土佐桂子・田村克己編『転換期のミャンマーを生きる-「統制」と公共性の人類学』風響社、2020年3月20日、330頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-267-5
帯に「激変するかに見えた国の底流にあるもの」「民政移管、そして「スーチー政権」へ。人びとの上には今も「統制」のくびきがある一方、傍らにはさまざまな「公共性」の風穴がほの見える。モノ・情報・コミュニティから見た可能性とは。注目の民博共同研究の成果」とある。
アウンサンスーチーが事実上政権を握ったとき、内外の多くの人びとは期待した。それが、いまではアウンサンスーチーが受けた賞はつぎつぎと剥奪され、ノーベル平和賞は「賞を剥奪する規定はない」という理由で剥奪を免れている。アウンサンスーチーは期待を裏切ったのか、そもそも期待すること自体が間違っていたのか。もし後者ならば、その理由の一端を間接的にでも明らかにするのが、「底流にあるもの」を探しだし考察する基礎研究だろう。個々の事例を、直接時事問題に結びつけることは難しい。ならば、序章や終章で、総括する必要があるが、時事問題と結びついた基礎研究の成果を、本書で期待することはできない。いま現場で起こっている問題を、アカデミズムと結びつけるのは、難しいのだろうか。
本書の特徴、つまり国立民族博物館の共同研究「「統制」と公共性の人類学的研究-ミャンマーにおけるモノ・情報・コミュニティ」(2012-16年)の特徴は、つぎのように説明されている。「政治権力体制の特質を踏まえつつ、むしろミクロレベルでの調査研究を元に、日常生活において感知、経験される政治的諸相を「統制」と公共性という観点から明らかにすること、特にミャンマーにみられる急激な変化を、過去との分断のうえにではなく、従来の長期の文化社会研究に基づく知見を生かし、連続性のなかでとらえていくことにある」。
アウンサンスーチーが力を発揮できないのは、現在のミャンマーの憲法による。現憲法では、外国籍の家族をもつ者は大統領になれない。イギリス人と結婚したアウンサンスーチーの2人の息子はイギリス国籍であるために、アウンサンスーチーは大統領になれない。憲法改正は、75%の議決が必要であるが、上院・下院ともに25%の議席が国軍に自動的に与えられるので、国軍の賛成がないかぎり、憲法改正はできない。国軍最高司令官は、国防省だけでなく、警察権をもつ内務省、国境省の大臣の任命権をもち、大統領には国防、警察などにかんする権限がない。このような状況で、大統領以上の権限をもつとされる「国家顧問」に就任したアウンサンスーチーに、ロヒンギャ問題などにたいする権限がなく、期待するほうが間違いということになる。
では、民政に移管せずに、軍政のほうが権力が一元化し、よかったということができるのか。本書の帯には「今も「統制」のくびきがある一方」、「「公共性」の風穴がほの見える」とある。「統制」と「公共性」が、本書のキーワードだ。
「序章 「統制」と公共性研究について」で、まず「統制」はつぎのように説明されている。「二つのタイプを想定できる。第一は国家など公権力からモノや人や情報の流通に対して課せられる「統制」で、社会主義政権下では最も顕著に存在した。ただ「統制」は必ずしも外部から課せられるものとは限らない。第二には、フーコーが述べたような規律=訓練社会の成立のなかで、むしろ「個々人が掌握されるなどの関係を個人の内的な機構が生み出す仕掛け」を考える必要がある」。
つぎに、公共性にかんしては、「とりあえず出発点とする議論はハーバマスのもので、彼は国家に対抗するものとして、ヨーロッパにおける公共性の成立と衰退を論じた」。「東南アジア社会において公共性を考察するということ」にかんしては、「コミュニティのなかで、公共性がいかに立ち上がるのかという視点」が重要で、「コミュニティのなかで新たな公共空間が発現するプロセスを追う必要性が指摘された」。具体的に、ミャンマーでは「二〇一一年[民政移管]以降の急激な変化のなかで、言論の自由が確保され、携帯電話が安価に流布するようになるなど、公共性へのアクセスは徐々に確保されつつある状況である。こうした近年の変化を含めて、考察することが求められている」としている。
