酒井一臣『金子堅太郎と近代日本-国際主義と国家主義』昭和堂、2020年3月30日、195頁、2700円+税、ISBN978-4-8122-1913-3
金子堅太郎と聞いて、どこかで名前を聞いたことはあるような気がするが、なにをした人なのか皆目わからなかった。帯をみると、つぎのように書いてあった。「福岡から世界へ」「福岡藩から近代日本を代表する国際人となった金子堅太郎。明治憲法の起草や広報外交、日米間の諸問題解決で活躍し、修猷館再興や八幡製鉄所設置など福岡の発展にも貢献した。彼の生涯を追いながら、近代日本のグローバル戦略の光と陰、そして現代日本のグローバル化がどうあるべきかを考える」。
著者、酒井一臣が金子堅太郎に注目したのは、学問的動機からではない。著者が「縁あって、福岡の大学に勤めることになり、大学の市民講座を担当するときに、せっかくだから地元ゆかりの人物を取り上げようと考えてのことである」。そして、「金子を調べはじめてすぐに気づいたのは、グローバルに活躍した彼の生涯を追うことは近代日本の全体像を追うことにつなが」り、著者にとって「文明国標準という観点から近代日本に関わる国際関係史を研究してきたこともあり、金子はかっこうの素材になった」。
ところが、研究を進めるに従って、著者は「金子は立志伝中の人物なのだが、その言動を追っていると、現在の日本に筆者が感じている怒りと同調していった」。本書で著者が書いたのは、「金子の評価というより、現在の日本社会で「高い地位にある」人たちへの批判で」、主人公の評価できる面からより、「負の面から現在への教訓を引き出そうとした」。
本書は、序章、全10章、終章からなる。「序章」で、著者は本書執筆の理由を3つあげている。まず、詳細な金子の研究があるにもかかわらず、「金子を通じて、近代日本の姿を筆者なりに描いてみたいと考えたからである」。第2の理由は、「近代日本の西洋文明受容のあり方を金子堅太郎の生涯から考察することである」。第3の理由は、「維新前からアジア太平洋戦争勃発まで生きた金子の変遷、つまり明治国家の変遷から得られる教訓を、明治維新一五〇年の今日から考えること」である。
ところが、すぐに大きな2つの問題にぶつかった。「一つは、金子の性格である。調査をしてすぐに気づいたのは、金子は大変な秀才だったが、友達にしたくないタイプの人間だということだ。金子は自己顕示欲が強く、自分の立場を守るためにコロコロと立場を変える。そして、このことは史料の問題にもつながった。金子は大量の回顧録・回顧談を遺したが、多くは晩年に書かれたもので、その内容が、自己正当化のため、かなりゆがめられているのである。頭のいい人だったので、整合性はとれているが、金子自身や周辺の人の言動が、回顧した時点の金子に都合がいいようになっている場合が多い。その点をどこまで割り引いて金子を描くのかが困難なのである」。
「いま一つは、金子の晩年の問題である。金子が日露戦時に活躍したのは五〇代前半の時である。金子はそれから三〇年以上も生きた。その後半生の金子が、「老害」扱いされてしまうのである。もちろん、主人公だからといって、取り上げる人物を全面的に肯定する必要はない。しかし、晩年の姿があまりに悪すぎると、書きにくいことは否めない」。
それでも著者は、「老害となってからの金子のことも、その悪評とともに書いた。なぜなら、晩年の金子の姿からは、近代日本の国際人・国際主義とは何だったのかを考えるヒントがあると考えたからである」。
そして、著者は、「近代日本の国際主義の限界がある」という結論に至った。それは、「戦略的に国際主義でやっていくという考え方である。その場合、第一にくるのが日本という国家であり、国際社会ではない。その結果、近代日本の国際主義は国家主義と同居してしまうことになった。日本国家が優先されるため、国際社会が日本の発展に障害となれば、やけになって国際秩序を否定し破壊するか、再び殻に閉じこもる(日本に還る)ことになる」。
さらに、著者は、「あとがき」で「明治維新から敗戦までと、敗戦から今日までほぼ同じ期間が過ぎて日本社会の現状は決して明るいものではない」と悲観し、明るさを求めて「明治最初のグローバル人材であった金子が晩年に老害となってしまうのはなぜか。ナショナリズムをトランスナショナリズムに転じられなかったのはなぜか。そこには必ず現在への厳しい教訓があると考えて本書を書いた」。
副題の「国際主義と国家主義」は、金子にとって同じことを意味した。日露戦争のときに、ロシア兵を人道的に扱って絶賛された日本赤十字は、アジア太平洋戦争のときには「国家主義」のために非難された。明治期の日本人の国際主義は、表層的な「西欧化」でしかなかった。著者は本書で頻繁に「教訓」ということばを使っている。今日の日本人が金子から「教訓」を得て、トランスナショナルなグローバル人材になることが必要なのだが・・・。
