倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド-バリに眠る狂気の記憶をめぐって』千倉書房、2020年7月3日、258頁、3200円+税、ISBN978-4-8051-1205-2

 「筆をおいたとき、思わず「ふーっ」とため息が出た。これは私が五〇年におよぶ研究生活で取り組んだなかで、間違いなく最も重いテーマだった」と、著者、倉沢愛子は「あとがき」冒頭で吐露している。たとえ文章だけであっても、人が死ぬことを書いているとだんだん心の負担になってくる。ましてや、その人数が夥しく、その殺され方が尋常でないとなると、その蓄積に耐えられなくなる。それでも、著者が書き続けたのは、「使命感のようなものを抱かせた個人的な背景」があったからである。

 その「個人的な執筆動機」を、著者はつぎのように説明している。「その原動力となったのは、同時代に生きてきた人間でありながら、凄まじい虐殺に対し自分がそのとき何も声をあげなかったことに気づいたときの深い衝撃であった。調査の過程で出会った元政治犯や犠牲者の遺族らの多くは、私とほぼ同じ年齢、つまり同じ時間軸を生きてきた人たちであった。歴史を掘り起こすなかで出土した様々な事象は、同時代人として私自身が体験してきた事柄と重なっており、決して遠い昔の出来事などではなかった。この問題は、いわゆる「全共闘世代」である私自身の、挫折した青春時代への個人的回顧と絡み合っているのである」。

 著者の世代が、「キャンパスではいわゆるノンセクト・ラディカルとして全学共闘会議に集まって声をあげていた」そのときに、「インドネシアで起こっていた恐ろしい虐殺について全く無知で、何の声もあげなかったのである。あれだけいろいろなことに血をたぎらせ、「騒いでいた」」のに。

 さらに、著者は続けて、つぎのような後ろめたさを感じている。「そしてもっと恐ろしいのは、この多くの人命の犠牲の上に成った政権交代の結果、日本の経済界はインドネシアに大規模な資本進出の機会を与えられて潤い、私たちもその恩恵をふんだんに受けて生きてきたにもかかわらず、そのことについての認識も欠如していたことである」。

 その政権交代とは、1965年9月30日と68年3月11日に起こった2つのクーデタを中心に、独立の英雄スカルノが失脚し、反共の軍人スハルトが全権を掌握したことをさす。そして、この権力闘争の裏で、200万人ともいわれる市民が巻き添えとなり、残酷な手口で殺戮された。

 「しかし事件後、権力を握ったスハルト政権により真相究明のための調査研究は封じられ、わずかに政府の公式見解が学校教育の場で教えられるに過ぎなかった。ところが、一九九八年に三二年間続いたスハルト政権が倒れ、それまで困難だった研究が多少なりとも可能になってからは、世界中の研究者によって多くの研究が世に現れるようになった」。

 著者も、「すぐさまそれまで気になっていたこの事件を、私の人生の最後の大きな課題として抱えていこうと考えた」。しかし、すぐにまとめて書けたわけではなかった。ようやく2014年に『9・30 世界を震撼させた日-インドネシアの政変の真相と波紋』(岩波全書)と題して、「事件の全容にわたって幅広く紹介した」単行本を刊行することができた。「その後さらに現地調査の成果と、インドネシア公文書の解禁によってあらたに判明した様々な事実を取り込んで」、さらに2冊の本をほぼ同時に刊行することができた。「もう一冊は、『インドネシア大虐殺-二つのクーデターと史上最大級の惨劇』と題して刊行される中公新書である。本書は記述をバリの一つの地方における虐殺に限定しているのに対し、同新書は、中央の政界でスカルノが実権を奪われていく過程、社会のあらゆるセクターで事件との直接間接の関与を調べるスクリーニング(査問)が展開され人々が排除されていった過程、その結果逃亡や亡命生活を余儀なくされた人々の運命など全国レベルの問題を幅広く扱った」。

 最後の章である第九章「和解への道を模索して」の最後の節の見出しは「壊してはいけない楽園イメージ」で、著者は「バリを国際的観光地として成功させたいというスハルトの開発政策にとって、血なまぐさい過去は最大の障害であった」と述べ、「その歴史を覆い隠そうとする努力は驚くほど成功していて、ガイドブックや観光案内のどこをみても五〇年前のその歴史に触れているものはない」、「バリでは、歴史の暗部をあえて見せつけ、その傷みを心に刻む「ダークツーリズム」を推奨することは考えられないことなのであろう」と、本書を結んでいる。

 では、本書で明らかにされたことは、「引き裂かれたコミュニティ」の「和解への道」にどう貢献するのだろうか。当該コミュニティに任せるしかないというのが現実だろう。だが、現地で著者に協力してくれた多くの人びとが、外国人である著者が真相をつきとめようと熱心に語りかけてくれたことにたいし、なにかを感じ、自分たち自身で「和解への道を模索して」いかなければならないと決意したのなら、著者の「大きな心の痛みと闘いながら必死でもがきながら」調査し、執筆してきたことも報われるだろう。

 わたしの身近には、沖縄戦、関東大震災や東京空襲など、多くの人びとが亡くなった場所に行くと、なにかしら「霊」を感じて、その場に居ることができなくなる人がいる。本書に出てきたような「供養」がバリでおこなわれているのは、そのような「霊」がさせているのではないだろうか。