本書は、序章、3部全12章、あとがき、などからなる。「第Ⅰ部 統制のほころびと新たな公共性の行方」は5章からなり、「ネーウィン社会主義政権、軍事政権、テインセイン政権と続いてきた軍主導の統制のありようとその変化、また統制下でいかなる公共性が立ち現れる可能性があったのかを、それぞれの著者が、長年にわたる調査や研究成果をもとに描き出している」。「第Ⅱ部 民主化の中の宗教-競合する公共性」は3章からなり、「テインセイン政権時代に生じた宗教対立を背景として、宗教をめぐる公共性、公共圏の問題を取り上げている」。「第Ⅲ部 マイノリティをめぐる統制と鼓動」はミャンマー2章、カンボジア1章、シンガポール1章の4章からなり、「主に民族に焦点を当て公共性を考察する試みが行われる」。
「あとがき」は、「ミャンマーは今、大きな転換点に立っているといえよう」、を1行のみのパラグラフとしてはじまる。ところがその「今」は、少々世間とずれている。そのことは認識されていて、つぎのように説明されている。「共同研究」は「二〇一一年一〇月に始まったが、それは、軍政から連続しながらも民政移管の形をとったテインセイン政権が始まって間もなくであった。同政権は、国の「開放」と「民主化」に向けた改革に踏み込み、次の本格的な「民主化」政権に道を開く形となった。そして、研究会の終わった二〇一六年三月は、総選挙の結果を受けて、国民民主連盟の政権がまさに始まろうとする時期であった。その政権の実質的指導者アウンサンスーチーは、軍からの掣肘を受けつつも、少数民族の問題も宗教の問題も包み込みながら、民主主義によって国の統合を成し遂げていく期待を抱かせていた。それは、多くのミャンマー国民の願いであるだけでなく、諸外国もそのような見方から熱い視線を寄せていた」。
「その後の政治過程についての評価は、ここで述べることは難しいが、私たちを戸惑わせるのに充分であった」。「長く続いた軍政や軍主導の政権のもとでは、それら[独立以来の課題]が力で抑え込まれ、「民主化」政権の始まり前後には、民主主義への期待でヴェールに包まれていたにすぎない」。
知りたいのは、軍の支配にたいして、一般ビルマ人は批判することもあれば、支持している面もあり、アウンサンスーチーも軍を擁護する発言をするのは、どういうことを意味するのかである。「多くのミャンマー国民の願い」、ミャンマー人の「普通の感覚」について、基礎研究から知りたいのであるが、かなり前のフィールド調査にもとづき、数年前に議論した成果では「今」が伝わりにくい。2016年4月にアウンサンスーチー政権が発足したにもかかわらず、17年8月以降ロヒンギャ難民が100万人発生したと言われることにたいして、「ここで述べることは難しい」では一般読者は納得しないだろう。「ほの見える」なにかを知りたいのだが・・・。
アウンサンスーチーが事実上政権を握ったとき、内外の多くの人びとは期待した。それが、いまではアウンサンスーチーが受けた賞はつぎつぎと剥奪され、ノーベル平和賞は「賞を剥奪する規定はない」という理由で剥奪を免れている。アウンサンスーチーは期待を裏切ったのか、そもそも期待すること自体が間違っていたのか。もし後者ならば、その理由の一端を間接的にでも明らかにするのが、「底流にあるもの」を探しだし考察する基礎研究だろう。個々の事例を、直接時事問題に結びつけることは難しい。ならば、序章や終章で、総括する必要があるが、時事問題と結びついた基礎研究の成果を、本書で期待することはできない。いま現場で起こっている問題を、アカデミズムと結びつけるのは、難しいのだろうか。
本書の特徴、つまり国立民族博物館の共同研究「「統制」と公共性の人類学的研究-ミャンマーにおけるモノ・情報・コミュニティ」(2012-16年)の特徴は、つぎのように説明されている。「政治権力体制の特質を踏まえつつ、むしろミクロレベルでの調査研究を元に、日常生活において感知、経験される政治的諸相を「統制」と公共性という観点から明らかにすること、特にミャンマーにみられる急激な変化を、過去との分断のうえにではなく、従来の長期の文化社会研究に基づく知見を生かし、連続性のなかでとらえていくことにある」。
アウンサンスーチーが力を発揮できないのは、現在のミャンマーの憲法による。現憲法では、外国籍の家族をもつ者は大統領になれない。イギリス人と結婚したアウンサンスーチーの2人の息子はイギリス国籍であるために、アウンサンスーチーは大統領になれない。憲法改正は、75%の議決が必要であるが、上院・下院ともに25%の議席が国軍に自動的に与えられるので、国軍の賛成がないかぎり、憲法改正はできない。国軍最高司令官は、国防省だけでなく、警察権をもつ内務省、国境省の大臣の任命権をもち、大統領には国防、警察などにかんする権限がない。このような状況で、大統領以上の権限をもつとされる「国家顧問」に就任したアウンサンスーチーに、ロヒンギャ問題などにたいする権限がなく、期待するほうが間違いということになる。