本書後半で何度か出てくる「ルーズベルト」大統領だが、「ルーズベルト」はもともと「バラ野」を意味するのだから「ローズベルト」のほうがいい。ローズベルト家の調度品にはバラをあしらったものがあり、選挙キャンペーンではバラを飾った。「緩んだベルト」では、文字通り締まらない。
著者、酒井一臣が金子堅太郎に注目したのは、学問的動機からではない。著者が「縁あって、福岡の大学に勤めることになり、大学の市民講座を担当するときに、せっかくだから地元ゆかりの人物を取り上げようと考えてのことである」。そして、「金子を調べはじめてすぐに気づいたのは、グローバルに活躍した彼の生涯を追うことは近代日本の全体像を追うことにつなが」り、著者にとって「文明国標準という観点から近代日本に関わる国際関係史を研究してきたこともあり、金子はかっこうの素材になった」。
ところが、研究を進めるに従って、著者は「金子は立志伝中の人物なのだが、その言動を追っていると、現在の日本に筆者が感じている怒りと同調していった」。本書で著者が書いたのは、「金子の評価というより、現在の日本社会で「高い地位にある」人たちへの批判で」、主人公の評価できる面からより、「負の面から現在への教訓を引き出そうとした」。
本書は、序章、全10章、終章からなる。「序章」で、著者は本書執筆の理由を3つあげている。まず、詳細な金子の研究があるにもかかわらず、「金子を通じて、近代日本の姿を筆者なりに描いてみたいと考えたからである」。第2の理由は、「近代日本の西洋文明受容のあり方を金子堅太郎の生涯から考察することである」。第3の理由は、「維新前からアジア太平洋戦争勃発まで生きた金子の変遷、つまり明治国家の変遷から得られる教訓を、明治維新一五〇年の今日から考えること」である。
ところが、すぐに大きな2つの問題にぶつかった。「一つは、金子の性格である。調査をしてすぐに気づいたのは、金子は大変な秀才だったが、友達にしたくないタイプの人間だということだ。金子は自己顕示欲が強く、自分の立場を守るためにコロコロと立場を変える。そして、このことは史料の問題にもつながった。金子は大量の回顧録・回顧談を遺したが、多くは晩年に書かれたもので、その内容が、自己正当化のため、かなりゆがめられているのである。頭のいい人だったので、整合性はとれているが、金子自身や周辺の人の言動が、回顧した時点の金子に都合がいいようになっている場合が多い。その点をどこまで割り引いて金子を描くのかが困難なのである」。
「いま一つは、金子の晩年の問題である。金子が日露戦時に活躍したのは五〇代前半の時である。金子はそれから三〇年以上も生きた。その後半生の金子が、「老害」扱いされてしまうのである。もちろん、主人公だからといって、取り上げる人物を全面的に肯定する必要はない。しかし、晩年の姿があまりに悪すぎると、書きにくいことは否めない」。
それでも著者は、「老害となってからの金子のことも、その悪評とともに書いた。なぜなら、晩年の金子の姿からは、近代日本の国際人・国際主義とは何だったのかを考えるヒントがあると考えたからである」。
そして、著者は、「近代日本の国際主義の限界がある」という結論に至った。それは、「戦略的に国際主義でやっていくという考え方である。その場合、第一にくるのが日本という国家であり、国際社会ではない。その結果、近代日本の国際主義は国家主義と同居してしまうことになった。日本国家が優先されるため、国際社会が日本の発展に障害となれば、やけになって国際秩序を否定し破壊するか、再び殻に閉じこもる(日本に還る)ことになる」。
さらに、著者は、「あとがき」で「明治維新から敗戦までと、敗戦から今日までほぼ同じ期間が過ぎて日本社会の現状は決して明るいものではない」と悲観し、明るさを求めて「明治最初のグローバル人材であった金子が晩年に老害となってしまうのはなぜか。ナショナリズムをトランスナショナリズムに転じられなかったのはなぜか。そこには必ず現在への厳しい教訓があると考えて本書を書いた」。
副題の「国際主義と国家主義」は、金子にとって同じことを意味した。日露戦争のときに、ロシア兵を人道的に扱って絶賛された日本赤十字は、アジア太平洋戦争のときには「国家主義」のために非難された。明治期の日本人の国際主義は、表層的な「西欧化」でしかなかった。著者は本書で頻繁に「教訓」ということばを使っている。今日の日本人が金子から「教訓」を得て、トランスナショナルなグローバル人材になることが必要なのだが・・・。
本書後半で何度か出てくる「ルーズベルト」大統領だが、「ルーズベルト」はもともと「バラ野」を意味するのだから「ローズベルト」のほうがいい。ローズベルト家の調度品にはバラをあしらったものがあり、選挙キャンペーンではバラを飾った。「緩んだベルト」では、文字通り締まらない。
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