後藤乾一『「南進」する人びとの近現代史-小笠原諸島・沖縄・インドネシア』龍溪書舎、2019年8月30日、407頁、5000円+税、ISBN978-4-8447-8320-6
著者、後藤乾一は、これまで「パワーエリートとは縁遠い無名の人びとの移動の航跡に焦点を当て、その生涯を編年史的に論じ」、マクロな世界(国、地域、世界)に翻弄されながらも懸命に生きてきた人びとを描いてきた。
本書執筆への動機を、つぎのように説明している。「筆者はこれまで近代日本の対外関係・交流史の中でインドネシアを中心とした欧米列強の植民地東南アジアとの関係史を主たる研究の対象としてきた。その過程で、最終的に「大東亜共栄圏」構想(添付地図参照)の中に取り込まれることになる東南アジアへの政治的・軍事的・経済的進出の「中継地」役を果たした地域の重要性を意識するようになった。それは具体的には新附の帝国領土沖縄、清国から割譲した植民地台湾、そして第一次世界大戦を契機に事実上日本の領土となった赤道以北の旧ドイツ領南洋群島であった」。「東南アジアへと連鎖していく上述の諸地域と近代日本との関係を考える過程で、絶えず念頭に点滅しながらも、一度として具体的に論じることができなかった地域があった。それが、本書執筆の主たる契機となった小笠原諸島である」。
そして、「広義の「南進」研究の中で小笠原諸島の有する重要性、同諸島と沖縄、東南アジアとの関係性を自分なりに定位することであった」。本書で取りあげた人びとの「移動のありようを図式化するならば、①「内地」から小笠原諸島へ、そしてそこを起点に南洋群島、さらには東南アジアへ羽翼を伸ばそうとした人びと(第一章-三章)、②沖縄から明確な意思に基づき家族とともにインドネシアへ移住するも、戦争によって永住の夢を絶たれた事例(第四章)、③沖縄に出自を持ちつつも硫黄島を故地とし、自らの意志とのかかわりのない戦争という外因によってインドネシアに出征し、日本敗戦後その地に骨を埋めた事例(第五章)に大別される」。「こうした幾筋もの顔の見える人びとの移動の足跡をたどり、近代日本の大きな伏流であった「南進」を下支えし、かつそれに翻弄された人びとの姿を描き出せればと願った」。
本書は、まえがき、全5章、あとがき、からなる。それぞれの章で取りあげられた人びとは、「ジョン万次郎を除くとほとんどの登場人物は一般的には無名の士であり、彼らについての公的な一次資料はごく限られたものであった」。
第一章「ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島-幕末維新期の「洋式捕鯨」をめぐって-」では、「国際環境および日本の対外施策をふまえた上で、日本最初の「洋式捕鯨」の導入を試みた元漂流民(当時は幕府の鯨漁御用)ジョン万次郎と北越の資産家(廻船業)平野廉蔵の役割に注目しつつ、幕末維新期の日本の捕鯨の実情を考察する。また一八七六年に日本の領有が確定した小笠原諸島にとって、捕鯨ならびにクジラが有していた社会的経済的な意味を考察する」。
第二章「明治期小笠原諸島の産業開発と鍋島喜八郎」では、「西南の「雄藩」佐賀藩の藩主鍋島家の一統として幕末の佐賀に生まれた鍋島喜八郎は、明治維新直後上京し中江兆民の仏学塾で学んだ後、明治期南進論の高まりを背景に東邦組を創設し、一八九一年領有まもない小笠原諸島の開拓を志し渡南する」。「その事業は必ずしもすべてが成功したとはいえなかったが、士族出身の実業家として明治・大正期の小笠原諸島の産業開発に果たした役割は、同諸島近代史を理解するうえでも無視することはできない」。
