小林勉『スポーツで挑む社会貢献』創文企画、2016年10月28日、271頁、2800円+税、ISBN978-4-86413-086-8
2013年9月に2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地に東京が決まったとき、安倍晋三首相は、「2014年から2020年までの7年間で開発途上国をはじめとする100か国以上および1000万人以上を対象に、日本国政府がスポーツを通じた国際貢献事業を推進」することを国際公約として明言した。この「途上国の存在を視野に置いた首相によるプレゼンテーションがより強い説得力をもって訴えかけ、東京オリンピック・パラリンピック招致成功を後押しした」。「このように、スポーツの世界から国際貢献活動にいかに寄与できるのかが注目され、それをどのように実践していくのかという議論が、近年急速に活発化してきている」。
本書の目的は、つぎのように「はじめに:Sport ✕ Developmentという公式の登場」で記されている。「「開発」の領域と「スポーツ」の領域とが連携し、途上国の発展を支える体制作りへ向け、その底辺を広げる組織的取り組みが始まった時勢の中、スポーツと開発の問題がいかに繋がり始め、スポーツを通じた国際貢献活動がどのように展開されてきているのかについて検討する。安倍首相によるプレゼンテーションに代表されるように、日本で本格的に始動したスポーツによる国際貢献活動の展開に焦点を当てながら、「Sport for Development and Peace :以下SDPと表記」という言葉をキーワードに、スポーツ界が発信する国際貢献活動の近年の動向について明らかにしようと思う」。
本書は、はじめに、3部全10章、おわりに、からなる。第Ⅰ部「SDP発展の経緯」は5章からなり、第1章「東京オリンピック・パラリンピックにより誘引された新たなベクトル:Sport for Tomorrowプログラムの開始」、第2章「スポーツによる援助協力の歴史的変遷:1990年代までの動向」、第3章「本格化するスポーツを通じた開発:21世紀初頭に台頭するSDPの潮流」、第4章「世界規模で拡大するSDP:2005年「スポーツ・体育の国際年」の制定」、第5章「SDPへ向かう時代の色調:相次ぐSDP文書の発刊」で具体的経緯が論じられている。
第Ⅱ部「SDPが隆盛する現代世界」は3章からなり、第6章「SDPの中心的なアクター」、第7章「現場で展開されるSDPの具体的な実践コンテンツ:Right to PlayによるLive Safe, Play Safeの事例から」、第8章「変容する途上国のスポーツ振興体制:南太平洋の事例から」、「SDPの主要なアクターとその実践内容について概説しながら、SDPの具体的な中身について明らかにする」。
第Ⅲ部「SDPはどこへ向かうのか?」は2章からなり、第9章「途上国に押し寄せるSDPの波」、第10章「問い直される「スポーツの力」:Sport for Tomorrowの課題」で、「SDPは現地に何をもたらしたのかについて検討し、問い直される「スポーツの力」について論じる」。
そして、最終章の第10章の最後の節「3.スポーツで貧困を救えるか?:Sport for tomorrowのこれから」で、「これまでの議論の範囲と限界を再確認し」、「近年のSDPの動向に着目し、援助の新たなアプローチとしてのスポーツに関してここで明らかになったのは、次の五点である」とまとめている。
「1つめは、SDPに関する日本と欧米との議論の間に大きなタイムラグがみられた点である。日本では、第三世界とスポーツを対象にした研究などがみられたが、全般的に限られたものであった」。「とりわけSDPをめぐる問題性について、欧米圏で議論されてきた現場での実践と経験知の蓄積の大きさに比べて、日本におけるSDPの議論の幅の狭小さは、両者の間に大きなタイムラグを生じさせてきた」。
「2つめは、SDPの実際の現場にてドナー側のニーズが優先されるという、SDPを投げかける側の論理が浮かび上がってきたという事態である」。「SDPの議論では、各々のプロジェクトにおけるSDPを「投げかける側の意図」と「投げかけられる側のニーズ」との間に大きなギャップや微妙なすれ違いを生じさせる点についても論じられつつある」。
「3つめは、SDPをめぐりいくつもの非対称的な関係性が構築されているという点である」。「スポーツ援助の課題を「リソース欠如」の問題として捉え、これに対して外部主導の資源移転による「リソース補填」によって解決しようとするのではなく、そうした外部リソースに浸らせてしまう援助のやり方が、しばしば人々の主体性を損ない、当事者意識を希薄[に]する受動的な気構えを形成させうるという視点を持つことが、今後のスポーツ援助を考える要点のひとつとなってこよう」。
「4つめは、グローバルなガバナンスの構築にいち早く成功した「スポーツ・ドメイン」の特性を、いかに開発イシューと結びつけるのかという問題である」。「グローバル化を遂げた「スポーツ・ドメイン」の歴史的意義とその限界を、レベルの異なる領域や方面においてもう少し突き止めておかなければならない」。
