田辺明生・竹沢泰子・成田龍一編『環太平洋地域の移動と人種-統治から管理へ、遭遇から連帯へ』京都大学学術出版会、2020年1月20日、422頁、3600円+税、ISBN978-4-8140-0248-1

 重い課題を突き付けた本である。帯の表に、つぎのように書かれている。「移民・難民への排外主義の横行…… 肌の色ではない、目に見えない特徴から排除する「人種化」に、私たちはどう抗い、希望を見出すか?」。

 そして、帯の裏には、つぎのように本書の目的が書かれている。「西欧の帝国主義・国民国家は肌の色など身体的特徴を「人種」としてカテゴリー化した。しかし今やさらに先鋭化した人種化が席捲している。文化や生活習慣など見えない差異で線をひく厄介な人種化は、人が複雑に移動し交錯してきた「環太平洋型」といえる」。「本書は環太平洋型の人種化の史的起源と現状を示し、さらに芸術や対話の場を通してオルタナティブなグローバル化の道を探る」。

 本書は、序論、4部全10章、あとがき、からなる。編者3名による「序論」の最後で「本書の構成と内容の紹介」をしている。「Ⅰ 拡大する帝国・国民国家」は、2章からなる。「第1章の平野克弥「遭遇としての植民地主義」は、近代の北海道開拓によって引き起こされる「アイヌの近代的経験」を考察する」。「第2章の鬼丸武士「植民地統治と「カテゴリー」」は、植民地期シンガポールで治安秩序維持のために用いられた民族カテゴリーについて論じる」。

 「Ⅱ マイノリティたちの遭遇・共感・連帯」は2章からなる。「第3章の関口寛「アメリカに渡った被差別部落民」は、環大西洋と環太平洋のふたつの「人種化」の論理が重なり合う対象として、アメリカに移民・移住した被差別部落民の受けた差別と、そこでの活動をあきらかにする」。「第4章「排日から排墨へ」は、一九二〇年代のカリフォルニアにおける日本人移民・メキシコ人移民の関係性を人種化経験の連鎖という角度から捉える徳永悠による論考である」。

 「Ⅲ 政治実践としての記憶と表象」は、3章からなる。「第5章の吉村智博「博物館におけるマイノリティ表象の可能性」は、博物館展示に携わる立場から「他者」を展示表象する行為に内在する論理の検討を行う」。「第6章において内野クリスタル「日系アメリカ人の原爆批評」は、その展示を機に蘇った日系「ヒバクシャ」たちの記憶と原爆をめぐる議論を追う」。「第7章の土屋和代「一九九二年ロスアンジェルス蜂起をめぐる表象の政治」は、LA蜂起の歴史理解を批判的に再検討し、その多元的で重層的な記憶をいかに描けるかについて論じる」。

 「Ⅳ グローバル化時代の管理と抵抗」は、3章からなる。「第8章に掲げた成田龍一「巡礼する人種主義のためのノート」の議論は、人種を構成する文化的要素に着目し、人種概念のしぶとさを論じたものである」。「第9章の田辺明生「ヴァーチャル化する「人種」」は、近現代インドの人種を論じる」。「最終章で竹沢泰子「「ほどく」「つなぐ」が生み出すマイナー・トランスナショナリズム」は、芸術が生み出す情動が、いかに人種主義や性差別に抗う営みとなりうるかを論じる」。

 そして、本書が挑んだことを「あとがき」で、つぎのように述べている。「本書は、さまざまな事例を通して、どのような人びとがいつどこになぜ移動したのか、移住先でどのような人びとと遭遇し、そこでどのような人種差別を経験したのか、あるいは遭遇した人びととの間にどのような共感や連帯が生まれたのかを明らかにすることを試みた。また二一世紀の現在、どのような新たな形態の人種主義が台頭しているのか、現代の人種主義に抗う日常的実践の糸口はどこに見いだせるのか、本書の後半ではこうした問いにも挑んでいる」。

 本書は、京都大学人文科学研究所の共同研究プロジェクトで、大型科学研究費の助成を受けて進められ、多くの良質な研究成果を内外に出している。そして、「研究者コミュニティ内外と研究成果を共有するために、公開セミナーやシンポジウム」を積極的に開催してきた。「そうした機会における対話からも、さまざまな形で立ち現れる人種主義・排外主義の背景と原理を理解し、それらに抗う術をともに考え続けたい」という。

 環太平洋研究といえば、これまでは日米関係が基本にあった。だが、「日米関係にとどまらない太平洋へのまなざし」が必要であり、本書で「実際に扱えたのはそのなかのごく一部の地域に過ぎない」と編者らは認めている。環大西洋研究に比べて、環太平洋研究の蓄積は微々たるものである。本書での議論を踏まえ、ひとつひとつ事例を積みあげていくしかない。