第三章「「南進」論者・服部徹の思想と行動-小笠原諸島を基点として-」では、「土佐の下級士族出身の服部徹の「南進」論とその具体的な「南洋」進出の足跡を考察する。土佐自由民権運動の洗礼を受け一〇代で上京した服部は、日本に欧米式農業の導入を推進した津田仙が創設した学農社農学校に学びその薫陶を受ける。一八八七年には東京府知事高崎五六に率いられた南洋視察団の一員として小笠原諸島等を視察、勧業主義的「南進」論の提唱者として論壇に登場する」。
第四章「又吉武俊の「南方関与」三〇年-戦前期沖縄とインドネシア-」では、「沖縄からインドネシアへの移民の先駆となった又吉武俊およびその家族を事例とし、沖縄の「南方関与」の実像の一端を明らかにしようとする」。「無名の沖縄びとの「南方関与」史を事例としつつ、戦前期沖縄・インドネシア関係の特質の一端を明らかにする」。
第五章「沖縄ルーツ・硫黄島出身「日系インドネシア人」勢理客文𠮷の歴程-小笠原諸島近現代史の文脈で-」では、沖縄と伊豆大島に出自をもつ両親の次男として一九一九年硫黄島に生まれた勢理客文𠮷の生涯を、硫黄島(小笠原諸島)近現代史、近代日本の南進を背景に描く」。「沖縄・硫黄島・インドネシアと関わるその軌跡は、文字通り日本の南進に翻弄された人生であった」。そして、「この無名の元日本人の生涯が」、「かつて一千余名の村人が暮らす社会があった、今は「自衛隊の島」と化した硫黄島が、今日の日本国と私たちに問いかけるものは何か」と、かつて「沖縄核密約」を追った著者は疑問を投げかける。
著者は、「研究者を含む大多数の人びとから忘れられている」小笠原諸島(硫黄島を含む)を考察の対象に加えることによって、巻頭に挿入された「本書登場人物の足跡」を記した地図が示すとおり、「大東亜共栄圏」内を移動し、国家に翻弄された人びとの姿を描いた。そして、今日まで翻弄され続け、いまだ帰島もままならない元硫黄島島民を苦悩を紹介して本書を終えている。過去の問題ではなく現在の問題として「南進」をとらえることによって、過去も現在も、さらに未来も見えてくる。
本書執筆への動機を、つぎのように説明している。「筆者はこれまで近代日本の対外関係・交流史の中でインドネシアを中心とした欧米列強の植民地東南アジアとの関係史を主たる研究の対象としてきた。その過程で、最終的に「大東亜共栄圏」構想(添付地図参照)の中に取り込まれることになる東南アジアへの政治的・軍事的・経済的進出の「中継地」役を果たした地域の重要性を意識するようになった。それは具体的には新附の帝国領土沖縄、清国から割譲した植民地台湾、そして第一次世界大戦を契機に事実上日本の領土となった赤道以北の旧ドイツ領南洋群島であった」。「東南アジアへと連鎖していく上述の諸地域と近代日本との関係を考える過程で、絶えず念頭に点滅しながらも、一度として具体的に論じることができなかった地域があった。それが、本書執筆の主たる契機となった小笠原諸島である」。
そして、「広義の「南進」研究の中で小笠原諸島の有する重要性、同諸島と沖縄、東南アジアとの関係性を自分なりに定位することであった」。本書で取りあげた人びとの「移動のありようを図式化するならば、①「内地」から小笠原諸島へ、そしてそこを起点に南洋群島、さらには東南アジアへ羽翼を伸ばそうとした人びと(第一章-三章)、②沖縄から明確な意思に基づき家族とともにインドネシアへ移住するも、戦争によって永住の夢を絶たれた事例(第四章)、③沖縄に出自を持ちつつも硫黄島を故地とし、自らの意志とのかかわりのない戦争という外因によってインドネシアに出征し、日本敗戦後その地に骨を埋めた事例(第五章)に大別される」。「こうした幾筋もの顔の見える人びとの移動の足跡をたどり、近代日本の大きな伏流であった「南進」を下支えし、かつそれに翻弄された人びとの姿を描き出せればと願った」。