「5つめは、日本のSDPを推進する背後に交錯するポリティクスに焦点を当てた批判的な視点が手薄であるという問題である。格差問題の是正などなかなか出口が見えない状況で、スポーツに大きな注目が集まるのもわからなくはないが、それを「スポーツの持つ力」などという心を引く語り口に安易にすり替えてしまうのではなく、重要なのは、国際開発とSDPの領域で蓄積してきたとされる議論の限界と範囲を認識しつつ、スポーツと開発の「継ぎ目」を慎重に見定めていくことである」。
そして、「スポーツと開発問題をリンクさせ、活用するのにそれがポジティブなインパクトをもたらすのかといった問いへの解答は意外に見えにくい」とし、最後に「今後取り組まれるべきSDPの課題とは一体何なのか」という問いにたいして、つぎのように「重要な示唆を与えるSDPの評価をめぐる課題についてふれて」いる。「スポーツ援助によって活気づいたSDPの展開は、先進国の体制化したスポーツによって成し遂げられてきたが、スポーツの領域から南北問題を是正しようとするなら、そこにはスポーツが本来的に有していたコロニアリズム的要素に対する壮大な挑戦が待ち受けていることを常に視野に入れておかなければならない。「終わらない植民地主義」というポストコロニアリズムが問うべき課題とも共鳴し合う状況のもと、そうしたアンビバレントな局面を横断してSDPの課題が存立することを認識するとき、コールターが示すSDPの評価をめぐる課題[スポーツ自体には原因となる力や魔法のような力はなく、スポーツとは参加のプロセスなのである]が、反省的に捉え直されて我々に問いかけてくることになる」。
さらに、著者は「おわりに」で、日本の政府事業である「Sport for Tomorrow」が「実態はほとんど継続性のない「単発的な」スポーツ援助またスポーツ交流であり、貧困削減との因果関係は間接的なものに留まっている」と厳しく指摘し、「昔からのスポーツ用品供与や指導者派遣中心の日本のスポーツ援助・交流そのままであり、そのことは実施レベルでの日本スポーツ政策の実姿を映し出している」と旧態依然とした政策を批判している。
つまり、安倍首相が東京オリンピック・パラリンピック招致のために明言した国際公約を、果たしていないということだ。「スポーツの世界から国際貢献活動にいかに寄与できるのかが注目され、それをどのように実践していくのかという議論が、近年急速に活発化してきている」と言われながら、日本ではスポーツにたいする予算はそれほど伸びておらず、あまり重要視されていない。プラスのイメージだけが先行し、その実態があまり明らかにされていなかった日本の「スポーツによる社会貢献」が、世界的な動きのなかで、また欧米豪との比較のなかで明らかにされた。オリンピックという華やかな面の下に隠された「陰」にも注目する必要がある。
本書の目的は、つぎのように「はじめに:Sport ✕ Developmentという公式の登場」で記されている。「「開発」の領域と「スポーツ」の領域とが連携し、途上国の発展を支える体制作りへ向け、その底辺を広げる組織的取り組みが始まった時勢の中、スポーツと開発の問題がいかに繋がり始め、スポーツを通じた国際貢献活動がどのように展開されてきているのかについて検討する。安倍首相によるプレゼンテーションに代表されるように、日本で本格的に始動したスポーツによる国際貢献活動の展開に焦点を当てながら、「Sport for Development and Peace :以下SDPと表記」という言葉をキーワードに、スポーツ界が発信する国際貢献活動の近年の動向について明らかにしようと思う」。
本書は、はじめに、3部全10章、おわりに、からなる。第Ⅰ部「SDP発展の経緯」は5章からなり、第1章「東京オリンピック・パラリンピックにより誘引された新たなベクトル:Sport for Tomorrowプログラムの開始」、第2章「スポーツによる援助協力の歴史的変遷:1990年代までの動向」、第3章「本格化するスポーツを通じた開発:21世紀初頭に台頭するSDPの潮流」、第4章「世界規模で拡大するSDP:2005年「スポーツ・体育の国際年」の制定」、第5章「SDPへ向かう時代の色調:相次ぐSDP文書の発刊」で具体的経緯が論じられている。
第Ⅱ部「SDPが隆盛する現代世界」は3章からなり、第6章「SDPの中心的なアクター」、第7章「現場で展開されるSDPの具体的な実践コンテンツ:Right to PlayによるLive Safe, Play Safeの事例から」、第8章「変容する途上国のスポーツ振興体制:南太平洋の事例から」、「SDPの主要なアクターとその実践内容について概説しながら、SDPの具体的な中身について明らかにする」。
第Ⅲ部「SDPはどこへ向かうのか?」は2章からなり、第9章「途上国に押し寄せるSDPの波」、第10章「問い直される「スポーツの力」:Sport for Tomorrowの課題」で、「SDPは現地に何をもたらしたのかについて検討し、問い直される「スポーツの力」について論じる」。
