小川真和子『海の民のハワイ-ハワイの水産業を開拓した日本人の社会史』人文書院、2017年11月10日、286頁、4000円+税、ISBN978-4-409-53051-1
英語の前著Sea of Opportunityを読んでいたが、その「翻訳に留まらず、内容を大幅に加筆、修正した上で、新たな研究の成果を多く取り入れたものが本書である」というので、新たな発見を期待して読みはじめた。よくあることだが、専門とする人にとっての大きな違いも、専門外の者にはそれほど感じないことがある。専門外のわたしが期待したものはそれほど多くなかったが、随所にこれまでの研究に欠けていたものが示されていた。
前著との違いや本書の目的について、著者の小川真和子は、つぎのように述べている。「前著と比べ、第三章の後半以降は頁が進むごとに加筆、修正事項が増加する。さらにより多くの関係者への聞き取り調査によって得た情報をふんだんに取り入れることによって、本書は文献史学の枠組みを超えた民族誌(エスノグラフィー)としての特徴も持つ物語となっている。そうして多くの生の声に触れることによって、なぜ日本の海の民がハワイの海において、陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序を作り上げることに成功したのかという問いに対する答えを模索する。昨今、太平洋における人と人、そして人以外の生き物や植物などの交流に関する研究の進展は目覚ましい。太平洋に浮かぶ島である日本とハワイをつないだ人々を描くことによって、本書もささやかながらその一端を担うことを期待している」。
本書は、序章「なぜハワイの「海」なのか」、全5章、終章からなる。
第一章「ハワイへの路」では、「日本の漁業文化と歴史について、ハワイに多くの海の民を送り込んだ和歌山県、山口県、広島県を中心に描く」。「これらの漁村の国内外への出漁の歴史を踏まえた上で、やがて数ある出漁先の中にハワイが組み込まれていった過程について詳説する」。
第二章「ハワイにおける日本の海の民」では、「草創期におけるハワイの日本人漁業の様子と、やがて日本人が中心となって近代的な水産業を構築する過程を扱う」。「一九世紀末における日本人漁業の草創期から業界における日本人の指導的立場が確立する一九二〇年代までを主に扱う」。
第三章「サンパン漁業の最盛期」では、「日本人漁業の黄金期とも言える一九二〇年代から一九三〇年代を取り上げる」。「主に一九三〇年代を中心に、ハワイにおける日本の海の民の漁撈の様子やその生活、社会的、文化的、経済的な活動に言及しつつ、この時期に官民挙げて行われたハワイの漁業振興策についても述べる」。
第四章「太平洋戦争とサンパン漁船の消滅」では、「一九三〇年代以降、日米開戦に至る日米関係の悪化と、開戦後におけるハワイの水産業の状況について論じる」。「戦争がハワイの水産業へもたらした影響や、戦時中における漁業制限をめぐる議論に触れた上で、終戦後間もなく日本人漁業が復活する下地が、既に戦時中に作られていたことについて明らかにする」。
第五章「漁業の復興と沖縄の漁業研修生」では、「戦後におけるハワイの水産業の復興、および日本の海の民の生活の変容について論じる。戦前、業界を牽引していた指導者層が強制収容所からハワイに戻ると、直ちに水産業の再構築に取り掛かった。しかしその時、大きな問題となったのは、戦前から操業していた漁民の高齢化と後継者不足の問題であった」。「戦争直後から二〇世紀後半におけるハワイの漁業の変遷と漁村の生活の変化[に]ついて述べる」。
そして、終章「今日におけるハワイの水産業の現状と日本の海の民の文化」では、「経済的、民族的、社会的、そして文化的に大きな変化を遂げた二一世紀のハワイにおける多様化、多民族化したハワイの水産業の現状について論じる。二一世紀に入ると日本人漁民の姿はほとんど消えてしまったが、百年以上前に日本人が導入した漁法や魚介類の行商、消費、そして信仰や人々のつながりといった日本の海の民の文化は、現在も形を変えながら存続している。時代とともに大きく変貌しながらも、日本の影響を今日まで色濃く残すハワイの水産業や海の文化に触れつつ、本書の締めくくりとする」。
「あとがき」冒頭で、「かつて私は海とは縁の無い生活を送る、いわば陸の民であった」という著者は、「海と深い関わりをもつ生活を送る「海の民」を中心に、その生業の実態のみならずその社会や文化について、ジェンダーの視点も加えながら考察」し、終章をつぎのように結んでいる。「日本の海とハワイの海を介した会話が始まったのは、今から一三〇年以上も前のことである。ゆうに一世紀を超える時間の流れの中で、海の民は海にまつわる様々な情報や道具、モノを交換し、海を舞台として、時には人種やエスニシティの相違故の反感を生み出し、また時にはそれらを乗り越えた共感を育んできた。こうして海の民が紡ぎ出してきた色とりどりの歴史の糸は、今日もなお、新たな頁、そして新たな章を付け加え続けている」。というよりも、流動性あるグローバルな時代が、ひとびとを「陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序」をもつ「海の民」の社会に近づけさせている。
