びとにとって、その「権力者」になることだけは避けなければならない。