そして、最終章の第10章の最後の節「3.スポーツで貧困を救えるか?:Sport for tomorrowのこれから」で、「これまでの議論の範囲と限界を再確認し」、「近年のSDPの動向に着目し、援助の新たなアプローチとしてのスポーツに関してここで明らかになったのは、次の五点である」とまとめている。
「1つめは、SDPに関する日本と欧米との議論の間に大きなタイムラグがみられた点である。日本では、第三世界とスポーツを対象にした研究などがみられたが、全般的に限られたものであった」。「とりわけSDPをめぐる問題性について、欧米圏で議論されてきた現場での実践と経験知の蓄積の大きさに比べて、日本におけるSDPの議論の幅の狭小さは、両者の間に大きなタイムラグを生じさせてきた」。
「2つめは、SDPの実際の現場にてドナー側のニーズが優先されるという、SDPを投げかける側の論理が浮かび上がってきたという事態である」。「SDPの議論では、各々のプロジェクトにおけるSDPを「投げかける側の意図」と「投げかけられる側のニーズ」との間に大きなギャップや微妙なすれ違いを生じさせる点についても論じられつつある」。
「3つめは、SDPをめぐりいくつもの非対称的な関係性が構築されているという点である」。「スポーツ援助の課題を「リソース欠如」の問題として捉え、これに対して外部主導の資源移転による「リソース補填」によって解決しようとするのではなく、そうした外部リソースに浸らせてしまう援助のやり方が、しばしば人々の主体性を損ない、当事者意識を希薄[に]する受動的な気構えを形成させうるという視点を持つことが、今後のスポーツ援助を考える要点のひとつとなってこよう」。
「4つめは、グローバルなガバナンスの構築にいち早く成功した「スポーツ・ドメイン」の特性を、いかに開発イシューと結びつけるのかという問題である」。「グローバル化を遂げた「スポーツ・ドメイン」の歴史的意義とその限界を、レベルの異なる領域や方面においてもう少し突き止めておかなければならない」。
「5つめは、日本のSDPを推進する背後に交錯するポリティクスに焦点を当てた批判的な視点が手薄であるという問題である。格差問題の是正などなかなか出口が見えない状況で、スポーツに大きな注目が集まるのもわからなくはないが、それを「スポーツの持つ力」などという心を引く語り口に安易にすり替えてしまうのではなく、重要なのは、国際開発とSDPの領域で蓄積してきたとされる議論の限界と範囲を認識しつつ、スポーツと開発の「継ぎ目」を慎重に見定めていくことである」。
そして、「スポーツと開発問題をリンクさせ、活用するのにそれがポジティブなインパクトをもたらすのかといった問いへの解答は意外に見えにくい」とし、最後に「今後取り組まれるべきSDPの課題とは一体何なのか」という問いにたいして、つぎのように「重要な示唆を与えるSDPの評価をめぐる課題についてふれて」いる。「スポーツ援助によって活気づいたSDPの展開は、先進国の体制化したスポーツによって成し遂げられてきたが、スポーツの領域から南北問題を是正しようとするなら、そこにはスポーツが本来的に有していたコロニアリズム的要素に対する壮大な挑戦が待ち受けていることを常に視野に入れておかなければならない。「終わらない植民地主義」というポストコロニアリズムが問うべき課題とも共鳴し合う状況のもと、そうしたアンビバレントな局面を横断してSDPの課題が存立することを認識するとき、コールターが示すSDPの評価をめぐる課題[スポーツ自体には原因となる力や魔法のような力はなく、スポーツとは参加のプロセスなのである]が、反省的に捉え直されて我々に問いかけてくることになる」。
さらに、著者は「おわりに」で、日本の政府事業である「Sport for Tomorrow」が「実態はほとんど継続性のない「単発的な」スポーツ援助またスポーツ交流であり、貧困削減との因果関係は間接的なものに留まっている」と厳しく指摘し、「昔からのスポーツ用品供与や指導者派遣中心の日本のスポーツ援助・交流そのままであり、そのことは実施レベルでの日本スポーツ政策の実姿を映し出している」と旧態依然とした政策を批判している。
つまり、安倍首相が東京オリンピック・パラリンピック招致のために明言した国際公約を、果たしていないということだ。「スポーツの世界から国際貢献活動にいかに寄与できるのかが注目され、それをどのように実践していくのかという議論が、近年急速に活発化してきている」と言われながら、日本ではスポーツにたいする予算はそれほど伸びておらず、あまり重要視されていない。プラスのイメージだけが先行し、その実態があまり明らかにされていなかった日本の「スポーツによる社会貢献」が、世界的な動きのなかで、また欧米豪との比較のなかで明らかにされた。オリンピックという華やかな面の下に隠された「陰」にも注目する必要がある。
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