植野弘子・上水流久彦編『帝国日本における越境・断絶・残像』風響社、2020年2月29日、2冊、各3000円+税、ISBN978-4-89489-273-6, 978-4-89489-274-3

 「なお、本書と姉妹編の成り立ちから、あえてまえがき・あとがきは共通のものとした」と「まえがき」の最後に書かれているが、「あとがき」にはなにも記されていない。さらに、姉妹編「人の移動」と「モノの移動」の「序」のタイトルは、それぞれ「帝国日本における人の交錯」と「帝国日本におけるモノの交錯」で、「人」と「モノ」が違うだけで、17-37(38)頁の第3節まで節タイトルが同じであるが、なんの説明書きもない。姉妹編2冊を同時に読む者にとって、はなはだ腹立たしい。出版助成が獲得できなかったことなど、2分冊になった事情はあるのだろうが、本書の信頼を貶めることになったことははなはだ残念である。

 本書の「学術的な意義」の説明は「まえがき」にはなく、「序」にあるとのことで、ほぼ共通している「序」の最初3節(「一 帝国日本と人類学研究-帝国期から現在へ「二 帝国における移動と出会い-植民地の近代」「三 帝国日本における植民地支配の特異性-繋がる現在と記憶」)から、本書の目的や課題がうかがえる。

 本プロジェクトの目的のひとつは、「帝国日本における他者との交わりを、日常レベルから考察するために、人がいかに移動し接触したか、またモノがいかにもたらされ生活に埋め込まれたかという具体的な動きを問う」ことである。

 「人の移動においても、モノの移動においても、帝国日本における移動とそれによって生まれる他者像を考えるとき、大きな二つの課題がある」という。「第一の課題は、その移動は、優位なる宗主国と劣位なる植民地との出会いであり、そこに近代化という価値が付随し、他者像が認識されたという、この様態を明らかにすることである。第二の課題は、帝国日本においては、宗主国と植民地が近接し、文化的に近似的であるという、西洋列強による植民地支配とは異なる特質があり、それが帝国崩壊後も両者の他者像、歴史の記憶に大きな意味をもつことを描くことにある」。

 「人の移動」編は、まえがき、序、5つの論考、最初の4つの論考の後のコラム、あとがきなどからなる。「序」の「四 帝国日本における人の移動」の後の「五 本書の構成」では、その特色をつぎのようにまとめている。「これまでの研究で、触れることの少なかった、あるいは等閑視されていた課題が、取り上げられている。まずは、日常生活に根付いた人間関係やモノに視点をおいた考察がなされていることである。それは、フィールドワークによって、またインタビュー調査によって、あるいは文献調査においても、当事者の目線から移動と他者像を探ろうとする著者たちの立ち位置が現れているといえよう。そのことは、移動が生み出す多様な様態が、帝国期もそして現在も、われわれの生活にも浸透していることを改めて考えさせるものとなっている」。

 さらに具体的に、つぎのように説明している。「本書では、これまであまり語られていなかった地域の間-台湾と朝鮮半島、台湾と宮古との間における「移動」を問うている。さらに、帝国日本の移動に注目しながらも、その範囲内に止まらない移動を視野にいれなければ、帝国の移動自体も考えられないことも示されている。戦時期には、動員、徴兵によって、国家の意図のもと、帝国内のみならず帝国を超えて人の移動は行われ、モノも統制され動き、あるいは略奪の対象となる。さらなる帝国の拡大とともに、現地の人とモノは、帝国日本の搾取・収奪の対象となっていったことは、歴史が示すところである」。

 「モノの移動」編は、まえがき、序、6つの論考(論稿)と、最初の5つの論考の後にあるコラム、あとがきなどからなる。「序」の「四 「帝国日本」のモノと現在」の後の「五 本書の内容」で、それぞれの論考およびコラムの「概要と意義」が紹介されている。帯には、つぎのように記されている。「国境なき越境、その実像をモノから探る」「日式表札やモダン建築、石垣のパイナップルや職人の道具など、いまもなお痕跡を残す統治時代のモノたち。その素性をたどると、支配というタテ軸の奥にさまざまな利害関係や深い交流があった。モノから見えてくる文化の複雑な位相」。

 両編の「序」の「むすび」は、ほぼ同じパラグラフで終わっており、「人の移動」編ではつぎのようにまとめられている。「本書において、東アジアにおける移動、それによって形成された他者像とその変化を語り尽くしたとは、もちろん、いえない。しかし、他者像が作られる場を考え、それが今とはいかに異なるものかを知ること、また今といかに繋がるかを考えることの大切さを、本書が少しでも伝えることができるならば、それは他者に近づく一歩に繋がるものであると願いたい」。

 明治日本の植民地になった台湾と朝鮮の個々個別の研究は山のようにあるが、この2つの植民地をつなぐ研究はほとんどない。あっても、宗主国日本を介したものになる。それを、沖縄まで加えて議論をした本プロジェクトの意義はきわめて大きい。さらに、北海道、樺太、南洋群島、戦時占領地、日本人移民にまで広げていくと、帝国日本の「人の移動」と「モノの移動」をよりダイナミックに語ることができる。本書では、占領期のフィリピン、ハワイ日系人にまで視野を広げて、今後の研究の発展の可能性を示唆している。これをまとめることはたいへんなことはわかるが、2冊の編集のお粗末さは、まことに残念である。