白川哲夫『「戦没者慰霊」と近代日本-殉難者と護国神社の成立史』勉誠出版、2015年11月30日、380+v頁、4200円+税、ISBN978-4-585-22132-6
大阪護国神社で碑などを調査中に、ちょっと目を離した隙にキャリーバッグを盗まれた。大阪護国神社のある場所が場所だけに注意しなければならなかったのに、数日間の沖縄での調査の後で気が緩んでいた。神様のご加護はなかった。国は護れても、国を支えている国民の財産は護れないというのか。本書で扱われるのは靖国神社ではなく、各都道府県にある護国神社である。靖国神社を通してだけでは見えてこないものが見えてくるのか、期待をもって読みはじめた。
「戦没者慰霊」と聞いて知りたいと思うのは、帯にあるつぎのことだろう。「近代日本が創り上げた戦没者をたたえるシステム。それは明治維新、日清・日露戦争を経て、太平洋戦争で大きく展開した。靖国神社を中心に形成された「慰霊」の歴史を辿りながら、戦没者を祀ることの意味を知る。戦争・歴史認識問題が再び注目される今、もう一度その歴史を見つめ直す」。「軍隊・戦争と日本社会とのつながり」。「「戦没者慰霊」はなぜ論争になるのか?」
いっぽう、考察・分析して知りたいと思うのは、表紙見返しにあるつぎのことだろう。「戦争を「体験」として持っている世代が退場していく中で、新たに浮上してきたのが「記憶」という概念である。戦争をどのような「歴史」として伝えていくのか。「戦没者慰霊」は、いまそのような社会的役割を果たしうるかどうかの岐路にさしかかっている。(中略)課題は、「戦没者慰霊」を通じて軍隊や戦争を近代・現代の日本社会の人々がどう捉えてきたのかを明らかにすることである」。
この課題を含め、これまでの研究史から本書に残された課題は3つあるという。「第一に、靖国神社に象徴されるような政治的・イデオロギー的問題として「戦没者慰霊」が論じられてきた中で、一九六〇年代後半以来の枠組みが依然として根強いことである」。「第二の課題は、「戦没者慰霊」の諸事例の関係性を明らかにすることである」。そして、3つめが表紙見返しに書かれている課題である。
本書は、序章「研究対象としての「戦没者慰霊」」、全7章、2つの補論、結論「日本の「戦没者慰霊」とは何か」からなる。「第一章 招魂社の役割と構造-京都の「戦没者慰霊」は、「京都における「戦没者慰霊」を素材として、招魂社・招魂祭について分析する」。「第二章 近代日本の「戦没者慰霊」行事-招魂祭・戦死者葬儀」では、「各地の軍隊所在地や地域で行われた招魂祭と、地域での戦死者葬儀を取り上げて、互いに比較しながらその変遷と関係性について論じる」。「第三章 日清・日露戦争期の戦死者追弔行事と仏教界」「第四章 大正・昭和戦前期の戦死者追弔行事」では、「仏教界が取り組んだ「戦没者慰霊」について論じる」。「第五章 一九三〇~五〇年代「戦没者慰霊」の動向-護国神社を中心に」は、「招魂社が「護国神社」と改称して以降の歴史である」。「第六章 護国神社の「地域」性について」「第七章 もう一つの靖国-靖国寺を素材に」は、「五章までの議論を引き受けながら、より個別的な事例の中から「戦没者慰霊」が抱える問題と、「靖国」という言葉が持つ複雑な意味の問題について考える」。さらに、「補論1 「明治維新」像の変遷-霊山顕彰会と霊山歴史館」「補論2 護国神社とモニュメント」で、「京都霊山護国神社に隣接する霊山歴史観の企画展にみる「明治維新」観の変遷と、全国の護国神社に設置されているモニュメントの統計的分析」をする。
そして、序章の最後で、つぎのように念押しをしている。「本書では、靖国神社は詳細な検討対象とはしていない。本書では「戦没者慰霊」が上位概念であり、すでに述べたように靖国にすべてを収斂させていくような議論にならないようにとった方法である。ただ、靖国という存在の意味が結果的に浮かび上がっていくことはあるかもしれない。そういう意味で靖国の重要性を看過しているわけではないが、現代は「靖国神社批判」というよりも「戦没者慰霊」という社会的行為自体を問題としなければならない時代である。極論すれば、靖国神社も「戦没者慰霊」の中での一形態でしかないのである」。「以上のような問題意識と方法に基づき、本論を展開していくつもりである」。
「結論」では、つぎの見出しのもとで、それぞれについて本書で明らかになったことをまとめている。「護国神社とは」「「戦没者慰霊」における仏教」「戦後の「戦没者慰霊」」「「戦没者慰霊」をめぐる模索」「「戦没者慰霊」の将来」で、最後の「将来」について、つぎの3つの方向性が展望できるとしている。「第一は「歴史」を語り伝える場としての機能を強めていくという方向である」。「第二は、それぞれの施設が持つ地域的な「公共性」がより前面に出るようになり、「戦没者慰霊」の側面が薄れていくという方向性である」。「第三は「消滅」していくという可能性である」。
第3でもいいような気がするが、2度と復活することがないというならば、である。
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