野呂邦暢『失われた兵士たち-戦争文学試論』文春学藝ライブラリー、2015年6月20日、478頁、1450円+税、ISBN978-4-16-813047-2
1977年に出版された本書を、ここで紹介することになるとは思わなかった。読んでみて、古くささを感じなかったのである。ということは、戦争文学論は、40年以上、進歩していないということなのだろうか。
本書は、自衛隊員限定の会誌『修親』に、1975年4月号から77年3月号まで23回にわたって連載されたものをまとめて、77年8月に単行本(芙蓉書房)として出版されたものの復刻版である。2002年に同社から新装版が再刊され、15年に文庫版として出版された。1977年の単行本の帯には「気鋭の芥川賞作家が評論した待望の会心作」とあり、2015年の文庫版には「戦記500冊」「芥川賞作家が問う日本人と戦争」とある。
著者の野呂邦暢(1937-80)は、長崎市生まれ、「いくつかの仕事を経て、1957(昭和32)年、佐世保陸上自衛隊相浦第八教育隊に入隊。翌年、北海道陸上自衛隊にて除隊」「1974(昭和49)年、自衛隊体験を描いた「草のつるぎ」で第70回芥川賞を受賞」。
文芸批評家の大澤信亮の「解説」によると、「野呂の唯一の評論であり」、「たんなる戦争文学の研究書ではないこと、それが近年再評価の著しい、野呂という独特な作家の手による作品であることを強調する必要がある」という。
本書の目的は、23回の連載の22回目で、「日本人の戦争体験をさぐり、南北両半球にまたがる地域でたたかわれたいくさの実態と、敗者がその戦いからつかんだものの意味を問うのが本稿の目的であった」と述べ、つづけて「目的は十全に達せられたであろうか」と自問している。
答えは、つぎのようにつづけて書かれている。「連載をはじめるにあたって、私はこれまでわが国の戦争文学といわれるものが、大半大学卒のインテリ兵士および将校の手になるものであることを指摘し、それらの著者が戦後おおかた職業作家として世に立っているゆえに、私の小論ではつとめて無名の市民兵の手記をとりあげて考究するつもりであるといった」。「なぜなら今次の大戦はこれら無数の名もない市民兵によって戦われたのであり、作家や知識人の兵士たちのなかに占める割合は微々たるものであったからである」。「それが実現されなかったのは、作文を生活の習慣としない人にありがちな生硬な表現、紋切りがたの文章、ことがらの一面的な判断が多く見られるために、戦争という異常な極限状況において日本人が何を考え、何をしたかということをたどるには、根拠とするのに弱いと気づかざるをえなかったからである」。
そして、連載最後の23回目の「おわりに」は、つぎのパラグラフで締め括っている。「私たちは二度にわたってみずから汗水たらして構築したものが無に帰するのを経験したといってさしつかえない。八月十五日にはしかし希望と焼野原があった。焦土の上に復興という幻影をゆめみることが可能であった。今はどうか、焦土こそないが見わたせば一望の荒地ではないだろうか。私たちの希望がもはやコンビナートにも高速道路にもないとすれば、高度工業化社会という瓦解した夢のほかに何を築くことが残っているだろうか。私たちが昭和五十年代の課題になすすべもなく直面し、精神のあたらしい価値を創造することができないでいるとすれば、それはとりもなおさず戦後から何も学ばなかったということであり、ひいては敗北した戦争から何もつかみとらなかったということにもなる。そうではないという声が聞える。目に見えない所で続けられている個人のひそかな精神的営為に期待するしかない」。
さらに、「あとがき」で、つぎのように総括している。「戦記にはフィクションがあり、ノンフィクションがあるけれども、いくらかの虚構をまじえなければ語れない真実というものも世にはある」「私はなぜ戦記を耽読したのだろうか」「あらためて反省すれば、結局、私が戦記の中にのっぴきならない日本人の顔を発見するからであったようだ。恐怖、飢え、疫病などは、同胞兵士が十五年戦争において終始、直面せざるをえなかった戦場の現実である」。
「本書は文学論というより、一種の書誌的論考である。おりにつけて批評の対象となる日本の戦争文学の枠をとりはずし、ドキュメントや手記の類をも紹介することで、日本人が戦った戦争とは何であったかを考えてみた。一介の小説家にすぎない私が、正面きって戦争文学論などを試みるのはおこがましいかぎりという気がする。私は気ままに戦記を渉猟し、世にあまり知られていない記録を紹介するかたわら自分の感想をつけ加えたにすぎない」。
「解説」では、「野呂が本書で目指したのは、定評のある官製ないし大手出版社による戦記ではなく、高名な文学者によって書かれた「戦争文学」でもない、無名の書き手による戦争の記録を紹介すること」で、「野呂の本当の目的」をつぎのように述べている。「<敗者は敗北の屈辱を代償に、表現という手段を通じて世界を手に入れる。平たい言葉でいえば、敗れた者は、地獄を遍歴した目で、自他の現実に生きる姿を、勝者より明らかに見ることができるのである。敗者の特権とでもいうことができる>。この<敗者の特権>から、日本および日本人とは何かを考えること」だった。
その敗者を代表するのが「戦死者」であった。野呂は、戦死者の声を聞きたかった。だから、戦死者に近い無名の兵士が書いたものをさがした。でも、それは適わなかったどころか、本書を読むと、野呂はむしろ「インテリ兵士および将校」の記述を信頼し、頼っているかのようにみえる。40年前の本書から古くささを感じないということは、野呂が求めた「戦死者」の声を、われわれはいまだに聞けていないのかもしれない。
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