本書は、まえがき、全5章、あとがき、からなる。それぞれの章で取りあげられた人びとは、「ジョン万次郎を除くとほとんどの登場人物は一般的には無名の士であり、彼らについての公的な一次資料はごく限られたものであった」。
第一章「ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島-幕末維新期の「洋式捕鯨」をめぐって-」では、「国際環境および日本の対外施策をふまえた上で、日本最初の「洋式捕鯨」の導入を試みた元漂流民(当時は幕府の鯨漁御用)ジョン万次郎と北越の資産家(廻船業)平野廉蔵の役割に注目しつつ、幕末維新期の日本の捕鯨の実情を考察する。また一八七六年に日本の領有が確定した小笠原諸島にとって、捕鯨ならびにクジラが有していた社会的経済的な意味を考察する」。
第二章「明治期小笠原諸島の産業開発と鍋島喜八郎」では、「西南の「雄藩」佐賀藩の藩主鍋島家の一統として幕末の佐賀に生まれた鍋島喜八郎は、明治維新直後上京し中江兆民の仏学塾で学んだ後、明治期南進論の高まりを背景に東邦組を創設し、一八九一年領有まもない小笠原諸島の開拓を志し渡南する」。「その事業は必ずしもすべてが成功したとはいえなかったが、士族出身の実業家として明治・大正期の小笠原諸島の産業開発に果たした役割は、同諸島近代史を理解するうえでも無視することはできない」。
第三章「「南進」論者・服部徹の思想と行動-小笠原諸島を基点として-」では、「土佐の下級士族出身の服部徹の「南進」論とその具体的な「南洋」進出の足跡を考察する。土佐自由民権運動の洗礼を受け一〇代で上京した服部は、日本に欧米式農業の導入を推進した津田仙が創設した学農社農学校に学びその薫陶を受ける。一八八七年には東京府知事高崎五六に率いられた南洋視察団の一員として小笠原諸島等を視察、勧業主義的「南進」論の提唱者として論壇に登場する」。
第四章「又吉武俊の「南方関与」三〇年-戦前期沖縄とインドネシア-」では、「沖縄からインドネシアへの移民の先駆となった又吉武俊およびその家族を事例とし、沖縄の「南方関与」の実像の一端を明らかにしようとする」。「無名の沖縄びとの「南方関与」史を事例としつつ、戦前期沖縄・インドネシア関係の特質の一端を明らかにする」。
第五章「沖縄ルーツ・硫黄島出身「日系インドネシア人」勢理客文𠮷の歴程-小笠原諸島近現代史の文脈で-」では、沖縄と伊豆大島に出自をもつ両親の次男として一九一九年硫黄島に生まれた勢理客文𠮷の生涯を、硫黄島(小笠原諸島)近現代史、近代日本の南進を背景に描く」。「沖縄・硫黄島・インドネシアと関わるその軌跡は、文字通り日本の南進に翻弄された人生であった」。そして、「この無名の元日本人の生涯が」、「かつて一千余名の村人が暮らす社会があった、今は「自衛隊の島」と化した硫黄島が、今日の日本国と私たちに問いかけるものは何か」と、かつて「沖縄核密約」を追った著者は疑問を投げかける。
著者は、「研究者を含む大多数の人びとから忘れられている」小笠原諸島(硫黄島を含む)を考察の対象に加えることによって、巻頭に挿入された「本書登場人物の足跡」を記した地図が示すとおり、「大東亜共栄圏」内を移動し、国家に翻弄された人びとの姿を描いた。そして、今日まで翻弄され続け、いまだ帰島もままならない元硫黄島島民を苦悩を紹介して本書を終えている。過去の問題ではなく現在の問題として「南進」をとらえることによって、過去も現在も、さらに未来も見えてくる。
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