では、民政に移管せずに、軍政のほうが権力が一元化し、よかったということができるのか。本書の帯には「今も「統制」のくびきがある一方」、「「公共性」の風穴がほの見える」とある。「統制」と「公共性」が、本書のキーワードだ。
「序章 「統制」と公共性研究について」で、まず「統制」はつぎのように説明されている。「二つのタイプを想定できる。第一は国家など公権力からモノや人や情報の流通に対して課せられる「統制」で、社会主義政権下では最も顕著に存在した。ただ「統制」は必ずしも外部から課せられるものとは限らない。第二には、フーコーが述べたような規律=訓練社会の成立のなかで、むしろ「個々人が掌握されるなどの関係を個人の内的な機構が生み出す仕掛け」を考える必要がある」。
つぎに、公共性にかんしては、「とりあえず出発点とする議論はハーバマスのもので、彼は国家に対抗するものとして、ヨーロッパにおける公共性の成立と衰退を論じた」。「東南アジア社会において公共性を考察するということ」にかんしては、「コミュニティのなかで、公共性がいかに立ち上がるのかという視点」が重要で、「コミュニティのなかで新たな公共空間が発現するプロセスを追う必要性が指摘された」。具体的に、ミャンマーでは「二〇一一年[民政移管]以降の急激な変化のなかで、言論の自由が確保され、携帯電話が安価に流布するようになるなど、公共性へのアクセスは徐々に確保されつつある状況である。こうした近年の変化を含めて、考察することが求められている」としている。
本書は、序章、3部全12章、あとがき、などからなる。「第Ⅰ部 統制のほころびと新たな公共性の行方」は5章からなり、「ネーウィン社会主義政権、軍事政権、テインセイン政権と続いてきた軍主導の統制のありようとその変化、また統制下でいかなる公共性が立ち現れる可能性があったのかを、それぞれの著者が、長年にわたる調査や研究成果をもとに描き出している」。「第Ⅱ部 民主化の中の宗教-競合する公共性」は3章からなり、「テインセイン政権時代に生じた宗教対立を背景として、宗教をめぐる公共性、公共圏の問題を取り上げている」。「第Ⅲ部 マイノリティをめぐる統制と鼓動」はミャンマー2章、カンボジア1章、シンガポール1章の4章からなり、「主に民族に焦点を当て公共性を考察する試みが行われる」。
「あとがき」は、「ミャンマーは今、大きな転換点に立っているといえよう」、を1行のみのパラグラフとしてはじまる。ところがその「今」は、少々世間とずれている。そのことは認識されていて、つぎのように説明されている。「共同研究」は「二〇一一年一〇月に始まったが、それは、軍政から連続しながらも民政移管の形をとったテインセイン政権が始まって間もなくであった。同政権は、国の「開放」と「民主化」に向けた改革に踏み込み、次の本格的な「民主化」政権に道を開く形となった。そして、研究会の終わった二〇一六年三月は、総選挙の結果を受けて、国民民主連盟の政権がまさに始まろうとする時期であった。その政権の実質的指導者アウンサンスーチーは、軍からの掣肘を受けつつも、少数民族の問題も宗教の問題も包み込みながら、民主主義によって国の統合を成し遂げていく期待を抱かせていた。それは、多くのミャンマー国民の願いであるだけでなく、諸外国もそのような見方から熱い視線を寄せていた」。
「その後の政治過程についての評価は、ここで述べることは難しいが、私たちを戸惑わせるのに充分であった」。「長く続いた軍政や軍主導の政権のもとでは、それら[独立以来の課題]が力で抑え込まれ、「民主化」政権の始まり前後には、民主主義への期待でヴェールに包まれていたにすぎない」。
知りたいのは、軍の支配にたいして、一般ビルマ人は批判することもあれば、支持している面もあり、アウンサンスーチーも軍を擁護する発言をするのは、どういうことを意味するのかである。「多くのミャンマー国民の願い」、ミャンマー人の「普通の感覚」について、基礎研究から知りたいのであるが、かなり前のフィールド調査にもとづき、数年前に議論した成果では「今」が伝わりにくい。2016年4月にアウンサンスーチー政権が発足したにもかかわらず、17年8月以降ロヒンギャ難民が100万人発生したと言われることにたいして、「ここで述べることは難しい」では一般読者は納得しないだろう。「ほの見える」なにかを知りたいのだが・・・。
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