山内由理子編『オーストラリア先住民と日本-先住民学・交流・表象』御茶の水書房、2014年8月22日、299+23頁、3000円+税、ISBN978-4-275-01081-0

 ラグビーワールドカップ2019で、ニュージーランド、オーストラリア、南太平洋の島じまなど、オセアニア地域に強豪がひしめいていることがわかった。選手のなかには、現地の人びとと入植してきたヨーロッパ系の人びととのあいだのハイブリッドな人びともいた。かれらの血のなかに、日本人も含まれているのだろうか。もし含まれているのならば、それは公然と語られるのだろうか。オーストラリア先住民と日本との関係は、日本側、オーストラリア側、双方で語られていないものがあるような気がする。

 本書の目的は、「はじめに」でつぎのように説明されている。「この本は、日本にいる読者を対象にオーストラリア先住民研究の最新の成果をまとめたものであるが、それは単に専門的研究の内容を伝える、というものではない。複雑に錯綜した網の目、この世界を構成する多様な繋がりの中にいる我々、という存在を、オーストラリア先住民、という切り口から解きほぐしていく試みでもある。オーストラリア先住民に限らず、何かに関して知る/知っている、ということは決して中立的な営みではない。多様なモノやコトの流れるチャネルは、この世界を構成する様々な力により成立している。我々がそれについて触れるようになったのも、その一部としての社会的行為なのである。この様な多様な繋がりの網の目の中にいる我々、現在日本に住み、おそらく育ち、日本語を母語としているような人々、その我々がオーストラリア先住民と呼ばれる人々について知るということはどういうことか、そして更に、知る、ということにより、何ができるか、をこの本は関心の根底としている」。

 本書は、はじめに、3部全13章、3つのコラム、おわりに、からなる。その内容は、「はじめに」の「本書の構成」でつぎのようにまとめられている。「まず第一部で、「オーストラリア先住民-学とその現在」と題し、オーストラリアにおいて当たり前な背景事情が自明ではない日本社会に向けて、まずオーストラリア先住民及びそれに関する学問に関して、そのコンテクストを示す。第一、二章ではオーストラリア先住民の入植以来の権利回復運動を通じた基本的な歴史的情報を提供する。本書全体の枠組みとなる章であり、他の其々の章同士の関係を把握する際にも参照して欲しい。第三、四章では、それを踏まえて、日本とオーストラリアにおけるオーストラリア先住民に関する「知」の生産と流通をひもとく。第三章では、多文化主義社会オーストラリアでの文化人類学とその実践を論じ、第四章では日本におけるオーストラリア先住民の表象の歴史を追う。双方とも、其々の知の生産は決して中立的なわけではなく、「入植」というコンテクストを初め、さまざまな力の中で形成されてきたことをうかがうことができよう。以下の第二部、第三部で展開される「知」も、この三、四章であらわされた構造の中で生産され、同時にそれを再帰的に見直す中で生まれてきたものである」。

 「次いで第二部「日本とオーストラリア先住民」で、両者の関わりを研究史及びライフヒストリーと言う形でまとめる。日本人とオーストラリア先住民の関係は現在という時間、国家という空間概念を越えた広がりを有してきた。現在の政治的状況で使われる「先住民」概念の出現よりも以前から、現在までも続く交流の歴史があるのである。戦前からの日本人移民、戦争、そしてウラン採掘という三点から、ここではその一環を示した。ウラン採掘問題については、福島第一原発事故を契機として開催された、福島大学、慶應義塾大学におけるシンポジウムの報告も収録した」。

 「第三部「オーストラリア先住民の日常と文化」では、視点を変えて、都市生活、教育、博物館展示、美術、映画、音楽という側面から、オーストラリア先住民の現状を紹介する。第一部、第二部で見たような歴史を踏まえる私たちが、オーストラリア先住民の姿をどのように受け止めて、関わっていくのか、それを考えてゆく際のさらなる参考となるべくまとめられている」。

 本書は、「オーストラリア先住民を研究する若手の文化人類学者たちの話し合いから企画された」。研究蓄積がある分野では、外国人研究者が研究する意味を問われる。それにたいして、編者は「おわりに」で、つぎのように自問している。「単に興味を持ったから、単に「知識」を増やせるから、だけでは不十分である。「なぜ」興味を持つのか、「なぜ」知ることに意味があるのか、そもそも「知る」とはどういうことなのか、少なくともそこまで掘り下げなければ、彼我の圧倒的な蓄積の差に飲み込まれて終わってしまう可能性すらある」。

 その答えが、つぎの本書の3部構成だった。「まず第一部にオーストラリア先住民に関する学問の構造を扱った章をおき、「知識」を生産してきたその仕組みが見えるようにした。そして第二部に、日本にいる我々がオーストラリア先住民と形成してきた様々な交流の姿を、そして第三部に前二部を潜り抜けた上でのオーストラリア先住民に関する研究の成果を紹介する、という形で、この問題に本書なりのやり方で向き合ってみた」。

 本書を出発点として、すでに中堅になっている「若手」が飛躍し、さらにグローバル化、多様性のなかで、これから生きていく日本人若手研究者が現れ、育つことを期待する。そして、新しい時代、社会で生まれ育った研究者が、近代では語られなかった人びとの営みを語り、新たな社会を切り開いていって欲しい。それが、国債が伸び悩み、うつ病患者が増え自殺者が増加したオーストラリアに貢献することになる。