前著との違いや本書の目的について、著者の小川真和子は、つぎのように述べている。「前著と比べ、第三章の後半以降は頁が進むごとに加筆、修正事項が増加する。さらにより多くの関係者への聞き取り調査によって得た情報をふんだんに取り入れることによって、本書は文献史学の枠組みを超えた民族誌(エスノグラフィー)としての特徴も持つ物語となっている。そうして多くの生の声に触れることによって、なぜ日本の海の民がハワイの海において、陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序を作り上げることに成功したのかという問いに対する答えを模索する。昨今、太平洋における人と人、そして人以外の生き物や植物などの交流に関する研究の進展は目覚ましい。太平洋に浮かぶ島である日本とハワイをつないだ人々を描くことによって、本書もささやかながらその一端を担うことを期待している」。
本書は、序章「なぜハワイの「海」なのか」、全5章、終章からなる。
第一章「ハワイへの路」では、「日本の漁業文化と歴史について、ハワイに多くの海の民を送り込んだ和歌山県、山口県、広島県を中心に描く」。「これらの漁村の国内外への出漁の歴史を踏まえた上で、やがて数ある出漁先の中にハワイが組み込まれていった過程について詳説する」。
第二章「ハワイにおける日本の海の民」では、「草創期におけるハワイの日本人漁業の様子と、やがて日本人が中心となって近代的な水産業を構築する過程を扱う」。「一九世紀末における日本人漁業の草創期から業界における日本人の指導的立場が確立する一九二〇年代までを主に扱う」。
第三章「サンパン漁業の最盛期」では、「日本人漁業の黄金期とも言える一九二〇年代から一九三〇年代を取り上げる」。「主に一九三〇年代を中心に、ハワイにおける日本の海の民の漁撈の様子やその生活、社会的、文化的、経済的な活動に言及しつつ、この時期に官民挙げて行われたハワイの漁業振興策についても述べる」。
第四章「太平洋戦争とサンパン漁船の消滅」では、「一九三〇年代以降、日米開戦に至る日米関係の悪化と、開戦後におけるハワイの水産業の状況について論じる」。「戦争がハワイの水産業へもたらした影響や、戦時中における漁業制限をめぐる議論に触れた上で、終戦後間もなく日本人漁業が復活する下地が、既に戦時中に作られていたことについて明らかにする」。
第五章「漁業の復興と沖縄の漁業研修生」では、「戦後におけるハワイの水産業の復興、および日本の海の民の生活の変容について論じる。戦前、業界を牽引していた指導者層が強制収容所からハワイに戻ると、直ちに水産業の再構築に取り掛かった。しかしその時、大きな問題となったのは、戦前から操業していた漁民の高齢化と後継者不足の問題であった」。「戦争直後から二〇世紀後半におけるハワイの漁業の変遷と漁村の生活の変化[に]ついて述べる」。
そして、終章「今日におけるハワイの水産業の現状と日本の海の民の文化」では、「経済的、民族的、社会的、そして文化的に大きな変化を遂げた二一世紀のハワイにおける多様化、多民族化したハワイの水産業の現状について論じる。二一世紀に入ると日本人漁民の姿はほとんど消えてしまったが、百年以上前に日本人が導入した漁法や魚介類の行商、消費、そして信仰や人々のつながりといった日本の海の民の文化は、現在も形を変えながら存続している。時代とともに大きく変貌しながらも、日本の影響を今日まで色濃く残すハワイの水産業や海の文化に触れつつ、本書の締めくくりとする」。
「あとがき」冒頭で、「かつて私は海とは縁の無い生活を送る、いわば陸の民であった」という著者は、「海と深い関わりをもつ生活を送る「海の民」を中心に、その生業の実態のみならずその社会や文化について、ジェンダーの視点も加えながら考察」し、終章をつぎのように結んでいる。「日本の海とハワイの海を介した会話が始まったのは、今から一三〇年以上も前のことである。ゆうに一世紀を超える時間の流れの中で、海の民は海にまつわる様々な情報や道具、モノを交換し、海を舞台として、時には人種やエスニシティの相違故の反感を生み出し、また時にはそれらを乗り越えた共感を育んできた。こうして海の民が紡ぎ出してきた色とりどりの歴史の糸は、今日もなお、新たな頁、そして新たな章を付け加え続けている」。というよりも、流動性あるグローバルな時代が、ひとびとを「陸の常識、陸の論理が及ばない、独自の政治的・経済的秩序」をもつ「海の民」の社会に近づけさせている。
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