桐山昇・栗原浩英・根本敬著『東南アジアの歴史〔新版〕-人・物・文化の交流史』有斐閣、2019年12月25日、386頁、ISBN978-4-641-22139-0
「新版」が出た。なんと素晴らしいことだろう。ものを書く者にとって、最善を尽くしたつもりでも、出版後いろいろ明らかな間違いや誤解をされる表現などに気づく。今日の出版事情から、増す刷りされることはほとんどなく、訂正したくても訂正する機会がないのが現実だ。しかも、誤字脱字のような校正ミスだけでなく、基本的なミスをおかしたことに、校了した後、出版前に気づくことがある。手遅れである。出版前から憂鬱な気分になり、それが一生続くことになる。「新版」の出版で訂正でき、憂鬱な気分から解放される。なんと素晴らしいことだろう。
本書の初版は、2003年である。それから16年、21世紀も歴史になろうとしている。本書は、3部全14章からなり、第Ⅰ部「東南アジア世界の形成」、第Ⅱ部「帝国主義・世界戦争そして独立」につづく第Ⅲ部のタイトルを「ASEAN10が切り開く地域世界」とし、初版に引きつづき「東南アジア各国史の詳細叙述を必要最小限度にし、東南アジア地域史としての叙述を心がけ」、「日本との交流関係史にもつねに注意を払った」。
第Ⅲ部の冒頭の要約は、つぎのように結ばれている。「かくて、その近代史がつねに外部勢力の関与で発展のコースを左右されてきた東南アジアは、21世紀も外部勢力、ことに北方で大国化した中国の分断・懐柔策にASEAN10ヵ国体制を維持しながら、「はしがき」に触れたように、今世紀、「地域世界」がもつ特性の世界史的発露をもって、その展開を見ることとなろう」。
最終章の第14章は、「中国のインパクト-中国との新たな付き合い方の模索」と題して、地域としての東南アジアの最大の課題としての「中国問題」を論じ、「南シナ海問題」を取りあげて本書を終えている。
時事問題も、前近代史から読んでいくと、問題の根幹にあるものがわかってくる。冷戦が終わり、グローバル化していくなかで、世界的にだけでなく、身近な近隣諸国とともに生きていく地域が重要になってきたことが、本書からわかってくる。いっぽうで、東南アジア各国ではナショナリズムが重視され、地域主義はナショナリズムあってのことで、地域主義がナショナリズムに優先されることはない。また、本書で議論された分権化による地方も無視できなくなっている。世界、地域、国家、地方を、時代、社会、テーマによって、どこに重点を置いて語る必要があるかを考えて歴史を語る時代になった。16年前は、まだ国家を基本に語ればよかったが、そうはいかなくなった。東南アジアという地域枠組みで歴史を語る重要性は高まったが、「中国問題」を語る場合も、中国対ASEANという対立軸だけでなく、中国を含むASEAN+という地域で語ることも必要になっている。
冒頭で書いた校了後出版前に気づいた、わたしがおかした基本的な間違いと同じ、しかも本書で強調しているASEANにかんする間違いを、本書でしている。まさか、わたしの本を読んだせいだではないだろうが、3人の執筆者が何度も読み返して気づかず、そのまま出版されている。読者のみなさん、探してみてください。本書が増刷され、訂正されることを願っている。わたしの本は、訂正されず、そのままになっている(恥ずかしい!)。
本書の初版は、2003年である。それから16年、21世紀も歴史になろうとしている。本書は、3部全14章からなり、第Ⅰ部「東南アジア世界の形成」、第Ⅱ部「帝国主義・世界戦争そして独立」につづく第Ⅲ部のタイトルを「ASEAN10が切り開く地域世界」とし、初版に引きつづき「東南アジア各国史の詳細叙述を必要最小限度にし、東南アジア地域史としての叙述を心がけ」、「日本との交流関係史にもつねに注意を払った」。
第Ⅲ部の冒頭の要約は、つぎのように結ばれている。「かくて、その近代史がつねに外部勢力の関与で発展のコースを左右されてきた東南アジアは、21世紀も外部勢力、ことに北方で大国化した中国の分断・懐柔策にASEAN10ヵ国体制を維持しながら、「はしがき」に触れたように、今世紀、「地域世界」がもつ特性の世界史的発露をもって、その展開を見ることとなろう」。
最終章の第14章は、「中国のインパクト-中国との新たな付き合い方の模索」と題して、地域としての東南アジアの最大の課題としての「中国問題」を論じ、「南シナ海問題」を取りあげて本書を終えている。
時事問題も、前近代史から読んでいくと、問題の根幹にあるものがわかってくる。冷戦が終わり、グローバル化していくなかで、世界的にだけでなく、身近な近隣諸国とともに生きていく地域が重要になってきたことが、本書からわかってくる。いっぽうで、東南アジア各国ではナショナリズムが重視され、地域主義はナショナリズムあってのことで、地域主義がナショナリズムに優先されることはない。また、本書で議論された分権化による地方も無視できなくなっている。世界、地域、国家、地方を、時代、社会、テーマによって、どこに重点を置いて語る必要があるかを考えて歴史を語る時代になった。16年前は、まだ国家を基本に語ればよかったが、そうはいかなくなった。東南アジアという地域枠組みで歴史を語る重要性は高まったが、「中国問題」を語る場合も、中国対ASEANという対立軸だけでなく、中国を含むASEAN+という地域で語ることも必要になっている。
冒頭で書いた校了後出版前に気づいた、わたしがおかした基本的な間違いと同じ、しかも本書で強調しているASEANにかんする間違いを、本書でしている。まさか、わたしの本を読んだせいだではないだろうが、3人の執筆者が何度も読み返して気づかず、そのまま出版されている。読者のみなさん、探してみてください。本書が増刷され、訂正されることを願っている。わたしの本は、訂正されず、そのままになっている(恥ずかしい!)。
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